火事と健康住宅

去年の暮れのある日の出来事です。

設計打合せを建築主の方としているなかでこんな質問というか意見をもらいました。

「住宅の気密を良くすることがエコに繋がるのは分かるのですが火事のときに逃げられないことがあるようですね」と・・・・

私がきっちり計算されたうえでの真面目な施工の気密を行うと、健康にいい家、エネルギー効率のいい環境にやさしい家になるとたまに目をむいて力説するからかもしれません。
彼曰く、火事のときはその気密が仇になって家中に煙が充満、しいては逃げ遅れて綺麗な姿で死亡なんてことが多いと消防署に勤めているご友人が言っておられたとか。

昔の家ならば確かにスカスカに通風状態、暑くて寒いけど火事になっても燃え上がってしまい煙が充満なんてことが少なかったとか。

確かにお説の通りで妙に納得してしまいました。

ということは、健康にいい家は火事にならないようにする、例えば延焼のおそれのある部分の防火処置を怠らないこと。
有毒ガスを発生しない材料を使うことつまり自然素材かな、排煙処置ができるようにしておくこと。などなど考えていました。

とは言っていてもいざとなるとどうなることやら?

結局はそんなこと神経質に心配していても仕方が無いか、何もかも満足できる家なんてあるわけないし。

・・・・・といくうことで話は終わってしまいました。

皆さんはどう思われますか?

私はむしろ至れり尽くせりを望みすぎることのほうが自分にストレスを与えることになってしまうと考えてしまいます。

話の焦点がずれているかも知れませんが、人事を尽くしてゆったりした気持ちで過ごせる家がいいですね。少々の欠点は目をつむって。

設計者なのに可笑しいですか。

地下室の在る家

ごく最近、ある方から以前このブログにも書き込んだ「地下室を作らせてください」なるタイトルについてのメールを頂きました。

地下室の言葉のイメージは湿度の高い良くないものを感じたりしますが、まさに結露で散々な目に合った・・・といった内容も含まれていました、反面、林雅子さんの「角のない角の家」にあるような家の換気機能を高める存在感の在る地下室にもあこがれているという内容にも触れられていました。

このところ構造設計一級建築士の講習を受けて、受かりもしない終了考査を控えている日々が過ぎ去っていく寂しさを味わっている私はこんなことを思いついたりしています。

住宅設計特に環境設計に興味ある友人も言っていましたが、地下室に地下という一年を通じて常温状態を生かす、地面近くの通風を生かすだけでなく、大げさかもしれませんが核シェルターならぬ耐震性の高い非難シェルターの役目も負うことが出来るはず・・・・ということです。

ここまでであればすでに商品化しているメーカーさんもチラホラ聞き及んでいますが、半地下とすることによって人目もはばかる完全なシェルターにするのではなく生活空間として家の中心部分に関連する形で存在させることが出来ると面白いです。

出来れば鉄筋コンクリートで作られるのが理想かもしれませんが、木造でも命を守れるくらいの耐震性能は実現できます、例えばその部屋だけは耐震の壁量を集中させるとか。

最近構造のテキストを読んでいるせいでしょうか・・・時間があるとそんなことばか考えています・・・

設計監理をもっと分かりやすく伝えたい


テーブルランプ アクア


最近、地元の某新聞にも書かれていました、・・・・自分の住まいを設計事務所に託す「いえずくり派」が増えてきている、云々という記事。

これはネットを利用して自分の作風をアピールする若い設計者(私は若くないかも)が増えてきていることも理由のひとつ、例の事件依頼世の中の関心を集めているのも原因。

ただ某新聞社の記事の中にも設計料が工事費の1割から1,2割と唱ってあり、さらにそれが近づきがたくて、設計事務所に依頼したいのはやまやまだが手が出ないという現実も存在すると。

実はある方からいただいたメールの中にも「もっと分かりやすい設計料の表示はないか?」とのありがたい提案がありました。
設計料を安くするからご依頼下さい・・・・といってしまえば何でもしますの業者感覚で面白い仕事にはならないし魅力が半減するのではないでしょうか。

(工事費の1割という設計料は、実はこの地方(岐阜県西濃)ではあまり存在しない話しではあることもついでに付け加えておきます)

仮に1割の設計監理費を払ってでも依頼をもらえる魅力を持ち合わせる努力をすることが一番まともな道ではあるのですが、(団塊世代よりもちろん若いのですが)経験を積んできた設計者としては、やはりネットを利用して、より分かりやすい設計監理費の使い道を公開、説明をする書き込みをしてみようと考える今日この頃。



設計屋は何者?

