群れない、慣れない、頼らない

「群れない、慣れない、頼らない」、これは画家の堀文子さんの言葉です。

たまたま偶然に見つけました、設計に対するスタンスとして自分の言葉にしたい気持ちです。

群れると居心地の良さに目標を見定める眼が心が曇ります。

慣れると苦しいかもしれない挑戦を忘れて新しい発見が出来なくなります。

頼れば安心感から何をするにも体に心に力が入らなくなります。

しかし出来るようで出来ない、そうあるべき、そうしよう、いやきっと出来る。

これを読まれた方はいかがですか?

そんなことしたら孤独と疎外感を味わうだけと一笑にふしただけですか?

後悔の無い生き方を考える上で良い言葉ではないでしょうか。

「まちかどけんちくか」の更新

作品集サイト、「まちかどけんちくか」の「数寄に住まう」の家づくりプロセスをアップしました。

「まちかどけんちくか」はアップをスタートして早いもので12年目を迎えています。
デザイン性のある洗練されたサイトを目指してスタートしましたが、手作りの枠から飛び出すことも出来ず、そのもどかしさのストレスに耐えてまた趣味の高じた末とはいえ何度も編集をやり直してきました。

しかし何時からかそのストレスを感じることが無くなり、この仕事は営業行為というより記録を残すのが本意、あるいは淡々と書き連ねることがこのサイトの力、受験勉強の頃の「継続は力なり」という言葉が耳につくようになってきたからでしょうか。

12年も経過するともうこのサイトの存在そのものが安定を約束しているかのような錯覚に陥ってしまっています。
めでたい自己満足、まさに建築の設計屋の成れの果てです。

「まちかどけんちくか」更新案内

まちかどけんちくかには過去の現場を含めていろいろな作品をいろいろな側面から公開しています。

今回はT字ハウスホームイズハウス木の香りとオール電化、それぞれの家づくりのプロセスの整理が出来てきましたので公開しました。

これからも忙しい時間を割いて続けていくつもりです、みなさん家づくりの参考にしてください。

「挟土秀平と岐阜千成寿司」が建築ブックマークにて更新されています

建築情報サイト「建築ブックマーク」にて「挟土秀平と岐阜千成寿司」が更新されています。

建築主さんとの出会いから基本設計がまとまるまでの流れ、そして実際の工事の流れ、さらに完成まで、時系列で画像を中心にまとまれられています。

まちかどけんちくか」には他にも多くの作品をまとめてあります。

是非ご覧ください。

作品集「まちかどけんちくか」の新サイトをつくりました

最初にサイトを立ち上げたのは1999年2月。

テーマは真正面から真面目に「家族」でした、充実した家族生活とその容器である家、その頃の私自身の思いを満々に満たした内容でした。

読んでいただき設計までさせていただいた建築主さんもいます。

その方に教えていただいたのは、サイトから個性と人間性を広く知らせることでした。

もちろん2011年の現在もその点は変わりありません。

さらにグレードアップして作品の紹介だけにとどまらず現場のプロセスまで踏み込んだ内容を詰め込んだのが2004年の頃、

これは中途半端なまま仕事に埋もれてしまい2011年を迎えてしまいました。

あるきっかけから一念発起して出来たのが今回の「まちかどけんちくか2011」です。

1.作品集は「住宅・建築ギャラリー」として新しい作品も加えてあります。
  (一部製作中)

2.画像をデジカメの画像の原版から変換し直して大きくて綺麗なものにしております。

3.工事のプロセスはより詳しくデータを増やし、さらに設計段階での建築主さんとの

打合せ経過を書き加えてゆく予定です。そのための構成変更をしました。

4.何を特徴としているか何を得意としているかをハッキリ分かる構成になっています。

6.文章を推敲しなおして陳腐さを取り払いました。

7.ここが一番大切ですが、家づくりのツールとしての要素を盛り込んでゆく予定です。

設計は監理があって生きる

建築の設計には基本設計と実施設計があるのはご存知でない方のほうが多いのは当然ですよね。

概ねの背骨となる基本的考え方を表現する、それを具現化する、どんな物事もその順序を辿るのが常識です。

ところがどれだけ緻密な実施設計図を作成しても実際に満足できる建物が完成しなければ絵に描いた餅です。

そんなこと言われなくても当たり前です。

そこが監理という分野なのですが、これが想像以上に難しいのは同じ世界に身をおく諸兄はご存知のはず。

大雑把によく言うのは、設計なんて年数さえ重ねれば見よう見まねで誰でも出来るよ、しかし監理はその何倍も勉強してない者には至難の業なんて。

設計時点での検討事項も山ほどあるけどしらみつぶしの粘り腰で乗り越える、しかし現場でのそれは設計時点では想像出来なかった事柄がそれに加わるといった感じです。

特に建築主の考え方と現場サイドの考え方のズレを埋めるのは中でもたいへんです。

一つ一つの現場でのエピソードを糸口に監理の面白さや経験から得たエッセンスが浮かんできます。

その時点でのストレスは身に重いのですが、完成して数年もすれば建築主さんと思い出し笑いを交わすことになってしまいますが。

今年も考えにブレはなし

あけましておめでとうございます。

設計事務所を開設して30年以上も経過してくると若い建築家さんに見えないものが見えてくる反面、見えなくていいものまで見えてしまい気持ちが曇ってしまうこともあります。

