太陽光発電を自宅に設置してみます

太陽光発電が社会の隅っこで光を発し始めてから何年が経過するのでしょう、人工衛星の発電パネルなどの目的で搭載が始まってからならばおそらく何十年?でしょうか。

建築主さんの相談事の中には「太陽光発電パネルは取付けはどうしましょう?」というのが何度と無く繰り返されてきましたが、ご本人の強いご希望が無い限り積極的にはお奨めしてきませんでした。

地球温暖化防止あるいは環境配慮のためとはいえ流行の投資としては大きすぎて、設計を生業としているものとしては商業的な魅力を感じませんでし、安直に流れにも乗ること自体あまり好きではないからです。

何十年もそんな時が過ぎてきて、今年3月の東日本大震災や原発の事故、身近にも頻発する地震、これらを見ていて沸いてきた思いがありました。

生活に必要な「衣食住」、それらは自給自足できたらいいだろうな・・・・・

うちの母親は毎日畑で野菜作りしています、「食」の自給自足です。

「衣」の自給自足は大変そうだから素直にに妥協しても(笑)、エネルギーの自給自足も出来るようになればいいなあ・・・・・とすごく素直で単純な発想です。

メンテナンスが複雑で自分で出来ない機械に頼るばかりでなく、エネルギーも自己完結できる家がいい、究極は電線に繋がれていない家がいい、でもネットに繋がれてないと「ブログオタク」としては辛い(笑)

売電額が定期預金の金利より有利なのは面白い魅力ですが、近い将来、電気自動車や蓄電池が家庭で安価に手に入るときが来れば昼間発電した電気を夜間使用したり、自動車を充電したり出来たら・・・・

あるハウスメーカーは既に実現していることも知っていますが、さらに発電効率の良い革命的なパネル開発が進んでいるニュースを聞くにつけて日本の大多数の家庭がそうなる気がします。

アシモの指が器用に動くようになった時代がやってきて、「鉄腕アトム」が現実に生まれそうな今日この頃、自分はアトムに介護してもらうかもしれない。

未来を夢見たい、そんな思いも手伝っています。

結露にご用心!

今年の冬は私の住む揖斐川町にも雪の降る日が例年より多いようです。

外気と室内の温度と湿度の差が激しくなるほど起きるのが「結露」という現象です。

残念ながら建築設計を生業としている私の家でも起きてしまいました!

昨年の春にリフォームした離れの北側の娘の部屋がその現場です。

何といってもいまだに燃費の安価と信じられている(?)石油ストーブで暖を取っているのですが、これは水蒸気の発生源としては最悪の存在、部屋の換気とペアで湿度調整を人間がやらないと大変だということを今さながら再認識させられました。

北側と西側にあるシングルガラスのサッシの内側は水滴でビショビショ、空気の澱むその反対側の床と壁の交差する部分、下の隅の表面がびっしょりです。

床材は竹の集成タイプのフローリングなのですが、ベッドの下に隠れていただけに表面にカビが生えてしまったのです。

これは大変と、天井裏を点検口から眺めてみたのですが、これまた不思議と金属屋根材の裏面にも鉄骨梁の表面にも結露は認められなかったのです。

つまるところ、単なる室内の表面結露と安直に判断してしまいました。

竹フローリングのカビはカビキラーに助けてもらって、クロスのたるみは部屋の換気をこまめにすることにしました。

除湿機やエアコンの設置も考えましたが、あわてて判断するのはやめました。

ただし、サッシの結露は病気の原因にもなりかねないので掃除しておいたほうがいいようですよ。

後日談はまたお知らせします。

スマートフォンの時代

スマートフォンていうのは何?なんて恥ずかしくて訊けない。

携帯電話がデスクトップパソコンの外出持ち出しようのようになる時代が早く来ないかな・・・なんて考えてパソコンショップで雑談していたのが数年前。

ところがすでにその頃、日本以外の外国ではすでに存在していたと聞いてショック、日本だけがガラパゴス状態だったとか。

昨日だったか作品データ提供している『建築ブックマーク』の関さんからスマートフォン用のHPを作って近く公開されるとの電話があり、これもガラパゴス状態の町、揖斐川町に居てハッと気ずかされた、・・・知らないうちにすぎはら設計さんの作品もスマートフォンで閲覧できるようにしていただけるようになるんだと・・・・

なんと最近ではPCよりスマートフォンからのアクセスが多いとか、知ってました?

2011年、正月から大切なものを拾ってしまった気分! 

皆様、本年も宜しくお願いします。

エコハウスと住民参加

省エネ住宅や気密断熱住宅が業界用語にしか聞こえなかったのですが、エコハウスなんて言葉が飛び出してきました。

エコポイントがマイレージくらいの市民権を与えられたような印象を感じます。

たとえばサッシを内側に取り付けて二重にすると1万5000ポイントだそうです。

夕べも民放で言ってました、500万円に対してある自治体では150万円相当のエコポイントが帰ってきます・・・なんて。

こうなってくると補助金なんて面倒くさい手続き手数料ですべて吹き飛ぶ印象から脱却、主婦層やOLにも浸透しそうで民主党さんがんばって!!です。

住宅がハイブリットカーに見えてくる。

だけど喜ぶのはハウスメーカーだけかな?揖斐川町(私の住む町)の工務店さんはどう考えているんだろ?
後ろ向きでなく明るく受け止めてやって欲しいんだけど、相変わらず行政の援助なんて考えないで。

小泉元総理が自民党をぶっ壊すと一種の住民参加の選挙を訴えたのはもうすでに過去の出来事。

実はとっくの昔にひび(建築ではクラックといいます)が入っていたのを今更ながら気がついてどうするの。

地元の行政に意見メールを送ってもちっとも返事がない、返信しないならご意見くださいなんて書かなきゃいいのに・・・結構いいこと言ってるのに・・・これにもエコポイントつけてくれない?

民主党さんは選挙期間中のインターネットによる選挙運動を禁止した現行法を改正するらしい・・・・何?今頃何言っているんだろ?

これでは自民党さんが住民参加をいくら訴えても壊れてしまうはずですよね。
かの行政は年がら年中選挙運動期間中と勘違いしてんだ、そういえば更新頻度が低いもんね、返信がないのも変な風に納得してしまう。

またまた企業献金でもめてますが一人一人から政治献金してもらうシステムを法律化してしまっても今ならちっとも不自然でない気がする。

そんなことを単独で実行している国会議員さんもいらっしゃるようですよ。

肝心なエンジン的人物が渦中にあってはどうなることやら、ネットで献金なんてオバマさんの得意分野なのにどうして後を追わない日本の政治家は?

今回だけは自民党流にやってみてはどう?

地元の政治の流れは自分が生きているうちに企業から住民本位に変わっていくのか不安な雲行き、相変わらずレベルの低い選挙運動の噂ばかり、あくまで噂ですが。

私はエコハウスなんて20年くらい前から取り組んでいるのに、(ここが一番言いたいこと)知ってくださっていたのはホームページを閲覧してくださった皆さんだけでした。

インターネットと住民参加、企業献金から住民の直接献金、エコハウスと環境配慮、25パーセント削減とハイブリットカー、太陽光発電。

底に流れているものはみんなひとつ、方向も同じのような気がしますが。・・どうです?

改正は返して?

年金問題と医療保険問題の話題で世の中もちきり、騒ぎすぎて騒がなくていい人まで騒いでしまっている。

建築基準法の改正がもたらす不況問題や道路特定財源の問題にしても、どうして蜂の巣を突っつくような後ろ向きの話題にばかり注目が集まってしまうのでしょうね?

いままで隠されていた問題を白日のもとに晒してみんなで考えることには賛成です、日本の国が大人の国に生まれ変われるかの境目に来ていることの証拠ではあるのですが。

それにしても物事の本質がどこにあるかを惑わせるような報道はいただけません。

建築基準法を改正して、具体的にどんないい世の中にしたいのか?(単なる弱いものいじめか)

医療保険を見直すことは、人の健康にとって何がいいのか?(そんなのあるわけ無いか)

道路特定財源の闇の部分を暴いて無駄ずかいを少なくすることは必要に決まっているのですが、どうしてそれを許してしまったのか?(どうせ品の無い既得権者のみなさんがなし崩しにしてしまうさ)

なんでもいいけど、そんなの関係ない!

健康は住まいの設計を考え直すという切り口で、問題解決にならなくても自分の力で近づけるということ・・・・分かります?もっと前向きに建設的に明るく切り替えましょうよ。

「室内環境に力点をおいた設計をしてください」と設計者に注文をつけるだけです。それは。

どうせ政治家さんや官僚さんのやることでは何時のことだかわかりゃしないに決まっている。

建築基準法を改正して新しい資格を作れば何とかなるという結論が甘すぎる、安直すぎる、過去に何度と無く繰り返されてきた、あきあきしてしまう手法。

そしたらこちらはそれを逆手にとって専門家の差別化、スキルアップで報酬を上げちゃうぞ!!!

明るく生きましょうよ。

建築に注目が集まるのはいいけれど

建築基準法改正不況という言葉まで囁かれる様になってしまった準備不足の改正法施行。

誰がそんなに急がせたのでしょう?野党勢力でしょうか?官僚の読みが甘かった?