ホームページをきっかけにアクセスして下さる方があるようになってきてから、ますます建築設計屋に対する見方に幅がありすぎるように感じます。
あえて「ホームページ派」とでもいいましょうか、こちらを直視されている感覚です。
こちらの行動を見据えて期待を裏切らないかを評価しておられるようです、こちらは意外とマイペースで肩の力を抜いていますが。(その方が良い仕事が出来るという意味で)

逆に「ノンホームページ派」は、やはりというか相変わらずの過去の設計事務所のイメージを背負っておられるようです。
どこまでいっても工事費のパーセンテージでことが片付くことに期待を掛けておられるようで、こちらの考え方には触れたくないという感覚が隅っこにあるようです。

何を作っているのかをホームページで下調べをしていないからでしょうか?
ただ単にそれだけではないようです、イメージ作りをしているのはいったいどこの誰でしょう。いつもこんな独り言を言っています。

少なくとも小生は前者の仕事に生き甲斐を感じます。

設計監理者を入れることは贅沢ではない

世間一般の印象として、設計者を代理人として立てることは、設計監理の費用を余分に使いことになる、またデザイン性などの設計者の自己満足な考え方が入る、したがって結果として贅沢な建物を建てることになってしまうという・・・と誤解されている方が意外と多いようです。

特に設計者の利害の対岸におられる関係者が主張してやまないようです。
そういった方々はたぶん学生時代にその種の講座の単位を落とされている方か、もしくは他の学部に席を置かれていた方々なのでしょう。

小生のような近視眼の方が眼鏡を無くすと不自由なように、建築を深く勉強したことがなければ、そのきめ細かな部分が見えてくるわけもなく、したがって工事契約の中身が最初から委細に作られていなければ、たとえ契約書が存在しているからと安心していても、コップに穴が空いた状態で水をすくっているようなものです。
最初から小さな穴から水が漏れておれば浸みだしているのも気が付かないことになるからです。

設計者が自身の自己満足のためとはいえ、そのきめ細かな図面と積算書を片手に現場に通っておれば、自ずとそれは施主自身がご自分の建物の善し悪しを測る物差しを手にしているのと同じなのです。
裏返すと物差しのない現場には贅沢をしているか否かもわかり得ないと言うことになります。
またお金がどれだけかかったから贅沢だという発想は、ちょっと被害妄想的で闇雲すぎるようにも思えてきます。

建築の積算では1m2についていくらとか、単位あたりの金額を単価と呼びますが、それと同様に、出来上がった建物の単位あたりの費用対効果としてどうかと評価すべきものとも言えます。

自身がどんな建物をどのように造ろうとしているかを知る物差しを持って建築に臨むことは、財産を確実に理解できうる状態で手にすることになり、インフラ成熟時代にマッチしたやり方なのです。

そして全然贅沢なんかではありませんし、小生から見ると単なる世間知らずにさえ写ることもあります。

余談ですが、逆にお金を生ませることだって出来ることがあります。

こちらもご参照下さい)

お役所は当てにせず自己防衛で耐震補強をした方がいいですか

設計屋として正直に言います、もし震度6程度の地震が襲ってきたら、戸建て住宅の半数以上が半壊以上の状態になってしまうのではないかと思っています。
なにも我田引水で設計者の仕事を増やしてやろうとして言っているのではなく、日々の経験からそう考えています。

法的には昭和56年以前の住宅に関しては耐震診断や補強の補助金を出しましょうということにはなっていますが、決してこれは昭和56年以降の住宅が安全であるという意味では当然なく、残念ながらそれ以降の着工建物に関しても危険な状態になりうることを施工現場で見て経験的に知っています。

なぜなら、いわゆる確認申請(建築時に役所のお墨付きをとる申請)は取ってあるのものの、現場監理を受けて第三者の設計者が最低でも目視検査を実施されていることはあまりなく、したがって図面の通りの施工がなされている現場はまなり少ないということです。

その頃からモラルの有る建築業者さんは当然いらっしゃいましたが、阪神震災以降で見つかってきて法制化された改善点は当然ですがその時点では実行されておらず、結構それが重要な事項なのです。
その内容は何かといえば、難しいですが、構造的なポイント、水平構面や継ぎ手、仕口、バランス等の問題です、そして大きな枠では伝統的な工法の見直しです。

いまさら悔やんでも仕方がないのですが、太平洋戦争後の住宅不足からスタートした住宅施策はそんな細かいことかまっていられなかったのです。

いつもこんなことに気が付くと「やっぱり日本人はヨーロッパ人には負けてるよね」と思ってしまいます。と、かの宮脇先生もつらつらと書いておられました。

お役所や世間一般は・・・・、なんて横並びの好きな日本人ぽいことを言ってないで自己責任と自己防衛で是非ともご自宅の耐震状況をお調べになり補強されることをお奨めします。

私の請負契約はキチンと実行されているの?