新年が明けてたった1時間前でも「去年のことですが・・・」なんて言葉を置き換えるだけでも気持ちを新たに出来てしまえるなんて日本人はいい習慣を作ったものです。

仕事は相変わらず忙しくさせていただいています。
・・・というより線路のようにひとつの仕事に平行するように常に課題を設定して同時進行で進めていくという考え方ですので、仕事が暇で困るということは今だ嘗てない。

この仕事を完了したらどれだけの収入が入る・・・なんてのは疲れませんか?

人生の終わりに同時に仕事が完了するというつもりで毎日を趣味の時間で埋めるが如く忙しくしてゆく。

建築構造の勉強をやり直してみていますが、何故か私には忙しく付き合いにゴルフ三昧より気持ちが落ち着いて楽しい。意匠のアイデアを考える作業もしかり。

ちっともカッコつけてないんですけど。

本年も宜しくお願いします、どこかで読んでくれている皆様。

2010年も相変わらずのスタンスで

今年も今日が最後の日になりました。

この一年も多くのみなさんにお世話になり、ありがとうございました。

普段お付き合いのある方々でこのブログを覗いて下さっていることを期待して感謝の言葉を書いています。

年末のご挨拶なんて建設会社の皆さんのようにあちこち挨拶回りする習慣も無いくせに自分の非礼が気になる始末です。

元から派手な営業行為は主義ではないし、したくも無い、否似合わない。
天から与えられたことを黙々と毎日こなすことが最大の私なりの営業行為かもしれない。

ただ黙々とこなすだけではなく、進歩の跡を小さくても何かを残したいと常にもがきながら進むこと。

そういえばこのブログが広義の営業行為かもしれない。

普段の建築に対する考え綴って公開し続けること、これが大きな力になっているように思う。

他にアピールすることもありかもしれないが、自分自身に再確認させている。

性能のいいナビは積んでないけど自作の地図でとんでもない道走って違った方向へ行ってないか確認している自分が居ます。

建築も結局は人間性が出る仕事。こんな生き様を見つけてくれる人に出会えることを願っています。それが自然体。

来年も宜しくお願いします。

美味しい空間

今日は真面目な話題です。

若かりし頃はデザイン力を駆使して所謂売れる作品、賞の取れる作品を目指していた時期が続いていました。

そのために三次元の汎用CADのアーキキャドなんて当時としては高価で難しいソフトをマスターしました、もちろん今もプランニングには使っていますが、その方向性に何時しか疑問を持つようになりました。

それは木造の住宅を多く手がけるようになってきてからです。

最近は聞かなくなってきましたデザイン力を武器にした住まいの達人や匠番組、非日常性を感じさせる異空間の住まい、住宅を作る人たち。

彼らと同一線上に見られたくない、これ自体も独りよがりにも思えますが、人の生活に必要なものは本当は違うのではないかと、そんな思いを持つようになりました。

非日常の空間を日常である住宅の中に持ち込む理由や必要性は、確かにその趣味のある人々のものであって、永い人生の一断面にしか過ぎない空しさを感じてしまいます。

良いものとセンスの良さに囲まれた生活は、充実感と良い感覚を生む環境を作ってくれることはもちろん重要です。
それすらも考えず設計に臨んでいる設計屋は、私個人的な見方からすれば周りにも居ます。

順序からするとやはり人間の生活の容器としては、生活の山や谷の永い営みを見守ってくれる存在でありたいという思い、身を守る、暖かい、涼しいといった、ものを食べて美味しいと同等な位置づけで住宅を捉えて作ってゆくのが自然な考え方だと思うのです。

非日常的な異空間は一年に一度くらいはいいのですが、普段はやはり「美味しい」にはならないのです。

構造計算セミナー

仕事を確保のための営業行為はほとんど興味のないけんちくかさんです、私は。
今は構造セミナーがマイブーム、学生の頃、手を抜いてしまっていたことへの償いもありますが、何故か自分にあった道なのでしょう、結構楽しみなんです。
資格を増やして生活の糧なんて感覚は皆無です。
ちょっと宗教的ですが、お与えというか大きな力を感じて抜け出せない感じです。
きっと幸せな運命にあるのだと思います、仕事に関連することを好きで生きてると、仕事が湧いてくる。
ある意味贅沢、よく考えると当たり前、高校の体育の時間、柔道の先生に教えてもらった自然体かな。
やっぱり、けんちくかさんは自己満足が好き?
こんな人がいい建物創ると思うんだけどなー。