東大を卒業していらっしゃってもこんな程度の混乱を引き起こしてしまうのだから、構造計算の一つや二つ私たち凡人が間違えても許してもらえないものでしょうか。

だって不況を招いてしまった責任は誰が取るんですかね?
また「すみません」と記者会見開いてそれでおしまいですかねー。

失敗して恥かき話を平気で全国ネットに載せてしまう時代においては、本当に個人個人の責任が重くなってきますよね。

あの人ならば信頼できるからと全権お任せなんてのは古い時代の考え方になってしまいました、建築基準法はもちろん、世の中の出来事に関心を持って生きていくのが当たり前の世の中になりました。

フランスでは国の政治に全ての国民一人一人が真剣に議論しているそうです。

日本人も「難しいから頭のいい人に任せておくよ」なんて言っていると知らないうちに時代から置いてけぼりになってしまいます。

自らの身を託す住宅も然り、振り返って考え直すときが来ています。

社会保険庁は救いがたい

社会保険庁の話題が毎日報じられているにも関わらず、怒りをブログに書き綴る時間が無くてムズムズしていました。

それほど忙しかった(過去形)この数ヶ月でしたが、社保庁の職員さんのように無駄な時間ではなかったのは救いです。

組織の中では常識化していた保険料の横領のような行為は、内部ではごく当たり前で通っていたに違いありません。

これに似た組織のあり方が、実はどこにでもあるのではないでしょうか。

道路特定財源のように、「国の隅々にまで道路を平等に使える」の大義名分を振りかざして、平気で私物化されている国庫金はいくらでもあるのでしょう。

どこかでボタンを掛け違えてしまった社保庁。

保険料を毎月収めていれば、必ず国が助けてくれるはず・・・と信じて疑わなかった自分がバカでした。

いくら自己責任の時代とはいえ、国が個人を裏切るところまでは考えたくは無かったはず。

ここは、銀行を救ったように、よく分からない審査基準で名寄せなどしていないで無条件に一律一定の基礎年金部分は、全て国が責任もって負担しましょうということにはならないでしょうか。

銀行は救えてても個人は救えないのでしょうか?

改革実行力

今回の参院戦の結果はある程度予想できていた。

なんて書くと建築設計の世界から離れるようですが、世の改革を望んでいる人間が思っていたのは、キチッと改革が進んでいないように感じていた、もしくは進んでいたのなら見えるように説明がなかった。

そんな状況で民主党が安部政権の改革ではなく、民主の改革はどうですか?

そう問われると、「民主でもまあいいか」と思ってしまうような状況にあったのだ。

建築申請も偽装事件に端を発した6月21日よりの新法のスタートは、官民問わずに彷徨っているようです。

私の場合、他人事ではないのですが(現に困っている物件を抱えています)、それが自分に対して不利な立場へ追い込まれていくにしても(あくまで建築主に対して)甘んじて受けなければならないと自覚しています。

これがチャンスとばかりに建築主さんに対して建築、特に構造の大切さを説いています。

これが自分で出来る範囲での「改革のお手伝い」であるようです。

それにしても同世代の安部さんに踏ん張って欲しいと願うばかりです。


年金記録漏れは誰の責任か?

ここのところ大騒ぎの年金の記録漏れ、保険の不払い、などなど。

国の機関は絶対だと信じていたのに、疑う余地も無かったのに、何たる有様。

大会社の傘下にも入れず無力でどうしようもなくイジマシイ生活を強いられる建築士のおじさんは目が点になっています。

大きな組織の力にも頼る術もない建築士、個人の力、自分の力のみを信じて生きていかなければならない建築士。

どこの誰だか知らない東京の建築士が犯した犯罪のおかげで、否応無く大改正される建築基準法と建築士法にあきれ果てて従うしかない岐阜の田舎建築士。

それでも何とか、自分だけでもコンプライアンス、意地でもコンプライアンス。

もし法を犯せば生活もままならない状況に追い込まれる建築士が腹がたつのは、年金を預かってくれているはずのお役人が、すみませんで済むのかよ?

政治家のおじさんもテレビでお互いの欠点を笑いながら指摘しあって視聴率を稼いでいる暇があったら、議員年金でも自分たちの給料でも削ってお返ししますとどうして責任を取らないの?

どうして建築士だけがコンプライアンスなの?

パンドラの箱を開けたくらいではない、ひっくり返して分解してしまった政治家さん?

あなたたちの行動を見ながら、今育ちつつある将来を背負う子供たちに恥ずかしくないの?

恥ずかしい分けないよね。これも地球温暖化の間接的仕業と逃げてしまうか。

定規がないと線が引けない建築士にはどうしても理解できない。何とかしてもらわないと刑務所に入れるぞと脅かされても税金も出したくない。

これだけ書いてもちっとも気が晴れない・・・・・


言葉と住まいの設計

ハードで重いバックミュージックに乗せて聞こえる透明感のある歌声、シンプルでダイレクトに伝わってくる詩。

昨日不慮の事故で無くなった坂井泉水さんの詩は自信も言ってみえたように、歌詞を大切にした歌声はバブルの崩壊にあえいでいた時代を清涼感で包んでくれていたようにも感じました。

私の世代でも車の中には彼女の歌声の詰まった「カセットテープ」が何本もあり、まだ最近も楽しんでいました。

詩を大切にする、言葉を大切にするということは設計にも言えることです。

果たして自分の住まいがどのようになってゆくのかを知る場でもある設計打ち合わせでは、どのような言葉を使えば意図が伝わるかを考えさせられる場でもあります。

職業の癖でしょうか、つい理屈っぽく専門的になりすぎてしまう説明を、坂井さんの詩のようにシンプルに確実に伝えたいものです。

何年たってもうまく伝わらないものです。


公共工事の入札辞退者が300件以上?

今日、日曜日の朝に見た国営放送の特集番組です。

愛知県で話題になった公共工事の談合問題に関連して、公共の工事予算が毎年減少していることもあり、入札辞退者が相次いでいるということに関して、その原因と対策事例を特集していました。

過去の入札では予算の提示も無いまま入札をされていたのですが、最近は工事予定金額をあらかじめ公示されているのが多くなりました。(最近の経験では予定の金額さえ公示せずして行われたことがありましたが、何か統一感のない考え方です)

番組の中に現れた建設会社では、提示された予算で赤字が出ないかを検討のうえ、赤字になるという結論にもかかわらず役所との関連もあり、予算よりちょっと低い札を入れられました。

さらに低い落札者があり、結果は入札できなかったのですが、「赤字になると分かっている工事を粗悪工事に震えながらやるより、落札せずに済んだだけでも良かった」という感想でした。

経営的な事情は各社各様でしょうが、公共工事の受け側の姿勢はこれでいいように感じました。(・・・当たり前のことを言っていても当たり前に聞こえないのが笑えてしまいます)

経営的技術的に自信のある会社がいわゆる「頑張れば」いいのです。

公共工事の「おいしい」ところを守ろうとする既得権や団体の存在が工事を粗悪なものにしていると考えたほうがまともです。

設計の立場での入札でも同じです、だだ予定の予算と工事の内容をしっかり伝えないまま、短期間で稲妻のように実行される入札に出くわすと、どこかで不協和音を発している音源の存在を感じます。

それが大人の世界だと言った人がいましたが、どこに大人の世界があるのでしょうか?・・・大人のほうが子供っぽいですね。


建築士は悪人か?

今年の6月の建築基準法の改正内容をご存知ですか?

といっても建築の設計を職業としている関係者だけが騒いでいるだけですが、どうしても許せない大きな一点があります。

それは良心に基づいて設計を毎日進めているつもりなのに法令自体が性善説ではなく性悪説を前提にした体系に変えられてしまうと言いたい内容になっているからです。

ピアチェックという格好のいい言葉で表現されているようですが、法改正前までは構造計算を審査する例えば役所の構造担当者と設計者としての一対一で計算方針を議論してお互い確認しあえば審査は通過しました。

ところが法改正後からはさらに第三者機関に適合性判定と称して構造計算の審査を受けることになります。

もうすでに法改正前夜ということでその予行演習かのようなチェックが開始されている行政にも出くわしていますが、ほとほと時間が掛かることには困り果てています。

厳格な審査をした第三者はその意見に責任を持ってくれるのでしょうか?

適合性判定に要するお安くない費用をなぜ建築主に負担させるのでしょうか?

なぜ評価認定ソフトを使った構造計算ならば費用が安価なのでしょうか?

設計監理者という立場に何をもって資格を認めているのでしょうか?

このような厳密な審査を受けなければならない建物規模のボーダーラインが柱間隔6m以上というのも困ったものです。

何故かと言うと公共性の強いものだけでなく小規模なものまでもその対象になってしまうからです。

専門家にしか理解できないような話題で恐縮ですが、問題山積みのままで規制強化だけに走ってゆくやり方は賛成できません。

設計者も意見を持ち選挙権を持つ個人であり国を支える納税者であることを忘れずに、
設計者一人一人に対する評価の方法を法的に盛り込んでいって欲しいものです。

また建築主の意見を代弁する設計者ではいられなくなってしまうのは困ったものです。


今回の地震は大丈夫でしたか

前回、免震構造について感想を書きましたが、直後に石川県の地震が発生してしまいました。

輪島は学生時代に旅行したことのある思い出の地です。

地域的にもいたし方ないのかもしれませんが、またもや古い住居に被害が集中しているようです。

壊れた絵を見せつけられると、悲しい悔しい思いと同時に耐震補強という言葉さえ情報として耳に入っていなかったのかと考えざるを得ない状況にも空しさを感じてしまいます。

今回はちょうど日曜日の朝の出来事で、自分のパソコンで名古屋市内の道路網をプリントアウトしていたときに揺れ始めました。

感覚的にいつもより長時間揺れたため、直感的に「今回は大きいぞ、近いぞ」と思いました。

地震が起きる頻度がますます短くなってきており、それに比例するかのように書店で耐震補強について触れてある建築雑誌や参考書を衝動買いしてしまいます。

笑い話ではなく同じ本が2冊になってしまっています。・・・・ごく最近のこと。

自宅の幾棟かも手を加えなければ・・と毎日のように考えています。

みなさんは大丈夫ですか?


黒川記章さんと選挙に思う

黒川記章さんとは同じ建築の設計をやっているという共通点以外は縁もゆかりもないのですが、最近、都知事選に立候補されてからテレビのインタビューや討論番組で何をおっしゃるかが興味深くって毎日気になります。

いろいろな事情があって立候補をされているようですが、黒川さんが書かれている本などから想像していた彼の毎日の動きからは都知事としての幅の広い仕事を全てカバーできるとは思えないのです。

あくまで本を読んで知っている範囲での話ですが。

それよりも気になるのは、言動を見させていただいていて大建築家としての見識がこの位のものだったのかと歯痒く感じてしまう寂しさです。

同じ設計を生業にしてらっしゃるあなたはどう感じられますか?