建築現場で監理を担当させて頂いていると本当にいろいろな建築業者さんをみかけます。(参考ページ
最近話題になっているような悪徳リフォーム業者は特例中の特例で小生の身の回りにはいないのですが、面白いくらいに考え方に差異がみられます。

伝統的なまかせろタイプで施主さんに意見を言わせないようにしてしまうタイプ、意見は聞くが追加工事に持ち込んでしまうプレハブメーカータイプで別名オプションタイプ、田舎に多いのは親戚主張タイプ、このタイプにかかると施主が知らぬ間に親戚さんになってしまってます。
言わなくても分かるだろタイプもいました、小生が一番苦手なタイプです。
笑い話にならなかったのは勝手に施主と小生が親戚になっていて、施主様のご親戚のご不幸に何故現場にいるかと噂されたときでした。・・・これはさすがに親戚でないことを説明しておきましたが。(笑)

工事の雰囲気を盛り上げる材料としては楽しい一面もあるのですが、日本人の甘えの構造の一面を代表するような話が、小生の住む揖斐川町や岐阜県西濃一円の建築現場にはたくさん転がっています。

それもこれもみんな信用を得るための涙ぐましい努力の固まりですが、ただ残念なのは実際の工事内容の充実や管理能力で示して信用獲得に至ってないことです。

「親戚商法」などではなく、こちらを優先した現場進行ができると、おかしな話題が先行して施主さんが工事に参加していない気分になってしまい、「契約はキチンと実行されているんでしょうか」なんて冗談が飛び出てこないようにしたいものです。

またこんなときの本来の軌道修正の役目にも一役かっているのが監理者であることを忘れないでほしいものです。

いったいどのくらいが妥当な予算設定か?

うちの場合はどのくらいが妥当な金額なんでしょう?と訊ねられることがあります。
建物を計画される場合、コストを最優先にしたいケースとそうでないケースが存在します。中にはコストを最優先にしないでどうするの?とお思いになる方がいらっしゃるかも知れませんが、ビジネス関係を主目的にする場合を除いて、実際はコストが優先順位として2番目というケースが多いのではないかと思います。

だからこそ、よけいに現時点の景気動向において妥当な金額というのは当然のごとく気になるわけです。
ところが残念ながら、これが間違いないという設定法は存在しないのです。
冗談ではなく、建築コストの専門家もそれを「何年研究しても判明しない」と言い切ってはばかりません。

結局のところ、小生の場合は過去の多くのケースから割り出されてくるデータから検討を加えて、基本設計段階での予算表示に使用しているという方法をとっています。

逆に、コスト専門家や国の研究財団法人に「確かな数字を出す方法はないよ」というお墨付きをもらって、自分なりの方法に確信を持ったということです。

参考までに(財)建設物価調査会という機関を紹介しておきます。
こちらには「JCBI」という全国版の建物別マクロな価格情報を無料で提供してくれるページもあり、リアルタイムな統計値を得ることもできます。

納得できる数字を探してみてはどうでしょうか。

家族の意志を集約した家創りをしたい

家族の意志を集約して尚かつ時代にマッチした間違いのない家創りをしたいとお考えの方はたくさんいらっしゃると思います。
理想と夢はたくさん語れても現実問題としてそれらを最大限実現に近づけるには、どんな道を辿ればいいのやら?
ハードルがたくさんありすぎて困り果てておられた方もいらっしゃいました。

そんな煩わしさは避けたいとハウスメーカーに任せたらとんでもない手抜き工事だったり、信頼している工務店さんに任せたら工事はシッカリしていたが希望と大きく外れてしまっていたりします。

予算作りという作業ひとつとっても、工務店のそれと設計事務所のそれとはその性質が大きく違います。
仮に文字面がまったく同じだったとしても、工務店の予算書は交渉材料のひとつであり、設計事務所の予算書は道しるべなのです。

だからいつも「あまり気負いせずに眺めてください」と言いながら見せています。
このあたりが象徴的な相違です。

そして、家族会議には小生も加えてもらっています。
建築の専門家だからと100パーセント任せられても困るからです。
ご家族の意見を図面という言語で書き換えてゆくための通訳がそばにいると思ってください。

こんな一問一答集も参考にしてください。

設計を託すのは建設会社?建築設計家?