構造計算を勉強しなおして分かる恐ろしい事実

地震が多発する時代に入ったのは多くの人が知る事実、けれど一般には知られていないことがたくさんあります。

本当は震度7なんて地震が発生したらほとんどの現存する木造は壊れますよ。

なんてショッキングな書き方をしても許してもらえそうなアバウトなデザインの私のこのブログ・・・関係ないか

当たらずとも遠からず。

あの有名な元建築士さんが事件を起こした時、同じ建物を限界耐力計算法という構造計算を行うとまんざら成り立ってしまう。・・・なんて話を聞かれたことはなかったですか。

その矛盾を追及しようとしていて国を相手に裁判まで考えていた人がいたとかいないとか。

構造計算は所詮、仮定。

もっとも、技術的知見というやつに元ずく仮定ですから専門家の世界でしか許されない仮定です。

誰でもわかるのは地震は動くということ、当たり前の話ですが限界耐力計算が使用できるようになるまでは地震は動かなかった、振動するという事実を静的な力に置き換えて計算していました。今も現実的な計算としてそれが主流の計算法なんです。

もちろん偉い先生方が技術的知見、膨大なデータから経験科学的に決めた係数を建物の重量に掛け算した力が建物に水平力として働くのが地震だという仮定です。

よく考えると恐ろしい仮定だと個人的には思うのですが。

どう思われます?

動くものを止まっているよ・・・と仮定するんです。

そんなバナナ・・私、今バナナ食べてます。

地震が地面を通じて建物に入力されます、しかし、その動きが決めたれたように一定に揺れるわけがないでしょう。

まあそのあたりも考慮に入れて安全率を見ているようですが、建物の個々によって地盤の性質によってみんな違う動きをするはずです。

要するに人間のすることに完全はないということ。

こんなくくり方では、投げ出したようなものですよね。無責任おじさん。

でも計算やってない建物は怖いですよ。

寺田虎彦先生は、怖さを知れば怖くない。 だってさ。

けんちくかのおもちゃ箱

■「今日の現場監理」と題して現場で拾った話題を投稿していましたが、お世話になっているさくらインターネットさんのブログスペースが携帯よりのアップが可能になったのを知り、新たに「けんちくかのおもちゃ箱」なるブログサイトを立ち上げて、こちらへ携帯からアップできるようにしました。

体の一部になってしまっている携帯ですから、ツールとして面白い広がりが出てくることでしょう。

同時に過去に立ち上げた趣味ブログのいくつかは整理することにしましたので宜しくお願いします。

フラット35って何だかご存知でしたか?

最近依頼を受けた案件の書類作りでフラット35のサイトを閲覧していて分かったのですが、その適合証明技術者が地元揖斐川町では私ひとりになっていました。

池田町ではひとり、大野町と神戸町、安八町にも不在です。(こちらで検索してみてください)

適合証明技術者はフラット35を利用して家を建てる方に、その技術基準を満たしているようにしてあげる水先案内人です。そしてそれを公的に証明書を発行する役目を負っています。(詳しくはこちら

フラット35は家作りを考えてみた方は一度はお聞きになったことのある言葉かもしれませんが、最近テレビのコマーシャルも聞かなくなってしまい、おそらく一般にはあまり知られなくなっているのではないでしょうか。

制度の形態を変えたものの過去の住宅金融公庫住宅の内容と技術的には変わってはいません。

変わっていないというのは技術基準の確かさにおいて変わっていないという意味ですが、守らなくてはいけない技術基準も過去のそれに比べて充実していますし、家を建てるときに守らなくてはいけない工事基準が示されていて、それを現場検査で保障できます。

低利で固定金利ですから月々の返済額を計画できます、新築だけでなくリフォームや中古住宅や中古マンションの購入にも結構大きな資金利用できます。

建築関係の話題で世の中を騒がせている昨今、そんなに大きな支出をしなくても我が家の一定の品質を守ることが出来るこの制度、振り返って考え直してみる必要を感じます。

設計の原点に返る

夕べもふと思いついたというか、よく考えれば必然性のある思いつきです。

ネットやオープンハウス、(既知の知り合いを含めて)知り合いのご紹介などからプランの作成から設計監理までお付き合いくださり、紆余曲折の末、完成まで短期間ではありますが苦楽を共にしてくださった建築主の皆様がたくさんいらっしゃいます。

もちろん、たまにお会いしたり電話で会話したりすると思い出話に花が咲きますが、せっかく設計監理という建築への直視スタンスで時間を共有し、興味も持って頂いたのに、当然といえば当然ですが完成したらそれが薄れていってしまうのには、以前より寂しい思いを持っていました。

そこでネットお宅の私が思いつく結局こんなこと。

作らせて頂いた建物に関するメンテナンス知識やヒント、建築していた頃にはそんな余裕も無く思い浮かべることも無かった建物の価値、甘さ辛さを感じないたわいもない建築にまつわるよもやま話など、そんなこんなを通じて繋がっていたい。