どのような仕事も同じだと信じていることは、自分の専門分野、たとえば建築設計というフィルターを通じて建築設計という言葉で建築設計という武器で、世の中に意見を発表してゆくという道が本来の自己実現であるように感じました。

もっとも黒川さんは石原都政を阻止するのが目的だとハッキリ主張してみえますが。

このところ建築の設計者は世の中の注目を集めている中、我ここのありと張り切っておられる姿はやはり尊敬に値します、その意味では応援したいものです。

金融自由化と建築の世界


年収100万円で楽しく幸せに生活する本

最近は債権、投資信託というような建築の技術的な世界から発想を変えてみようと金融関係の本を読み漁ってみています。

住宅金融公庫融資もローンを債権化して運用するという今までの安定感を連想する感覚からはかけ離れた世の中になり、これはなんだろう?と疑問を持ったのが発端です。

フラット35なんてネーミングはよく耳にされることでしょう?

金融の世界は面白いほど様変わりしてきたようです。

厚生年金というのは国が個人の人生を保障してくれるということのように捉えていましたが、なんと401kなんて老後の年金を投資運用しておこうという発想です。

銀行では預金、投資信託は信託会社、保険は保険会社、など金融機関ごとに扱える商品が法律的に固定されていた時代は過ぎ去ったようです。

上場できない小さな会社は事業資金として銀行から融資を受ける以外に生き残る道がないという時代が過ぎ去ってゆくのとイコールのようです。

預金率の高い日本人にとってゼロ金利は確かに痛手ですが、建築の世界が相変わらずの古臭いしがらみに縛られているのに、金融の世界では大きな変化が起こっていることに羨ましさを感じています。

確かに建築の専門性を問われるようになってきてはいますが、ただ規制のための規制になっている思いが強いのは私だけでしょうか。

宮崎県知事と建築屋さん



センセーショナルに報じられた宮崎県知事選ですが、皆さんはどのように捕えてみえますか?

長野県知事の例もあり、焦っているのは与党さんだけでしょうか。

タレントさんは人の心を掴むのがお上手なのでしょうか、それにしても不祥事を受けての選挙とはいえ演説がお上手なのには驚きました。

間の取り方や言葉の使い方はあくのない小泉さんみたいです。

現首相よりずっとお上手だとは思われませんか?

個人的には大歓迎です。

こんな知事さんが現れるくらいの出来事も、その結果も受け入れてしまうような懐の大きな国になって欲しいものです。

あるインタビューで地元の建築業者さんは「知事さんは建築をご存じないですから勉強して欲しいものです」と辛口コメント。

それを聞いて思ったのは、当然勉強はされるでしょうが時代の流れを勉強されるのはあなたのほうではないでしょうか?

相変わらずの専門バカのようなコメントに恥ずかしい思いさえ持ちました。

かく言う私も勉強しますが。

ゼロ金利政策見直しと設計事務所



最近、マスコミで報じられた日銀の利上げの話。

ゼロ金利はすでに解除されているのですが、意外と世間は冷ややかに眺めていたようです。

その証拠に解除された直後に長期金利が敏感に反応しなかったとのこと。

日銀が徐々に金利を上げてゆくという流れが建築の設計者にどのような影響を及ぼしそうかということを考えてみていました。

それ以前に金利が上がるということは、世の中がどのように変わるのかということ、もっと具体的には企業の投資意欲が出てくるのか、消費行動が盛り上がってくるのかなどの見解を日経新聞関連の書籍で読み漁っています。

まるで設計とは関係なさそうなことなのですがこれが結構面白いのです。

普段触れることのない経済用語には実はよくお世話になる。

建築主さんと契約していただく建設会社の公開資料を呼んでいるときなどは、この意味をもっと深く理解できたなら・・・と勉強不足を後悔しているのですが。

それにもまして経済の大きな流れが変わろうとしている今、小さな弊社にも重要な動きが必要に思えます。

あなたはどう考えますか。興味ないですか。

オープン価格と設計事務所



同業の方には強烈で皮肉っぽいタイトルになってしまいました。

こうも言いたくなるような設計料で役所と契約を結んでしまう設計事務所はたまに現れます。

決して後ろ向きに批判を目的に書いているわけではないことを前置きしておきます。

発注者にとっては予算が低く抑えられて良いサービスが得られればそれに越したことは無いはずですから。

そんなことが起きたときに残念なのは、経費が出ないからと手を抜くこと、それではいけないと次からは談合してしまおうと画策すること。

いつも思うのは、赤字が出そうならば辞退すれば良い、無理して契約してしまわずにお断りすればいいのに・・・ということです。

背に腹は代わらないからと赤字の仕事に挑んでも、残るのは空しさばかりです。

最近はこれを称してオープン価格と言うのかなー・・・・と考えることしきり。

もしこれがオープン価格であれば、自然発生的に適正なところに落ち着いていくのではないかというかすかな期待も持っています。

そんなことを考えてばかりいて暗くなっていくより、非現実的でもいいから、どこかのコンペで拾ってくれないかと慎ましやかな夢に酔っているおじさん設計屋でいたいと思っています。

家庭のあり方とありよう


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今日はこんなことを思い立って書いてみました。

「家庭のあり方」というと家庭はこうあるべきだ、と一定の形を思い浮かべてしまいます。

これに対して「家庭のありよう」というと家庭のありかたはいろいろあっていい、というような寛容な受け取り方を感じます。

最近次々起こる悲惨な家庭問題や教育問題を耳にするにつけて家族をもつ一員としては気になることばかりですが、当然ですが根本には家庭家族というものがあるのです。

家庭のあり方をこうあるべきだと形を限るように論ずるより、家庭のありようを、こんなありかた、あんなありかたもあるという切り口で考えてみるという、いろいろなケースを大きく捉えるところからスタートしたほうが糸口に入っていけそうな気がする。

一体全体どうなっているんだ、それではおかしい、それは普通ではない、そんなことはありえない、と全否定からスタートして、それはこうあるべきなんだ、こうするべきなんだ・・・と答えを探す感覚は事の重大さが分かっていない人々、外野席で怒鳴っているばかりで現在問題の渦中にある人々には声が届かないのです。

おきた事を何があったのかを具体的にひとつひとつ丁寧に聞き、大人である自分の育ってきた過程や時代、経験とその頃の思いを思い起こして照らし合わせる作業を根気よく繰り返してみること。

時間軸で過程、そして家庭のありようを点検してみること。

人の顔が全て違うように家庭もありようは違います、そしてそれを認める受け入れるポイントを探すことが重要なように感じます。

ありようというのはその家庭内では問題視するほど事ではない場合もあります、だからありようから、その家庭だけのあり方を発見し認め合うという寛容さが欲しいものです。

これは問題解決の糸口発見の手法というだけでなく、家庭内でのひとりひとりの関係にも同様です。

家作りにも同じ視点でそのプランを決定してゆく場面があります。

それはご両親に「お兄ちゃんがどうしても部屋が欲しいといっているので何とかお願いできませんか」とご本人の意思表明をお聞きしたときです。

こんな言葉をお聞きすると、これが本来の設計であると考え方を振り返って修正に汗してみます。

昨夜の夢物語




子供の頃からよく夢をみます。

いいおじさんになって何を寝言いってるの?・・・ですが。

ほとんどの人が夢をみているのだけれど、ほとんど朝起きると忘れているのだそうです。

昨夜は久しぶりに覚えていました。

それは、自分の作った住宅に泊めてもらった夢でした、それも子供と一緒に。

あのプランは確か揖斐川町の北方に完成した「私の北方住宅」の2階の北西隅にある子供室でのことでした。(夢の中で)

床についてもう眠ろうかと子供と話していると、下からご家族の話し声が聞こえてきた。

そこでふと思った、1階の話し声が聞こえるのだから2階の話し声も1階で聞こえているのかもしれない。

内容まではもちろん不明確で聞き取れないのだけれど・・・

果たしてこれは住宅の性能としてよしとするか否か。

家族ごとの事情に応じてきっと二分される価値観ですが、概ね良しとするのが私の考え方です。

もちろんその音が構造上の不備が原因であったならそれは論外ですが、ネダレス工法の床でしかも気密をキチンとやっていると平面プランによってはその可能性はあると。

子供が親の話し声をうるさいと感じても感じなくても、家族の営みに任せてよい程度の事柄。

住宅の性能を数値で争う紋切り型の説明を加えること、それに固執するコマーシャル、何か渇きを感じてしまうのは私だけでしょうか。

・・・・夢の中でそこまで突き詰めて考えていたわけでは無いのですが、これだけの出来事にも何かしら教えられたのを気がつき、書き残してみました。

雪は景気対策




私の地元、岐阜県の揖斐川町の去年の冬は大変でした。

何が大変かといえば、積雪のことです。

今年は暖冬で、今日12月20日でも屋外での仕事があったのですが、寒いとは思えません。

2004年に完成した住宅のデッキテラスで建築主さんと雑談を交わしていたのですが、むしろ気持ちが良いほどの気温でした。

戻りますが、昨年の冬は本当にたいへんな豪雪でした。

あちこちの屋根や庇、カーポートが雪の重量に耐え切れずに落ちたり潰れたり、穴が開いてしまったり、まだまだ不景気の風の中にあるこの地方の職人さんたちに、思わぬ景気の風が吹きました。

1年が経過しようとしている今でも片つかない仕事がいくつも残っているようです。

今日この頃の暖冬は職人さんたちに早く片付けろと忠告しているように思えてきます。

良い子、悪い子、普通の子。



先の自民党総裁候補3氏を「いい子、悪い子、普通の子」だそうです。

吉田茂ゆずりの断定的ものの言い方の人、理路整然としていて出来上がってて印象的でない言い方の人、・・・・・と思います、早口で親しみはあっても頼りない語尾のはっきりしない言い方の人。

やはり小泉節のアピール力には負けてます。

それにしても「いい子、悪い子、普通の子」には思わず笑ってしまいました、失礼。

こんな場面から以下のようなことを連想してしまいました。

設計監理者が存在する現場も何か似ている部分があります。

「いい子」は建築主?「悪い子」は工事担当者?、「普通の子」は監理者?。

こんな人間関係(現場での役割分担でしょうか)で運んでゆくと良い現場が残ってゆくようです。

いい子(良い子かな)と悪い子しかいない現場はケンカになったら収集がつかない、いやケンカにもならないかも・・・これも困った結果なりそう。

それぞれの思いや考え方をぶつけ合える環境がまずあること、そしてお互いの立場を100パーセントでないにしろ理解し合えるが、妥協しすぎないこと。

難しそうですが、建築の監理では、いい子、悪い子、普通の子が揃うと良い現場が残せそうです。

家庭と過程と仮定

最近は毎日子供が自殺したり親に殺害されているようですが、どうなっているんでしょうね。
これだけ続くとテレビのニュースを見るのも気が重くなります。

家族の役割を考える以前に、その形自体が消えてしまっているのではないでしょうか?