設計を託す相手として、建設会社と建築家のどちらがいいかを迷ってみえる方は多いようです。
「迷ってます」という質問をされる時点で問題意識を持ってみえるわけですから、両者の違いを勉強されると、いえ創りにプラスに作用するのは当然で、選択がどちらにせよ迷う価値は充分です。

最近の日経アーキテクチュアにはこんな記事が掲載されました。
建築家は将来性ある職業と感じている人が調査人数に対して約5割という結果です。
仕事を確保するのに奮闘しておられる御同輩、諸先輩に「仕事がないなんてお嘆きになりますな」とお教えしたい内容でしょう。

調査対象は学生100人、男性社会人100人、女性社会人100人、平均年齢31、5歳ということで、若い人たちの意識が私たち設計者に向いているのが確認できているということは社会的な存在価値があるという証拠です。

実際、小生の関わっている案件でも、そんな流れを感じることはあります。

住まいの夢を託したいという大きな目的だけでなく、欠陥住宅、悪質リフォーム、シックハウス、アスベスト問題、などの専門家としてのサポート、建設会社の利害に左右されない建築主の立場に立ったサポートは必須です。

あなたのパートナー選び

設計事務所と建設会社の設計と何が違うの?また(最近は聞かなくなってきましたが)設計はサービスしますなんて言われたけど、と訊ねられることがありました。!?

もし私が住宅メーカー設計部のスタッフであれば、おそらく「御納得がゆくまで無料でプランを作り直させていただきます。」とお答えすることでしょう。
全てとは申しませんが、多くの住宅専門の工事業者が、なぜそのような返答をするかをご存知でしょうか?  それは工事業者だからです。

あなたの住まいの設計プランをまとめる作業は、あなたの夢を達成するという「目的」に結びつくはずであっても、工事業者にとっては工事を受注に結びつける「手段」あるいは「過程」なのです。
デザイナーのお面をつけた営業マンの方が、設計担当者より積極的で「いい人」のハズ。

何千万円という工事の契約を成立させたい設計者と、はるかに少額の設計監理契約を結び設計図を描きたい設計者とは、どちらがあなたにとっての家創りのパートナーだと思われますか?

私たちの描くプランは、設計図を描き工事を監理する、契約をあなたと結び、建物を創りたいという目的にベクトルが向けられているのです。
すなわち、それはあなたの夢を描き切れるどうかに私たちの運命が掛かっているのです。
(ちょと大袈裟かな?)
つまりプランの内容自体で、あなたの良い評価を得る必要があります。

それに対して、工事の契約を成立させなければならない設計者には、時間と予算の制約のなかで会社の売上確保に貢献するためのテクニックを駆使しなければなりません。
もちろん、私たちにも予算の制約を無視することは許されません、しかしその使い道は一方向のみを向いているのではなく、いろいろな選択の幅を広げて、あなたと模索します。

この両者の立場の違いは、全て不利に働くとは言えませんが、知っておかなければならない「家つくりの最初の第一歩」かもしれません。
第一ボタンの掛け違いに気ずくことなく、住宅工事業者さんの設計担当者を家創りのパートナーと思い込むのは、生まれて初めて見たネコを親と勘違いしている子犬みたいなもの!
・・・・・・・・これは人によって必ずしも悲劇ではないことが言いたいのです?!幸せな子犬もいるはずですから・・・・

両者の平面プランがそれぞれ1案、それもほとんど同一内容のものが、仮に目の前に提出されてきたとしても、それを見て、あなたが「なんだ、どちらが描いても一緒じゃないか」と早計に結論を出せないのです。
住宅工事会社が描く内容は、あなたが住宅展示会でご覧になったものを思い浮かべれば理解できるようになっているはず、その場でオーケーを出せば即座に造ってくれます。

設計を専業とする私たちの描く内容は、平面プランのみで描き切れるものではなく、工事が完了して初めて筆を置くのだという、ある覚悟が含まれた、アプローチあるいは提案であるべきだと考えているのです。