不特定多数に発信するメルマガより親近感のある、ひとつの枠を感じる定期的なメールをそんな方々に発信していたいと考えたのです。

糸電話は糸が切れれば声が聞こえづらくなる、繋がっていれば「意図」電話にも変身(返信)可能です。

施工業者さんの定期点検より発展的で暖かみのあるものが目指したいですね。

住まい創りに大切なもの

先週の休日、建築士会の行事で建築相談のカウンターに座っていました。

よくある相談なのですが、「住まいを新築したいのだけれど私はどこへ行ったらいいの?」と目を点にして返答を求めてくるのです。

とにかく世の中には「これが最高の住まいです」とばかりに全てが我田引水のスピーカーで耳がよく聞こえなくなるほどです。

確かに今の厳しくなった基準で建つ家は丈夫なのですが、建てようとする本人がどうしていいか分からなくなるほど情報過多です。

本当にお気の毒です。

過去の一時期のように住宅を創るのに設計者を代理者として設計と工事を進める形(設計監理)をまったく知られてないという状況ではなくなってきているようですが、でも相変わらず「そんなの聞いたこと無い」という方は多いようです。

どこの誰かは知りませんが、マスコミを利用してある種の妄想を抱かせてしまうかのような説得の仕方を見るにいたっては、ますます相撲ワザの猫だましのようなものです。

どれだけ時代が変わっても、工法が変化しても自分のほしい住まいはたったひとつ、けっしてメーカーが契約というレールに乗せて全てを与えてくれるものでもないのです。

自分の足で確かめることから全てが始まることを是非忘れないでください。

毎日の設計と現場監理を通じて、常に住まいに対する思いを反芻している人間の人としての中立な意見を確認して欲しいものです。

一生を賭けて築き上げてきたものを無駄な投資にしたくないものです。

あの日のイベントに来てくださった方の目を思い出すとそんな思いを確認させられました。

環境チェック

竣工、引渡しから数ヶ月あるいは数年後の様子は現場監理をしている人間にとって興味があるものです。

ここ数日間に何件か時間を作ってお邪魔してきましたが、やはりというお話を窺うことができました。

設計計画の時点ではデザインの良し悪しがよく話題に出てくるものですが、数年を経過してくると聞かれなくなってきます。

確かにそれに対する満足度が高かった人、低かった人の差はあるのかもしれませんが、興味は薄れてしまうのでしょう、特に住まいという生活というライブ感のある建物では。

部分の不具合、たとえば建具や無垢材の伸び縮みなど動きのともなうもののメンテナンスは早期に対処しておくのですが、(ご本人にと取っては不愉快な出来事であるのは間違いないのですが)それ以上に興味のある事柄があります。

それは室内の温度、匂い、など空気感とでも言いましょうか。

これはメールなどでお聞きするより、私自身が体感するのが一番です。

特にこの時期ですと暖房機の運転時間や温まり具合、室内での行動の自由度、肩が凝らないか。

匂いの具合で換気扇の動きも分かったりします、無臭に近い状態であれば大丈夫。

「体が楽な状態で、この時期はうちへ戻るのが楽しみですよ」という言葉をいただくより、私自身が我が自宅の環境と比較するのが一番なのです。

灯油高騰の折、生活費節約に貢献出来ている省エネルギー住宅に満足していますが、それよりも体が楽に過ごせるという健康面が理解を生んでくれているようです。

建築ジャーナルに掲載されました

「建築設計者としての生き方」なんてタイムリーなタイトルになっているとは知らなかったのですが、年末のある日に建築ジャーナルさんから作品掲載の提案を頂いて、これも何かの縁かなと感じるところがあり、お受けしたのです。

掲載させていただいた建物の建築主の皆様や施工に担当してくださった工事関係者の方々には、チャンスを与えていただいたことに感謝しております。

先に書きました表紙のタイトルがこうなっているとは知らされていなかったのですが、まさに「偽」まみれになってしまった2007年の社会現象から想像すれば自明の理。

この数年に竣工した建物を中心に、それぞれのテーマになった事柄をつたない短文に綴りつつ、私としての「建築設計者の生き方」を表現したつもりです。

大げさな表現かもしれませんが、自分がこの世から消えても残る建築物、(否、その建築物さえもいずれはこの世から消えてなくなるのですが)それを創るという作業に誇りと自信を持って望むという心構えを忘れてはいけないと自戒してみる必要を感じます。

望んで入ったきたこの世界でも、生き残るためとばかりに不正や裏ワザに走ることをよしとする風潮は頑として残っているのは事実ですが、それが設計の本質自体までも曲げていってしまうように考えています。

愚直と言われても、その人がこの世から消えてさらに創った建物もこの世から消えても残るものがあるとすれば、「それが何か」を茶化すことなく真面目に考えつつ進みたいものです。

おおとりを飾るように巻末に写真集とともに独り言をボソボソと語るように書かれている文章をそんな思いを持ちながら書いたのだと思いながら読んでみてください、一味違うかもしれません。

手すりのありがたさ

五体満足で身体的に不自由なく毎日仕事をさせていただいている幸せを感謝しなければいけないのに、何故か不満に思うことはいくつも出てきます。

仕事が思うように進まないことは仕方が無いことと諦めても、体感できないのは手すりなどの生活補助用具のありがたさです。

朝6時半のラジオ体操をはじめるようになってからはギックリ腰になることが無くなり、唯一手すりのありがたさを感じるチャンスは幸か不幸か訪れることは暫くなさそうです。

手すりがトイレのどの位置に、階段のどの高さにあれば一番便利なのかは障害の種類によってかなり差があるのは机上の空論・・・・という幸せ。

しかし、設計を毎日している人間が知らないのは不幸。

ここのところ進めている福祉施設の手すりなどを描きながら、分かっているようで分からないもどかしさに思いを巡らせています。

余裕は単なる気分転換?