ゆとり教育がまずかったからと教育基本法を改正するんだと大騒ぎしているようですが、その前にそのことを思い起こす必要があるのではないですか。
政治家はこれが教育を見直す第一歩と仮定しているのでしょうか?
あまりに不透明感を感じます。

子供が育ってゆく過程で、家族の絆というものをどういう形で育てるかを考えておくことが大切です。

家庭の役割は、子供の育つ課程を家族がどのように見守り、導いてやるかが大きな役割と考えています。
これは言葉にするほど簡単なことではないのですが、毎日の小さな努力の積み重ねを惜しまず始めましょう。

住宅の設計を考えるうえで、現場監理を進めていく上で、家庭を空間として育む家の作り上げられた物理的価値も重要ですが、同時に作ってゆく過程を家族全員で意見交換して見守ることの価値を見直す必要を改めて感じます。

構造計算は何のため・吹き出した計算書偽造問題・その2


テーブルランプ アクア


ここのところ、某流通センターの構造計算をすすめています。

面積は1800m2位ですが、構造はいたって単純、どちらかといえば意匠屋の私にも計算ソフトを使えば出来てしまう内容のものです。

昨日の新聞ネタは姉歯さんが偽装の事実を認めたとか何とか。
かの不動産屋の元気のいいおじさんはどんなんになったの?

ハッキリさせてもらわないと今日やらなきゃならない計算をすすめる気にもならない・・・のです。

何故って?

民間の審査機関さんは審査の再計算に2ヶ月欲しいとのたまう始末。
確認申請がおりるまで3ヶ月待って欲しい・・・なんて社長さんに言えますか?

同じ立場の経営者としては「とてもじゃないけどそんなに待ってちゃビジネスチャンス逃しちゃう」と断ってもらっても仕方がないと同感してしまいます。

何なんでしょうね、この歪み、捻れ。

かの事件は設計者が施工者に使われたことからおかしくなったんです。

設計者の独立性をもっとハッキリ法的に位置づける必要を感じます。

硫黄島の激戦と住まい




昨日の深夜、NHKのスペシャル番組を目が冴えてしまっていて長時間見ていました。

先の大戦での硫黄島の激戦の凄まじさをあらためて見てしまいました。

お盆の頃はこの手の番組は数多くありますが、生き残っておられる方の証言と死亡者のデータ、元アメリカ軍人の証言、島内を隈無く彫り巡らされた日本軍の基地の調査平面図。

それらをベースに語られてゆく激戦の様子を見ていると、何がなんでも戦争はしたくないと感じざるをえません。

小泉さんが何故靖国参拝に拘っていたか。

これも彼の生い立ちと経験を聞いて、ひょっとして彼は任期満了を前にして私たちに財産を残そうとしたのかも知れない、と尊敬の思いを持ってしまいました。

日本軍兵士の塹壕内での様子を知るにつけて、現在の幸せを振り返ると同時に、現在の一般的な住環境のすばらしさを思い直す必要を感じました。

忙しいという愚痴




日々多忙なり、どこかで聞いたことのある文句ですが人間贅沢な生き物です。
本日は本来のブログにしてしまいました。
忙しいということは社会から信頼を得ているということであって、収入が増えるということにはならない。
設計という生業を20年以上続けていると収入が増えないことなんか気にしていたら生きていけるわけないんです。

ということは現在不況を乗り越えて生き残っている設計屋さんたちは、みなさんあきらめの産物のような存在、顔にみんなあきらめのにじみ出たおじさんばかりでしょう?
何故か妙に納得してしまう・・・・

健康で忙しく、毎日ぼやいてばかりいるのが幸せな証拠かもしれない。

設計者を決める方法・その3


スタンドランプ ベース


今日も昨日も報じている、かの偽装事件。
もうこの書き出しで内容が決まってしまいそうなほど誰もが知っている話題。

お陰様で建築士の資格を持つものの肩身の狭いこと極まりないです。
住まいを計画される方にはハウスメーカーも町場の工務店も設計事務所も全て同列にしか見えてない現状で、いくら先に設計者を決めなければ始まりませんよ・・・なんて叫んでみても犬の遠吠えにしか聞こえてないんじゃないでしょうか?
ものすごく悲観的になってしまいますよね御同輩諸君!!!

何でも多様化の時代と言われるようになってから久しいのですが、住まいの考え方も建物の種類も多くなりすぎていえづくりを考えていらっしゃる方々にはお気の毒なくらいです。
楽しみなはずが、どの工務店かハウスメーカーかを選んでいる間に多くの時間と労力を投資していただかなければなりません。
そうあるべきなのでしょうか?

いろいろなお話しを聞きすぎて「もういいや」とサジを投げたくなって、まさに「無」の境地になったとき、悟りを開く・・・・
多くのかたのお話しを聞いてきた小生としては、その方が今どの段階かが解ってしまうのです。

いえづくりも工法や性能、デザインを争うのではなく、パートナーとしてお伴するサービスを提供していけると設計事務所の存在は重要なケアサービスとなるんでしょうね。
こんな切り口で仕事を進めています。

義務教育に建築学を入れてはどうかな?


スタンドランプ(アップル)


メール投稿をいただいたわけではありませんが、ある雑誌で表題のような記事を見かけてまさに同感です。
「国家の品格」なんて本がベストセラーに上がってきているようですが、誇りもかなぐり捨てたような事件が次々に起こるようになってしまったこの国を思う大人の一人としては、戦前を彷彿とさせる思想教育よりも、建築学を子供たちに覚えてもらいたいものだと感じます。

歴史という科目がありますが、建築学にも建築史という歴史学があります、のみならず数学にも通ずるそしてものずくりにも関わる構造力学、法のあり方も考えなければならない建築基準法など、人間が住まう原点を人間の行動や寸法、思いまでもバランスを欠く建物は成り立ちえない。

日本の成り立ちを日本書紀からスタートして中国や韓国を刺激し続けてきた教科書問題より離れて、建築学という穏やかな響きの中で、自分の手でものを創るという子供たちが忘れかけている面白さの中で、この国に生まれたすばらしさや誇りを教えたら殺伐とした事件が減ってはくれないでしょうか?

今日はある雑誌を見て沸々と思うところがありました。

名義貸し?名義瑕疵?


スタンドランプ(アップル)


昨日のテレビニュースは衝撃的でした。
建築士の名義を貸すなんてカスです!瑕疵か?

いつも思うのですが、確かに生活のためという大命題は存在しますし家族を守るためには仕事は崇高な行為でもあると思います。
学校で教えてもらったような建築を生業にする者の道徳というか基本的レールを脱線してはいけませんよね。

ただ、その基本を狂わせるような波を社会が次々と発生させているのも事実ですが。

それは仕事を確保しようとする方法にその病原といってもよいようなものがあるように思います。また世の中を斜めに見たような形をとらずに正当な形をとってゆきたいと常々考えています。

波を被ってもちゃんと立っていられるような建築士としての自立心を確立していないといけないのでしょうね。それには学生の頃に味わった建築の面白さを思い起こすことから始まるのではないでしょうか。

挟土秀平と千成寿司の波紋

《3/7(火) プロフェッショナル仕事の流儀〔挟土秀平〕 全国【NHK総合】start 21:15》 が放映されたからでしょうか、1日に1357カウント、ホームページの《千成寿司と挟土秀平》が閲覧されました。

普段はせいぜい300位なのにちょとびっくり。

以下に内容の掴みだけ紹介しておきます。

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臆病(おくびょう)者でもいいじゃないか

~左官・挟土秀平~

飛騨高山を拠点に置く左官・挟土秀平(はさど・しゅうへい、43歳)。  日本を代表する腕利きの職人が集結した首相官邸の改装では、目玉となる壁作りを一人で担当した。 日本全国で実績を上げてきた挟土だが、現場に立つ姿は、臆病者そのもの。 何度も材料を作り直し、試す。自分に言い聞かせるように「大丈夫か」「怖い」とぼやくウラには、「自信過剰になると、仕事がおろそかになる」という信念がある。 高卒初の技能五輪優勝という快挙で、華々しくデビュー。だがそのプライドゆえに高慢になり、つまはじきにあい、不遇の時代が長く続いた。 プライドを捨て、自分は何もできないとわかった時、本物の職人に近づいた。  「不安」を力に変え、新しい壁を生み出す若きカリスマ、挟土の仕事術に迫る。
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最近、、また北の国でもへんてこな建築士が出てきて閉口していますが、挟土さんの爪のあかでも煎じて飲ませてやりたいものです。

カウント158




私の古い友人のホームページ(まちかどけんちくか)が最近ついに一日の来訪者が158人(頭数で)を達成しました。

今となってはネーミングがアクセスアップには程遠い感がありますが、1999年の2月にアップしてから地道な努力で育て上げてきた可愛い友人です。

ホームページがあるからといって営業効果を約束されているわけではありませんが、これをきっかけに仲良しになれた友人や同胞(もちろん建築主様も)多くはありませんが、大切な宝として出来てきました。

ただどこまでいっても流行の言葉で言えば「自分の中では」趣味の領域を超えることはなく、だからこそ続いているといえるのでしょう。

年相応に硬い言い方をすれば「ひとえに皆様のお陰です」。

ただホームページの効果としては一日にこの十倍の約2000カウントくらいはいかないとマイナーなページなようです。・・・・これがオチです。

読んでくださっている方には、これからも宜しくお願いします。

建築ブックマーク、建築ファイルに「生きたバリヤフリー」を掲載します

真宗大谷派明秀寺が昨年10月に完成いたしました。
伝統形式にこだわりの強いご当地岐阜県大垣市において、ご住職と小生の現代の寺本堂のあり方に現実的使い方や門徒様の意見を踏まえて、将来性ある形を具現化しました。

いつものように、建築家を気取ったような変な派手さを避けて、「みんなに好かれる」「媚びをうらない」デザインと耐震性や室内空気環境の快適さ、体にやさしいバリヤフリーな実質的性能を追求することに重点が置かれています。

内容を読んでみてください。

宗教と住まい・その2

住まいを儀式の場にすることについてブログを読んでくださっている皆さんはどう感じられますか?

病院での闘病生活も空しく、生前は生活の場であった和室に帰ってきて、ゆっくり寝かせてやりたい、そして住まいから天国へ送ってやりたい、という家族の思いが痛いほど理解できた今回の出来事。
それを思い起こすと、それが自然な儀式の形かな、とも思えなくもないのです。

儀式というものについても改めて考え直させてくれました。
故人を惜しむ気持ちにケジメをつけたいという人間としてあるべき姿のスタートを公共施設ではなく生まれ育った住まいの中で、ひとつの決まった行動パターンによって区切りを付けるのです。
宗教と言うより人間の知恵でもあるのです。

姿形は亡くなっても、考え方や意志は家庭の構成員の気持ちの中にも生き続けており、時間が経過してもそのことを振り返るには、葬儀は住まいで行うのが良いのかも知れないと考えてしまっているこの頃です。

ただ、そのことのみを目的とした住まい創りには、少々抵抗感がありますが。

少なくとも、亡くなっても自分の中に生きている肉親を忘れてしまうような、恣意性に偏った設計はしたくないものです。

契約の中身を考える・その9

建築請負契約書には契約約款というのが添付されていますので一度目を通してみてください。といっても細かな文字で法文的に書き込まれていますのでついつい読むのがおっくうになってしまいます。

契約の内容に落ち度がないように、トラブルが起きたときには解決の規範となるようにと建築団体のみならず弁護士団体なども作成して添付を促しています。
人間関係の密接な地方にはありがちなことですが、お互い信用しているからと添付をしないのは絶対やめてください。
また、一度は細かな部分まで読むように心がけてください。

実際に設計監理をしていてよく問題になってくる部分を特筆してみます。
その一つが瑕疵の担保責任です。噛み砕くと引渡後に見つかったような建物の不具合に対する責任の所在に関してです。

たとえば、建具の動きが悪くなったとき、機械の調子が良くないとき、床が鳴るとき、などなど。
こんな場合は引渡書をもらってから最低でも一年は無償で直してくれるはずです。

宗教と住まい・その1

ごく最近、父の急死に直面して喪主という経験したくなくともせざるをえない立場に立ちました。
小生の地元にもご多分に漏れず「揖斐広域斎場」という公共施設が整備されており葬儀会社による葬儀も普及しつつありますが、自治会の運営による在来の形式も相変わらず残っています。

父は地元に永くお世話になっていたこともあり、当然のごとく自治会運営の形をとりましたが、この場合は葬儀の当家(小生の家族)や親類も巻き込んだ協力体制を取ることになります。
小生も当然初めての経験に右往左往するばかりで、周囲の情報を集積して方針ややり方を決めてゆく泥縄状態。
やはりそつのなさにおいてはプロの手には遠く及ばないのですが、父がそれを気にする人間ではなく、むしろ近所の方々に送ってもらったということに喜んでいるに違いありません。

そんな事情があって葬儀会場は自宅を使用しましたが、
今でもこの地方に残る八畳が四つ住まいの1階の西面に配置する伝統的プランにも、この期に及んで先人の知恵を感じてしまいました。

畳というフレキシブルで適度な柔らかさと落ち着きのある雰囲気の素材感、祭壇を組み上げて周囲を飾ったときの会場の雰囲気、親類縁者や地元の方々を収容したときの適度な広さ、通夜葬儀当日の人の動線を整理する便利さ、などなど。

住まいは葬儀の二日間のためだけにあるべきではないとはいうものの、和室のしつらえに込めてきた先人の宗教上の思いや普段の生活への思いが存在しており、プロとして再確認の必要を感じました。

建築請負契約の中身を考える・その8

建築主としては建築請負契約を取り交わした以上は、その内容に従った建物を作ってもらわなくては困ります。

契約の内容と食い違う建物であってはなりませんが、工事の進行過程において無事完成してもらうためにと、それがどこかが思いと違うことを気が付いても我慢してしまうことがままあります。

設計監理者がいる場合は、気が付いた時点で専門家としてどう判断するかの意見を訊いて、工事の見直しを請負業者にしてもらうことを決めることができますが、そうでない場合はもんもんと一人で悩んでしまうこともあるでしょう。

ここで忘れてもらってはならないことは、工事の変更は絶対無理でないということす。

工程が時間的に間に合い、しかも大きな変更とならない場合や軽微な場合、あえて相談してみたらかえって減額の対象になっていたなどということもあります。

すなわち相談も出来ないような肩の凝るような人間関係は作らないことがよいと言えますし、変に契約至上主義の工事業者は避けた方が良いとも言えます。

建築請負契約の中身を考える・その7

建築請負契約で注意しなければならない大きなポイントの一つに契約の範囲を上げなければなりません。
必ず契約の当日にもう一度再確認をしてください。
設計打合せの課程で何度も話題には上っているはずですが意外とお互いの意識には食い違いが生じやすいものです。
ズブのシロートとプロでは用語の扱いが根本的に違っていたり、この程度は軽微なことだからなんとかサービスしてくれるでしょう、とタカを括ってしまわないようにしましょう。
諄くなってもお互いのためですから、煩わしく思わないで誠実に確認をやり直しておきます。
普段工事を監理していて思うのは、小さな確認を逃したために、工事終盤になって思わぬ追加精算にビックリ・・・・という場面があります。

たとえば、電話移転、敷地内配管、屋外の工作物、建物周囲の整地、犬走り、郵便受け、表札、門のインターホン、水道の本管延長や引き込み、などなど、数え上げればいくらでも出てきてしまいます。

建築請負契約の中身を考える・その6

契約の当日、請負契約書を挟んで建築主が契約書を眺める目と請負業者のそれとは違いがあります。

もしもそれが住まいの契約書であった場合には、建築主は工事の完成に夢を膨らませている気持ちと何日にどれだけの金額を納めなければならないかを気にする気持ちが混在する状態ではないかと想像しながら契約書捺印署名に立ち合っています。
ところが請負側の建設会社はといえば、思いのほか同じ当事者でありながらクールな雰囲気で捺印されています。

建築主は契約書の文字面というより文字の筆圧や行間に込められた請負業者の心意気を読みたい気持ちの方が強いようです。

事業用施設の請負契約の場合のお互いの気持ちの食い違いはまたカラーの違ったものなのでしょうが、いずれにせよここが建築現場で起こる種々のドラマの始まり第1幕といった感じです。

建築請負契約の中身を考える・その5

建築物の中身により請負契約の中身、性質は変わります。
たとえば分かりやすい例で言えば、春先のオープンに一大イベントを組んでいる店舗新築と、何年も思

いを暖めてきた住まいを建てるときでは、字面、項目は同じ契約書でも当然のごとく中身に大きな相違

があるのを理解して頂けるでしょうか?

事業達成を目的とする場合、個人の住まいへの夢を達成する場合、それぞれ請け負う建設会社への期待

の種類が違っていますよね。
とにかく予定のオープンに間に合うように設計図の内容を具体化して欲しいというドライな契約に比べ

て、住まいのそれは反対にウエットです。

理屈っぽく言うと建築の請負契約書にも「行間を読む」必要があります。

建築請負契約の中身を考える・その4

建築の請負契約書は出来上がった工場製品を手に入れるときの契約とは大きく違います。忘れがちなことですが、これから時間をかけて具現化する建築物を作ってもらう契約です、入荷するまでちょっと待ってくださいなんて気軽な話しではないとう点です。
「そんなこと分かってますよ」と言われても分かってないことがたくさんあります。
その一つは掛かるお金はどれだけかということといつまでに仕上げてくれるかということは、工事を依頼した施主側も依頼された施工者側も重要なことには違いないので、お互いが契約を結ぶ際にはかなりシビアに話し合いを持つことになります。

しかしお互いは契約の当事者であるという宿命を逃れることが出来ないため、設計と監理を担当する第三者である小生にしか見えてない事柄が幾つもあります。

たとえば、ごく単純に慌てすぎてないか、やみくもに早ければ良いというものではなく(工事担当にとっては早いほうが会社決算期を睨んだ場合有利なときもあります)待つことと工事進行のタイミングにも「旬」があります。

具体的には、自社の他工事の工程都合により契約工程を強引に変えてしまおうという行為に施主の誠意を無にすると判断して、契約金を削減したこともあります。

建築請負契約の中身を考える・その3

請負契約書には一番大切な契約書の他に契約約款と見積明細書、設計図書が添付されます。ここのところが意外と知られていません。
契約書には、契約の当事者(施主と建設会社)が誰と誰であるか、金額と支払時期、工事の工期、お互いの署名捺印などが主な内容です。
どれも一番大切な項目で、これだけで済ます工事業者もいますがそういった場合は要注意と考えてください。
いくら信頼していても内容の明確でない、すなわち見積明細もないようでは言語道断、さらに添付されていたも一式という言葉ばかり並んでいるようでしたらこれまた注意。

ところがこれだけではダメであることが分かりますか?