毎日の生活を少しでも余裕をもって、人生楽しみながら生きたいものだとの思いを持っておられる方は少なくは無いはずです。

ところが生まれもった性分というか宿命というか、余裕は毎日を忙しくしている中から刹那的に散りばめられた宝石のように存在していると考えてしまう。

ゆったりと大洋のように目の前に広がって、多くの時間を使うのが余裕というのではないと。
・・・・いつかはそんな過ごし方をしたいと内心思っているのだけれど・・・・

最近、完成したW邸、かの建築主から聞けた感想。

電気代がこんなに下がるとは思いませんでした、(建築主自信も想像外でしたが)こんなにいい建物にしてもらって良かったですよ。

こんな言葉は、どんなに小さな声でもしっかりと自分の耳に入ってきます。

設計料なんてもうサービスしちゃいます・・・なんて言ってしまいそう???

嬉しい言葉に生活の中に見つけた本当の余裕を感じて、ゆったりした気分にしばらくは浸れます。

地球温暖化と屋根の熱反射遮熱ボード

話題はいきなり大きなサブタイトルから始まってしまいます。

先のサミットでも大きく取り上げられた地球温暖化阻止に関する宣言文。

問題は地球規模の大きさですが、ひとりの人間が出来ることは小さすぎます。

どうせひとりくらい協力しなくても地球はどうにかなるほど自然の包容力は大きいに違いない、というじゃな_い。

冗談交じりにノンキに構えているとあなたの孫はあなたのそんな考えを恨むことになりかねないのです。

安部総理の支持率低下の性か、サミット宣言文に対するコメントを述べる表情に悲壮感を感じてしまっているのは私だけでしょうか。

そんなある日に以前各務原の現場でお知り合いになった石川の福田さんからの嬉しいタイムリーなお便り。

夏が近づいてきたからというわけでもないが、屋根の垂木の下端に張ってしまい、屋根通気と熱反射で遮熱効果をだす優れもののボードの情報提供。

特に特別な工法でもなく、シンプルで分かりやすく簡単な施工方法です。

これと気密を組み合わせれば、冬暖かいだけにとどまってしまう省エネルギーは、夏は涼しい省エネルギーになります。

ちょっと専門的ですが、省エネルギーは何かといえば、人間にストレスを与えない工夫なのです。

この簡単でお金の掛からないアイデアは、安部さんも笑顔で賛成していただけそうです。

久しぶりの興味深い情報に、素直に感動。

さっそく設計中のプランに取り入れることにしました。

談合問題を乗り越える設計事務所の存在価値

最近、地元のお役所で過去に指名をいただいたことのない、いわゆる実績のないお役所からメールが入ってきました。

メールアドレスは、会社用、個人用、お役所通信用、銀行用、アフェリエイト用、などなど複数持っています。

レンタルサーバーは大容量にしてセキュリティーのしっかりした会社のものを利用してつまらない迷惑を被らないように、掛けないようにしてあります。

面白いのは、仕事の指名メールをいただいた役所は、そんな多くのメールアドレスのうちの一番古い公開度の高い、つまり最もスパムの標的にされやすいアドレスを使用されていたことです。

ここからは想像の見解ですが、たぶんブログやホームページが検索エンジンに掛かって選んでいただいたのかな?という甘い観測です。

ただ単に作品を公開するにとどまらず、何を考え何を創っているかといった血の通った、体温を感じるブログの存在が効を奏したのかな?

などと勝手に喜んでいました。

最近の新聞紙面を賑やかに飾っている談合問題にも、曇りのない信頼を築けるかという大事なポイント、発注者であるお役所が受注者である建設会社や設計事務所を選定する判断基準が不可欠であるに違いありません。

コンペやプロポーザルでも見えてこない信頼感は、やはりお互いの考え方を知ることの出来るツールが必要なのでしょう。

こんなところに糸口があったと発見した気分を持った指名メールでもありました。


温度差のない暮らし

みなさんは住宅の室内空間において天井付近と床付近の温度差が少ないことが、予防医療になることをご存知ですか?