そうです、肝心な設計図はどうなっているのでしょう?
見積の明細書で内容が書かれていても、それは何が建物に取り付けられるかという程度の意味であって、どういった性能の造形物が出来上がるかが全然不明です。

小生は何回も話し合いを繰り返して煮詰めて製作した設計図書を契約書に添付した上で、さらにそれに書かれている内容を見積より優先させるという形を取っています。
すなわち、設計図に描かれていて見積明細にない場合は図面によって工事をしてもらうということです。

当然といえば当然ですが。

建築請負契約の中身を考える・その2

契約といっても、建築主と建設会社の契約と建築主と設計事務所との契約では大きな差があります。
建設会社とは「請負契約」、設計事務所とは「委任契約」を結びます。
「請負」には完全に実行するという責任の重さが最上級といえます、「委任」とは建築主の代理を務めるという責任に重点が置かれています。

請負契約については、残念ながら、この契約の意味合いを理解しているのかどうかは定かではありませんが、最近のある事件では、完全にこれを裏切った行為を建設会社がしているということです。
法的にはかなりの拘束力があり引渡までの工事の完全遂行のみならず、さらに住宅新法にも規定がありますように雨漏りや構造欠陥については、引渡日より10年間の保証義務もあります。

設計事務所との委任契約は、建築主の代理という形をとっていますので、中間の立場で専門家としての経験を土台に、重大な請負契約を遂行する建設会社の道筋が外れないように監修するわけです。

ここで強調しておきますが、かの「姉歯」さんは建築主と委任契約など結んではおりません、建設会社の下請けとして都合の良い計算書を偽造してしまったのです。
同じ職域の人間として恥ずかしいお話しですが、区別してください。

建築請負契約の中身を考える・その1

本日は某建設会社と施主様との契約の日でした。
想像以上にあっさりと契約正本に署名とお互いの印鑑をつくという短時間の作業ですが、この日を迎えるためには、実は設計者は知られざるかなりの知力を使います。
ご存じない方が多いでしょうね、なにも建物の性能を確保したりデザインを工夫したりの研究者実務者であるだけでは、とても一人前の設計者とは言えないのです。

契約は建物にコストというエンジンを取付て命を与える作業です。
設計図が描けるのは当然で、どれだけすばらしい設計でも現実の建物の形を創り上げることが出来なければ、やはり絵かきさんのそしりを受けるだけです。
意外と知られていないようですが、その絵に命を与えるには、建設会社それぞれが違ったコストの感覚をも考慮に入れて、内容をチュンアップしてあげるのも小生の仕事です。

建築士は誰のために仕事をするか?

毎日が「偽装構造計算」の話題ばかりでもうたくさん!!!
このキーワードを書くだけでブログのカウントが一気にアップしちゃうのかな?

大切なことだけ書き残したくて書いています。

それは「建築士はあくまで建築主のパートナーであるということです。」ただし建築主というのは、住宅であれば住まう人、家族であるということです。

今、騒がれていることは、確かに主人公は建築関係者ですがミスなんて生やさしいことではなく、明らかな確信をもって行った行為であって、泥棒をする気になった泥棒を防ぐのに、刑罰をいくら厳しくしても無駄なのと同じなのです。

毎日黙々と社会の底辺を支えている建築士の世界にスポットを当ててくれたことは、ある意味良いのですが、ドロマルケにしたものを綺麗に洗うには多くの時間が掛かります。
もちろん、これには努力を惜しみませんが、建築士法にも唱われているように建築主のパートナーとして活躍するのがほとんどの建築主の本望であることを大声で叫びたい気持ちで一杯です。

構造計算は何のため・吹き出した計算書偽造問題・その1

ブログも今回の構造計算偽造の問題のような世情を取り上げるとカウントが当然のように上がります。
小生も同様な世界に住む業界人として、ブログのカウントアップの為ではなく、思いをぶちまけたくなってしまいます。

かの構造計算事務所も、ブログで取り上げて欲しくてこんな問題を引き起こしたわけでは当然なく、やはりというか「生活のため」という人間として崇高な事情があったからだったのでしょう。
それが社会の多くの人々の生活をも犠牲にしてしまうということが分からないわけもなく、自分の生活が優先してしまった。
エゴが勝ってしまった結果でした。

そんな心情を察するとつい同情してしまいますが、それでは何がいけなかったかを冷静に考えてみる必要があるのです。

ある構造計算のプロは、世の中のこんなことで大騒ぎして資格のあり方を考え直す時間があるならば、既存の建物の耐震改修を大騒ぎして進めてはどうか、とむしろ逆ギレ状態でした。
いわくは、古い規準で建てられた建物こそ世の中に大きな被害をもたらすことは、以前から自分たちが警鐘を発しているのに、計算屋を大いじめするマスコミや錬金術の道具なんかにするやからに怒り心頭のご様子です。

不景気が空けやらぬ状態が続いており、相変わらずの仕事の取り合いを演じている場合ではない。

せっかく世の中が注目してくれているのだから、ここは建築家の本当の価値、社会的重要性をを叫んで、大まじめに正面から取り組んでいる同胞をきちんと評価してやってくれよと言いたいものです。

建築主とのめぐり逢い・その1

同じ世界に住む設計家の中にも、いろいろな生き方を見ることができます。
設計家の世界は外部からは、ごく少数で特殊、そしてマイナーなようです。
(ただし、小生が覗ける設計家の世界というのは、岐阜の一地方のある団体内での出来事ばかりなので、新陳代謝も人的交流もかなり限られた中での話しですが。)

過去の経験ばかりを頼りに新規のプランを進めてゆくのは進歩がなく耐えられない性格で、食べていければいいとか、長いものには巻かれろとか、付き合いは大切になどという「創る」という言葉とは程遠い、それはまた別の世界と解釈している人間です。

岐阜の端っこで活動していても、毎日のホームページのカウントは300を超える日もあり、これは日本のどこかで、いや世界のどこかで、300の十分の一としても一日に30人は通過しないでいずれかのページを読んでいただけているものと信じています。

それは、同じ世界(団体)にだけ所属して、お互いの意識を高め合うことの少ない環境にはない可能性を持っていることの証拠です。
何かこれは娘たちが夢中になっていた「世界の中心で愛を叫ぶ」でしたっけ「セカチュウ」じゃないですが、「世界の端っこで叫ぶ・・・・」なんでしょうか???

ただ単に開き直って実をとるために、プライドをかなぐり捨てた設計家だけにはなりたくないと思い、自分の生き方を突き通せないかを模索しています。

ほっと一息のメール




小生の作品紹介や会社案内のホームページ「まちかどけんちくか」にも以前紹介させていただいたことがありました。
神奈川の高校生の方からリンク依頼のメールをいただいたお話しです。

高校の学習の一貫でしょうか、建築特に住まいに関するホームページをグループで立ち上げて、コンテストに応募されるについて、小生のホームページ内「次世代のいえとは」を引用し編集に組み込みたいという依頼でした。

もちろん、たいへん楽しくて嬉しいお話しでもありますので、岐阜から遠い神奈川に向かってオーケーサインを送っておきました。

そんな出来事が今年の2月のことでしたが、それから後、コンテストの結果や様子を短文ながら、ときどきメール送信してくれています。

小生にも同年齢の娘がおり、なにか微笑ましい思いで仕事が一段落した夜中にお返事を書いております。

このブログもそうですが、日々浮かぶ思いを書き記すことの楽しさと共に充実感を感じています。

「言霊」という言葉があるように、思いを書き連ねる魂のこもった行為はなにもにも代え難い価値をみいだします。

財産になる家・その1

時代は変わっても変化しない事実は存在するものです、住まいや建築に関することにも多くの変わらない事実があります。

ハウスメーカーや工務店、私たち設計事務所のホームページにさえも、デザインと面積や施工会社、そして工事費を明確に唱った上で内容をアピールしてあります。
確かに建築主予備軍のみなさんは、それらのデータを必要としている方が大半ですが、それらだけでは満足できていないのも事実でしょう。

その理由は以前のテレビと同じで双方向で情報が流れていないからですが、この理由が分かってきても、このラインをどういった形で確保するかも難しい課題ですよね。

小生は小さな設計事務所の経営者ですので、ご多分に漏れずこの双方向ラインの確保の方法論は毎日のように考えています。

分かりやすい具体例は世にはやっているオープンハウスというイベントです。

建築主さんとのコミュニケーションには役立つ古典的な手法ですが、時代に流れでちょっと変わってきたのはホームページを運営できていてネットを駆使できてる会社じゃないと、コミュニケーションがうまくいかず、信用性に欠けているという評価されてきているようです。

そしてそんなコミュニケーションを良好なものにする根底に流れている考え方のキーワードは、小生の事務所では「財産となる家」をイメージしています。

杉原千畝との関係

先週でしたか日本のシンドラーと言われる杉原千畝の物語をテレビで見ました。
何も打合せはしてなかったのですが、何故か知らぬ間に家族が居間に集まって見ていました。

彼のユダヤ人を救った功績を知らない日本人は少ないのではないでしょうか。

ビザ発給という結論に至った事情には単なる人道的な意味だけでなく、彼の個人的な歩みの中から、あるいは性格からも、ごく自然な結論であったことを分かりやすく伝えていました。

人間として立派な行為を自分の名誉や立場まで犠牲にしてまでも実行したことは、仮に現代に起こった出来事にしても「正直者はバカをみる」のそしりを受けることだったのではないかと思います。

救ったユダヤ人に戦後再会したときに問いかけられた「センポーは幸せな人生でしたか」の問いに「幸せな人生でした」と答えた心の内には、信念を曲げずにいた頑な自分へのねぎらいの気持ちと間違ってなかったというご自分の人生訓も有ったのかもしれませんが、何故かしら小生には同姓だというだけで感動を覚えました。

ここで特筆したいのは、その感動が同姓だからと言うわけでは無いでしょうが、正直者ということと、正義感が押さえきれないという共通点も感じていました。

というのも、現場で見つけた工事要領の悪い部分の修正を迫る自分を重ねていたのかも知れません。
こちらは人道というより、もっと小さくてしかも当然のプロ根性からでしょうが。

政治家と政治屋、設計家と設計屋

政治家になっていただく方には、その考え方に妥協は許されずかつ、社会の流れのとらえ方に安定感とバランス感、そして信念をはっきり持っているべきだろうと思います。
いまさら言うべきことでもありませんが、少なくとも長いものには巻かれろでは通用する世界では無いようです。

特に国会議員となると、地方の代表であるということが逆に足かせになる場面が多いように聞きますが、何が本当に自分の地元にとって大切な事柄かは、しっかり考えて欲しいのもです。

岐阜はまだまだ保守色が強いのは理解できますが、その保守の意味が変わってきているのをまだはっきり理解してらっしゃらない有権者が多いのではないでしょうか、特に岐阜は」なんて全国ネットで言われてしまうと認めざるをえなくて落胆してしまいます。
信念を曲げるのであれば、それなりの葛藤が自分の中であるはずで、それを曲げた先の道は自分なりに確信を持って進んでゆける道なのかを教えてほしいものです。
小生にとっては、それは自分を騙すことに他ならないように思いますが。

これをそのまま設計の世界に置き換えるのは乱暴かもしれませんが、仮に自分の設計思想が広く世の中に認められることがなくても、その時点で自分なりの納得できる仕事で、それを全力で取り組んでいるとすれば、建築主様は受け取めて納得していただけると考えています。