シックハウスを研究している医学者が、気密断熱を気にして作られてきた従来の住宅と、気密断熱を設計上で制御して作られた住宅にシックハウス症候群の既往のある人の協力の下に実験を試みている例があるようです。

同一条件のもとに一定期間滞在していただき、その血圧と脈拍を比較すると明らかに気密断熱を気にして作られた住宅に軍配が上がっています。

そのあたりを勉強されているある知り合いからのメールを以下に紹介しておきますが、私も心して取り入れている設計方針がエネルギーロスを押さえるだけでなく、予防医療にもなっていることに充実感を覚えました。

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すでにご報告済みですが、「シックハウスと考える会」と「安全な住環境に関する研究会」
とのジョイントで健康住宅モデルハウスが昨年完成しています。勿論アイシネンが採用
されていますが、5月15日に研究会の総会と報告会が東大坂本先生や省庁の方々さらに
杉田医学博士(大阪労働衛生総合センター所長)も出席のもとに行われました。キング
ラン・ハウネストもこの研究会の会員として今後活動を開始して行きます。この報告書
は国交省住宅局の名前で出版されています。

報告の中で、血圧測定の比較が発表されました。温度差がない居住空間ではいかに安定
しているかがわかります。協力者は45歳のシックハウス症候群の既往のある男性で
血圧、脈拍の測定結果です。築20年在来住宅の温度差のある結果との比較です。

* 在来住宅での各室の温度と入浴前後の血圧変動
   場所         温度    血圧     脈拍
   リビング       17℃  126-84  72
   風呂場        6.4℃ 151-101 76
   入浴中 風呂湯温度 41℃   137-78  79
   入浴後             147-98  76
   リビング       17℃  124-84  75

* モデルハウスでの各室の温度と入浴前後の血圧の変動
   場所        温度    血圧      脈拍
   リビング      19.5℃ 120-80  72
   風呂場       19.5℃ 131-85  76
   入浴中 湯温41℃       125-82  74
   入浴後             134-86  76
   リビング      19.5℃ 122-82  75

温度差のない暮らしでは、以上の様に最高血圧、最低血圧とも変動は少ないという事
がお分かりいただけると思います。住環境を良くする事は、予防医療に繋がっている
といえます。予防の大切さを改めて認識したいものです。


団塊世代の家作りは慌てないこと

団塊世代のいえ作り、などという言葉を聞くことが多くなりました。

今までのいえ作りと何が違うのかを教えて欲しいものですが、何も変わることはない。

すでに存在していたパターンの中からコマーシャルに乗りそうなのを選定しては大声を出して叫んでいるだけのようにも思えます。

いつの時代にもコピーライターたちの言葉遊びに乗せられてしまうのは家作りの夢に酔った人たちです。

経済効果の風を吹かせるのがライターさんの役目で、確かに設計者もその一端を担う運命にあるのは否定しませんが何か寂しい思いをするのは私だけでしょうか?

団塊の世代の人々の内どれだけの人々が退職金を家作りに捧げるのかは知りませんが、大きく変わった生活習慣が自分の健康に与える影響を考えて、まず体のこと、そして自分自身の思いを再確認してから、おもむろに家作りに取り掛かって欲しいと考えるこの頃です。


身近にある免震構造

人にも忍耐強い人と逆境を受け流すように生きてゆける人がいるように、地震に耐え忍ぶ建物と地震を受け流す建物があるのをご存知でしょうか?

ちょっと考えてみても耐えて生きてゆくのはストレスが溜まってしまい、どこかで耐え切れなくなります。
逆境を受け流すように生きてゆける人は持って生まれて器用な人か、苦労の末に悟りを開いた人、もしくは鈍感な性格?かもしれません。
(小生の身の回りにも驚くほどデリカシーのない人がいます???)

実は建物の場合はそれほどの苦労もせずして地震を受け流すことができます。

木造の伝統工法、耐力壁が少なく釘などの金物ではなくホゾやクサビ、ヌキなどの仕口が構成されている建物、身近な例では神社や寺などです。

基礎は石の上に固定もせずに柱が据えられているだけ、柱とは柱はヌキで繋がれており、梁は柱に長ホゾで抜かれてクサビで止められている。

柱や梁はこれでもかと言わんばかりに身が太く、まさに自然素材の固まり、森の復元物です。

地震の実大実験でも阪神の大震災クラスの揺れにも、ギシギシと石の上で揺れながらも究極の免震で復元してしまうのも見たことがあります、めり込みが生じた部分は部分補修で元のままになる。

耐震、耐震と騒がなくともヌキ構造を見直して住宅の基本構造に取り込むことに目を向けてはどうでしょうか?

マスコミに流されて、にわかじたての建築知識でメーカーの手先のような家を作るようでは地震がきて壊れてしまうのが関の山。

住まい創りに大切なもの


家というものの価値観をどのように捕らえるかは人によって千差万別です。

小生の頭には現実の生活を前提に置いた家創りともいえるものが染み込んでしまっている性でしょうか、デザイン性を優先する設計は若い頃はそうであったかもしれないけれど、今はそれが本来のあるべく姿として到底考えられないのです。

ところが世の中の人気を勝ち得ようとすると写真的いや今風に言うとビジュアル系の住まいがもてはやされて、生活という生の人間を包み込む住まいは価値観が低いようです。

というよりその価値が分かりにくいようです。

どうしても優先したいのは、デザイン性が高く非日常的なリゾート気分とも思えるような住まいで味わう充実感よりも、お風呂が気持ちいい、朝起きるのが楽だ、夏の夜風が気持ちよく入る、美味しい野菜が収穫できる、などなど、具体的で分かりやすいシンプルな生活の充実感が味わえる住まいに価値観の重心をもってゆきたいと思ってしまいます。

みなさんはいかがですか?