設計家として大きな世の中の流れを読み取る夢を抱きつつ、設計屋として施主様の夢を実現することは何かを考える。この両者は決して矛盾しないと信じています。

政治の世界に比べるとそんな生き方の許される世界ですし、その方が魅力有る設計者になれると思います。(こんなのをチャカして「オタク」というようですが(笑))

それにしても、尊敬できるリーダーが骨のある行動をしてないと知るとガックリしますよね。

教室の天井高さは3m?・その2

以前ご紹介しましたが、教室の天井高さが現行の建築基準法では3mを確保しなければならず、それを改善しようと草加市が特区申請に挑んでいるという話しの続編です。
最近の建築雑誌にも紹介されていましたし、テレビのニュースでも取り上げていました。

やはり小生だけではなく、多くの人たちが疑問を膨らませていたんだなと安心しました。

今回お知らせしたいのは、文部科学省の学校指針策定に関する協力者会議が「建築基準法施行令において学校の教室のみに定められている天井高さ3mの最低基準は廃止することが適当である」という中間報告をまとめた、ということです。

これに関する国土交通省の対応を求めていますので、まず改正の方向が見えてきたようです。

建設コストの削減や設計の自由度のみではなく、他の施設からの転用の障害が大きく、これから将来へ向けての人口構成の激変で、施設の転用工事が増加することを踏まえると当然ですよね。

一石を投じてくれた草加市に拍手です。

振り返って、我がまち揖斐川町もそんな自慢できる話題がほしいものです。

弱いものに味方したい症候群

昨日、大相撲では朝青龍関が優勝しましたよね、なんだか知らないけれど涙を見せていましたよね、しかし何か不自然で似合わなかったですよね、小生は一瞬あっけにとられてしまいました。
本人としては苦しい場面があったからでしょうが・・・・

何故かしら強いものには同情したくない気持ちになるヒネクレものでしょうか?
今回は琴欧州が勝つことを密かに願っていました。(彼の人柄に惹かれたのでしょうか)

選挙でもそうですが、いつも負けそうな候補に投票をしてあげています。(内緒ですよ)残念ながらやはり当選しませんが、自分としては充分満足しています、いいことをした気分で・・・・

何でもそうですが、勝利の祝杯に酔った経験を満喫したらそれでいいではないか、さっさと他の人にも味あわせてやれよと思ってしまいます。

自分が大将だと傲って、いつまでも居座る奴は心が汚れてそうで大嫌いです。
傲れる平家久しからずや、ではないですが・・・・

杉原家は平家の末端の末端の血を引いているらしいとある知り合いのホームページから知ったのですが、小生もその血が流れていて今でも源氏に恨みを持っている背後霊が憑いているのでしょうか?

なぜかしら弱い人の味方するのはスッキリします。
今問題になっている悪徳フォーム業者に引っかかりそうになった人を助けました。
助けたといっても、相談にみえた方へのある業者からの塗装見積を見せてもらって、あまりに法外だったので「高すぎますね」とアドバイスしただけですが・・・
でも気分がスッキリしました。

みなさんも注意してください。言葉巧みで上手らしいですよ。

今日はまとまりのないことを書いてしまいました、すみません。

てんでもうかりまへんわ、響きの大きさ

以前もご紹介しましたが、普段が四角四面の世界に住んでいるせいか、吉本芸人のお笑いテイストが大好きです。かのHGハードゲイが住谷正樹という吉本芸人であることはご存じでしたか?

彼のとっておしもないアクの強い笑いに我が家の娘などは大うけです。
気分の暗さを吹っ飛ばす力が潜んでいるのは事実で、毎日堅い授業に几帳面なノートをとっている娘の気持ちを考えるといじましく分かってしまいます。

そして彼のようなとびっきりブレークスルーしてしまうエネルギーで、大阪人の口から出る「てんでもうかりまへんわー」と笑い飛ばす言葉にもまた本当に勇気づけられます。
残念ながら、これに匹敵する岐阜弁はみつかりません。というか岐阜人は堅実で真面目すぎて考えも及ばない領域の感覚で、そんなニュアンスの生まれようのない地方性だと、岐阜人の小生は確信してしまいます。

はっきり言って、設計監理という職域はお金にはなりません。というよりお金にしようとする人には向かないでしょう、そしてお金そのものに価値観をもっていらっしゃる方には絶対この世界には入らないようにいつも忠告しています。
裏を返すと、百歩ゆずってもお金よりものずくりの生き甲斐を優先してとってしまうような人間でないと仕事を依頼した方がきっと迷惑をこうむることになるだろうということは明白です。

この世界を30年以上見せつけられてきて、間違ってお金儲けにこの世界に来た人にはお気の毒でなりません。
そんな人に「もうかりまへんわー」なんて笑い飛ばしながら、赤字と分かっている仕事に立ち向かってゆくエネルギーは出てくるのでしょうか?

この「誘われる平屋」と題した住宅の底抜けに明るい建築主のさんに教わったエネルギーの出し方です。

現場と事務所の往復の毎日

設計事務所経営者の毎日は、現場と事務所の往復で明け暮れます。もしそうでない方が居るのならば、すでに設計という言葉を忘れかけているに違いありません。
実は知り合いにもそれとおぼしき方はおられますが、批判めいた言葉は出しません。

どんなに大建築家でも、現場へ足を運ばせて空間イメージを膨らませて、考え方の触手を建築以外のいろんな分野にも向けて、時代の流れを読み込んだ象徴的な建築物や空間表現を生み出してゆきます。またそれをみなさんもご存じの意味不明な文章で表現されておられます。(意味不明は余分ですか)

現場で起きたいろいろな出来事や思いは、次のステップへの大きな糧になることが多く、貴重なデータになってきました。
設計上の教訓だけではなく、夜中までパソコンに向かうだけの地味な時間がモノクロだとすれば、現場監理は広く人生のカラーリングをもしていってくれる時間なのです。

そんな思いをログに残したくて、自己満足の監理記録を作りました。

是非、読んでみてください。

建築設計者も所詮人の子

建築設計者にも生活があります。ところが食べてゆけないと設計料率ばかりに拘ったり、営業行為(仕事を手中にするための)にばかり走っていたりしていると、本来の設計者としての輪郭が崩れ、一つの設計事務所を率いる立場であるにもかかわらず、自分の仕事に対する意図に一貫性が無くなり、現実の仕事に追われるばかりで、せっかく竣工の日を迎えても建物を前にして空しい後悔に襲われるはずです。

すなわち、その空しさを感じてこそ、本来の姿であると確信しています。

そんな繊細さを持ち合わせていない設計者は、きっと創ることには魅力を感じていないはずで、敏腕の営業マンであることに生き甲斐を感じているはず、設計チームの長としては好ましくないのではないでしょうか。

小生の周囲にもそんな存在がチラホラ見かけられますが、自分の価値観を他人に押しつけるのだけはやめてほしいものですね。

また、考え方がそれぞれの設計者でモザイクのように微妙に食い違っているのも面白いかもしれませんが。

選挙から一夜明けて

衆議院選挙から一夜明けて、小生としては、有権者としては当然の結果では無かったかというのが正直な感想です。
小泉さん自身は期待を上回る結果でした・・・とのことでしたが。

有権者のひとりとしては、何年も、いや何十年も、現状を変えると言いつつ変えることも出来ずに交代していったリーダーとは違うぞ・・・という期待の固まりが、あの議席数を与えたのではないでしょうか。
うやむやにされずに、きっぱり行動に出る彼を突き動かす歴史が後押しをしているようにも感じてしまいます。

(私事ですが、小生の家族にも有権者が2人増えたのですが、彼らも率先して、行ってこなきゃ・・・と投票所に出かけました。)

リーダーの考え方、与党政党の考え方が変わってゆくのは、世の中の考え方、特に小生としては建築に関する事柄についても影響を与えてゆくことに注目をして見守りたい思いです。

設計者を決める方法

設計者を設計費用の入札金額で決めるのは何故でしょう?

と言ってみても、「税金を投入するんだから当たり前だろう」とおっしゃる方が大半でしょうね。

ところが一方で設計行為に対する評価基準に金額の低さを入れること自体何かおかしなものを感じませんか?

工事費は市場という器の大きさがバックに構えていますが、設計の質は設計者の資質と手間のみがそこにあるだけで、工事費とは根本的に異質なものと思います。
小生はこれに悩まされて20年以上が過ぎようとしています。

設計者の評価方法は田中角栄さんが間違えて設定してしまったようにも思います(笑)、最近ではこれを見直そうという動きも見られているようです。

行政に対して無償でのサービスを営業の手段にしている設計者もあとをたたないようですし、これに甘えている側も何か混沌とした悩みを抱えていると聞きます。

「現実がそうなんだから仕方ない」という言葉は今の政治を許し続けてきた「ゆでがえる」のような国民性のせいでしょうか。

今回の選挙は多くのことをカエル(変える)チャンスにしたいですね。
ひろしの自虐ネタ・・・・・

逆住宅ローン



逆住宅ローンを聞いたことがありますか?
リバースモーゲージ(逆住宅ローン)を扱う金融機関がでてきているようです。

リバースモーゲージ(逆住宅ローン)とは自宅を担保に老後の生活資金を貸り、契約者が死亡した時、担保の土地、建物で返済する仕組みです。
(土地の価格が下げ止まって来た為、脚光を浴び始めました。)

将来年金だけでは・・・ 
と思っている方には朗報ではないかと思います。
手に入れた住まいが、死亡時まで有効に使えます。

老後は年金と借り入れ金で生活し、死亡時担保の土地、建物で返済し、残った資金を子供に残す。
相続税もかなりの金額取られるようですし、この様な使い道は面白いですね。

設計者の手がけた住まいは、工事の履歴を残してその住まいの性能がどのような内容でどのようなランクかがはっきり解ることになり、ハードとしての価値が明確に表示できるため、逆住宅ローンには有利ではないかと思います。