若い学生建築アスリートの頃は時代を先取りするようなプランは人の人生にも影響を与えるのではないか、またそんな家創りがあってもいい、と思いを巡らせたものですが、最近は家創りは林業にも似た自分の世代では変化させてはいけないような普遍的役目、自ずとたどり着くような枠が存在することに気がついてきました。

これは考え方が年とともに硬くなってきたのではなく、50才を過ぎたからこそ確信的に分かる普遍性、仏教の輪廻転生にも似た真実なのです。

木造の住まいと林業、環境、これらのキーワードは時代を先取りしているように感じています。

話が大きくなりすぎて理解しずらくしてしまいました、失礼。

木材と化学物質はやはり仲が悪いのか?


金属と水でニオイ分子を分解するスメルキラー/ピンク

昨日は久しぶりに仕事から離れた日でした。

とはいえ、ぎふの木で家づくりコンクールでの表彰式に出席したということですから100パーセント離れたわけではない訳ですが、普段の緊張感からちょっと解放されてゲスト建築家のお話を聞く機会にも恵まれました。

丹波篠山で古民家再生に取り組んでおられる才本謙二氏のお話でした。

岐阜県産の木材使用を伸ばそうという取り組みの中での講演でもあり、やはり人間の住まう空間には肌に合う木材や土などの朽ちてなお美しい素材で作り上げて、それに身を任せるように年老いてゆくのが幸せではなかろうかというまとめでした。

もちろん人間の生活空間には化学物質は似合いません。

才本氏はそれをペットボトルの中の水に人間を例えて、不自然な状況の中で生活を続けてゆけば密閉された空間の中で心身ともに不健康な人生をおくることになるのでは・・・
といわれました。

自然素材と相性の良い先進的な化学物質とのマッチングで気密断熱空間を作ることにより通風効果を促し、自然な空気環境を作ろうとした小生の提案とはどこか食い違いを感じて聞いていました。

一気に過去の良き時代にあった自然な暮らしに戻してしまえば、理想ではあれどやはり現代人はストーブやエアコンを持ち込んでしまうことでしょう。

小生があえて気密に拘るのは内部の空間形状を工夫することにより自然な通風を呼び、エアコンという日本人の自縛霊から解放させる一手であるということを再確認したいところです。

木材のみに拘る考え方には、現代人に多く受け入れられる現実味と将来性を感じないため、環境技術とマッチングさせることを更に提案したいものです。

壁の下地



人によって住宅に対する価値観は面白いほど違うものです。

価値観の多様化は自由で豊かな社会の裏返しで喜ぶべきことではあるのですが、それでも本来のあり方は昔からそんなに変わってはいないのではないでしょうか。

誰もが考える共通の価値観が住宅に対するそれにもあるのは間違いないとは確信しているのですが、表面的な具体的好みは呆れるほど千差万別です。

住宅は生身の人間が過ごすという当たり前の事実があるのは百も承知のはずの設計者が、ときとして自分の主義に溺れていて見逃してしまう悲しさも感じます。

壁という存在に対して生活するご本人が設計者が思いもよらない感想を漏らされることもあります。

「どこに絵を掛けましょう?」

たったこの一言でハッと目が覚まされて、自分の思っていた住宅に対する考え方と大きく外れてしまっていたと反省したことのある設計者はたくさんいらっしゃることでしょう。

必死に自分の考え方を実現しようと踏ん張っている設計者であればあるほど、絵を掛ける場所や下地の具合、果ては設計当初の雰囲気作りなど、グルグルと思いが回転することでしょう。

建築主であるあなたにお教えしたいのは、そこでさも簡単に「どこでもいいですよ」なんて淡白な答えしか返ってこないようでしたら、要注意です。

果たして何が作りたかったのかをお尋ねになった方が得策です。

どの業界もプライドを忘れた行動が報じられているようですが、それほど思い入れをもって仕事に当たりたいものです。

それにしても壁の下地がどこに入っているかははっきりしておきましょう。

部屋の隅から眺めたインテリアデザイン



仕事が終わってからの私の憩いの場所は自宅の居間の隅っこです。

コーナータイプのソファーが南北に置かれた居間の南に西隅の部分、ここに南枕で寝転がってテレビを消して建築雑誌を読むのが癒しの時間帯、午後7時半頃から9時頃まで、そして朝早く。

なぜか部屋の隅に居ると落ち着くのは私だけでしょうか?

いかがですか?