改革機運にのって今後も、将来の不安が少しでもなくなるようなプランが出てくるのではないでしょうか。

話の分かりやすさ

「話が分かりやすい」の「分かる」というのは、ある疑問を考えるとき、脳内の処理回路が見つかり、整理がつくことを意味していると聞いたことがあります。
理解するとは分かると書くのは、整理先が分けられたということも指しているようです。
なんだか分かったような分からないような話ですが、ニュアンスとしては解ります。
確かに何かが閃いたときには、頭がスッキリした爽快感が走ります、「わかったー!」と平手を思わず打っていた経験は誰でも持っているように思います。

建築主さんとの打合せや説明で、「なるほど」とか「そういうことですか」、「解りました」と笑顔に変わる瞬間はとても嬉しい思いになるものです。
そんな言葉をいただくために模型を作ったり、パースやアニメや、吉本のギャグに近い親父ギャグだったりします。

もちろん設計の内容の深さや努力をごまかしてしまってはいけませんが、それが設計監理の丁寧さに連動していると確信しています。

休日という言葉はいらない

休日という言葉は小生の辞書には無いようだ。
なんて格好のいいことを言ってはみたものの疲れるときは疲れる、人間だから当たり前。
妙な精神論で正直な気持ちを隠して仕事を押し進めるのは世代ギャップも甚だしいのですが、休日を国民の権利だと何という理由もないのに無理に休もうとするのは、仕事というものが自分にとってどのようなものかをしっかり掴んでいない人のやることのようです。

休日というのは1日単位で睡眠を区切りとして時間の使い方を規定した人間の知恵ですが、小生には最近言われることの多い「ON-OFF」というスイッチのような表現が好きです。

これは以前も取り上げたバスタイムの過ごし方に重点を置く住まいの考え方にも関連します。
年中仕事のことしか頭にない小生には、バスタイムでのOFF時間には脳波がアルファ波になり、瞬間的に納まりのアイデアやブログの話題などが浮かんできて、ちょっと得した気分で夜なべ仕事が楽しくなる時もたびたびです。

このお盆もやはり一日通しでノンビリした日はなかったのですが、意外と気になっていない。
連続的に年中無休で続く設計と現場監理を、休日という世の習慣で思考を切ってしまうことの出来ないのは、単なる性格のせいなのかもしれないのですが、太陽の浮き沈みに関係なく毎日を「ON-OFF」という気持ちの切り替えの連続状態で過ごす考え方が似合っているように思います。

住まいを考える上でも連続的に自分の生活を見つめていくのが必要だから、これは自然な流れなのかも知れない。

真夏の選挙と建築

どんな関係があるのでしょうか、選挙と建築には?
毎日のように報道されている真夏の選挙の話題には「刺客」という言葉ばかりが響き渡っている。まさにマスコミ好みの内容に仕立てられた番組構成に感心することしきりです。

郵政民営化に関する参議院での採決に反対票を投じた議員に対する自民党非公認という処置や国会解散に対する是非など、雲の上のことなどと知らない顔を決め込んでいる人が、建築設計家にはどのくらいいるのでしょうか?

小泉さんは解りやすく「郵政民営化」の是非を国民の皆さんに問いたいと選挙に踏み込まれましたが、本当は今までの時代の流れを変えなくていいですか?と問いたいのだと思います。
「あの人には世話になったから」という理由で「あの人」に投票ではなく、官民の癒着を断ち切る大鉈を振ってムダな税金支出を抑えるきっかけに、ここらで大きく舵を切ってともかくも道を右か左か決めましょう・・・と判断を仰いでいるように小生の眼には映っています。

これと建築とどう関わるかですが、設計屋として熾烈な競争に生き残るために、(もっとも競争ととらえてしまうことが小生のは合わないのですが)この流れに乗ろうとするのではなく、日々の業務というより設計活動の中にも、官と民の関係がどのような影響を及ぼしてくるかを日々考える必要があるようです。

今日は美化デー

今日は朝8時から地元、揖斐川町の美化デーでした。
まるで小学生の日記風なスタートですが、私の地元では子供もほんの短時間ですが、ゴミ拾いなどを手伝ってくれます。
1年に3度程度、お盆前やお正月前、年度替わり時期には良い習慣になっています。

家の廻りの細かな状況を把握するという心構えは、特に感じて参加はしていないのですが、周囲の人との簡単な挨拶や会話の端に休日の心の栄養をいただく思いもします。

現代風にいえば、子供の協力は街の一員としてまちづくりに参加してもらうということでしょうか。
しかし、そんなカッコヨク言わずとも、「ああおはようございます」から始まり、淡々と協力して共同作業をこなし、最後は会長さんの「ご苦労さん」で散会するという行動パターンそのものが、子供の心の栄養なのだろうなと感じます。

本当のまちづくりはそんな何でもないストレスとは無縁な状況から根付いてゆくのだろうと思います。
また「いえ創り」も近隣や街とのそんな関わりを知ってこそ、安定感のある性格の子供が育つ「いえ」、として成長するように感じます。

いえ創りの意味も考えることが「いえ創り」を充実させてゆくコツと言えるかもしれません。

そんなことでA会!

そんなことでA会?(エーカイ)いや僕はB会で結構????
友人と談笑しているときに出た言葉です。
言わずと知れた例の談合事件、業界を守るための行為であることは明白ですが、私たち納税義務者にとっては腹立たしい限りです。

民営化の荒波が荒れ狂っている時代を迎え、官にもたれきっている関係者は、その縦方向の見えない絆がどんどん細くなってゆくことでしょう。

結論から言うとその「業界」という語句の意味内容が大きく変わって欲しいものです。また変えなければいけない時代に入っているように考えています。

そんなことでエーカイです。?

田原建築設計事務所様よりお電話をいただきました

今日、木構造の世界では知る人ぞ知る田原様からお電話をいただきました。
建築関係の書籍や雑誌などで参考にさせていただきていることが多く、木造を勉強している小生にとっては収穫のある日になりました。
私も参考にさせて頂くことのあるホームページのアドレスを書き込んでおきます。
建築の世界以外の方にも、その構造デザインの面白さを味わって頂けると思います。

http://www4.kcn.ne.jp/~taharakn/index.html

教室の天井高さは3m?

前回の小泉さんの話題で思い出しました。
構造改革特区ということばを聞いたことがありますか?

教室の天井の高さは建築基準法では3m以上というのがあります。
なぜ3mかという理由については実ははっきりしていないようで、(児童に対する心理的不安だそうです)これに着目した行政があったそうです。
3mを2.7mとすることで、学校の建築費が建物の大きさによっては一棟に何億円も節減できるというのです。
小生もこの話を聞いて大きくうなずいてしましました。
なぜなら工事費の見積は過去になんどもこなしているからです(当然!)

3mを2.7mで認められる可能性のある構造改革特区は日本に存在しているようです。
(一度ネットで調べてみてください・・・・)

言いたいのはこんなこと特区申請しなければいけない行政システムも可笑しいですよね。
悲しいな・・・・・ひろしです。

小泉首相と建築・郵政民営化と建築?

ここのところ大騒ぎしている郵政民営化論議です。
と言いつつ、いきなりタイトルと離れてしまいますが、「小泉さんが自民党をぶっ壊すぞ」と出てきたときには、正直にいよいよ出てきたかと、応援したい気持ちで一杯でした。
若いときから彼の行動が気になっていた小生には首相就任は感動でした。

ここで政治論議を書き込むと、建築と何の関係があるんだと眉をしかめる緒先輩もいらっしゃるかもしれませんが、世の中の流れが変わるとなれば大いに関係があるように思います。

世の中のシステムが古くなって軋みがきている部分を直してやろうじゃないかと大なたを振るっているようにみえます。
(実のところ建築の世界におけるシステム、特に能力評価システムも可笑しいものをいつも感じています)

夜中の民放番組で国会議員が加わっての大論議しかり、アンノン官庁の無駄使いを世の中の明るいところへ出してきて糾弾したりと、こんな時代は50年生きてきて初めてやってきたように感じます。
一方で、彼が首相になってなくても誰かがやってくれなければならなかったのかもしれませんが、彼流が明るく受け止められるように感じます。

建築の世界も変わってゆく予感を感じざるをえません。
住まいを考える人たちも、「ぶっ壊してしまっては」ではまずいんですが、ここのところの目覚ましい技術の進歩や、規制の緩和処置、などを背景に自分だけの個性あふれる住まいを創ることは、充分可能になってきています。

小生は当然ですが、是非、たくさん勉強して、この時代の流れを生かした家創りをしましょう。

インターネットと設計監理・ひろしです



寛が語る・インターネットです。
なにおかいわんや、ネットがこんなにも設計監理と密接になってしまったか。。
こんなにも欠くべからざる存在になってしまったのを知らずして、まだ体感していない建築家の残念なことよ。
・・・と小生が書いているのを読んでみて、首を縦に振っているあなたか、不可思議に横に振ったあなたか、あるいは単なる苦笑いか。
ネットに対する認識がどの程度の強さかで占う設計事務所の将来と言っても過言ではないと思う、今日このごろです。

建築設計を志す方なら、どなたもぶつかる疑問に、どうしたら世の中に自分のデザインを知らしめるかという大きな壁があります。
とにかくお付き合いの巾を広げて、設計屋であるにも関わらずゴルフレッスンに明け暮れて「私は何?」状態におちいりの諸兄もおられたはず。
人間性の巾を拡げる良い修行であったことを否定する権利は私にはありません。
なぜかと言えば、すみませんそんなお仲間のひとりでした。

自分は一生をこの仕事に捧げよう、いやこれしか能がないといった方が正確ですが、確かに健康にはいいがいっこうに上手くならないゴルフに一生を捧げるより、現役生活も残り数十年となった自分が素直に生き抜くにはやっぱり徹夜の設計生活しかないや!

ホームページをわけもわからず開設してもうすぐ6年、YAHOO様には頭が上がりません。
多くのカウントをありがとう。
知らず知らずにアクセスしてくださっている見えない皆様の存在は、アクセス解析ソフトを見ていると、まるで氷山の海に沈んだ部分を見ているようです。

ネットで公表できる作品をひとつひとつ仕上げてゆくことは、現在進行中の計画や現場を大切にすることに他ならないのです。

結構優等生な結論がみえてきましたでしょうか?

付合いの悪いやつだと友人や仲間内から批判されても、設計に関わるこんな文章を書くことに精を出してしまうのも、自分にとっては分相応であり、ネットに突き動かされているといってもいいのです。