8畳の居間の床近くから眺める斜め対角方向の天井や壁は、8畳にしては広く見えて、部屋の隅々まで見えて落ち着きます。

どんなに部屋が広くても隅っこが落ち着く空間であるのは人間の心理なのではないでしょうか。

子供が小学生の頃の運動会の日の昼食の時間に寝転がった体育館の隅っこ。

このときも同じ感覚に包まれたことがありました。

住まいのワンルームという発想には、隅っこの扱い方で隔てが無くても結構面白い空間作りが出来てしまうのもこれに関連した話ではないでしょうか。

手作りキッチン



ショールームが用意されているメーカーのキッチンは、ショールームで見ているせいでしょうか、仕上がった状態は確かに美しいのですが、何か生活感がなくまとまりすぎているような印象を受けます。

手作りのキッチンは自らこうして使ってくださいと言われているようで、料理の楽しさを表現しているようにも感じますが大袈裟でしょうか。

機器の性能を見ていても力こぶを感じますし、オープンな空間には自由度があります、まさに一生使い込んでいきたい感覚です。

アクセントタイルはアーストンモザイク・ウエルディエイソシエです。

気密を確保するために、吉川化成の換気扇が排気を開始すると同時に吸気扇が回転し始めるという仕掛けも作りました。

アイランド型キッチン



今年ももう少しでフィナーレ。

今年お会いした建築主さん、事務所へコマーシャルにみえるキッチン屋さんも、異口同音になぜかアイランド型キッチンがもてはやされていました。

アイランドを生かすプランは確かに意外性のある面白いものにはなりますが、果たして毎日の生活に負担にはならないかが不安でした。

充分な検討をされた方は良かったようですが、結局「ミーハー」に決定されかけた方もいらっしゃいました。

特に台所に向かう時間がどうしても短時間で終わらざるをえないような、「働く主婦」さんにはお奨めしたくないのです。

アイランド型キッチンを世に知らしめてくれた宮脇壇先生には申し訳ないんですが。

こんな考え方のキッチンはいかがでしょうか?

私の「北方住宅」




揖斐川町には北方というところがあります。

揖斐はこの北方の伊尾野という地名がルーツと言われていますが、ここに2004年に完成したのが私の「北方住宅」です。

岐阜県にはもうひとつの北方町があり、そちらには岐阜県庁ご自慢の北方住宅があります。

かの磯崎新さんやデイラーさんが設計に参加された共同住宅群です。

前知事、梶原拓氏は中央の建築家さんがお好きなようでしたが・・・・

話を戻して、私の「北方住宅」は木造の2階建てですが、岐阜県の「ぎふの木で家づくりコンクール」に出品してあり、一次審査を通過して現地審査を受けることになりました。

夕食のとき長女と冗談を交わしているときに思いついたパロディーでした。

辰巳工業のステンレス加工


グレコサイドテーブル2個セット

年末になってあまった時間を利用して「建築ブックマーク」さんの関係で、各務原の住宅の現場監理日記をまとめています。

今日もキッチンの流しを設置した頃の記事を書いていましたが、ちょうどその日が5月の25日で私の誕生日でした。

設置日が誕生日と重なっていたところで感傷的になる年齢でもないのですが、それ以上にキッチンの仕上がりの素晴らしさに感動したのです。

これだけ本格的なオリジナルキッチンを建築主さんと何度もデザインを打合せて作った経験は少なく良い経験をさせていただきました。

辰巳工業さんは知る人ぞ知る有名なキッチン屋さんですが、百聞は一見に如かず。

是非グーグルで検索してみてください。

また来年は「まちかどけんちくか」の内容をさらに詳しくお伝えできる編集を加える予定でおります。


建築雑誌は何のため

日経アーキテクチャー、日経ホームビルダー、建築ジャーナル、建築士、アーガスアイ、中電さんが送ってくださる雑誌。

どの雑誌も興味深いことが特集してあり、欲張って全てに目を通そうと頑張るのですが、結局全てを読めずに枕元に積みあげられています。

読んでみて全てが頭に残るわけも無く、全てが仕事の役に立つわけもないのですが、それでも読みたくて仕方が無いものだから読めなくて残るのは後悔ばかり。

お金を払って後悔を買っているようなもの。買わなきゃいいのに。

具体的知識の増殖や新たな発想の種を拾えることを望んでいるのですが、確信できるものは拾えずに、結局のところは仕事の企画に繋がる何か、大雑把な世の中の流・・・・程度に留まっています。

それでも買うのをやめようとしない「欲」に本当は感謝するべきなのでしょうか。



洋便器は小さくすれば便所を広くしなくてもいい

障害者の方など健常者以外の方のためにと叫ばれている「バリヤフリー」とかユニバーサルデザイン」。

そのための改修工事の一つの方法が便所を広くして、入りやすくする、補助器具を設置する、など。

最近の洋便器はエロンゲート(大型)レギュラー(普通)も以前のタンク付きのものより10センチ以上全長が小さくなっています。
そして便座の穴の形状が使いやすく改善されています。

私も最近メーカーさんのショールームで見てみて今更ながらびっくりしました。

確かに小さくなっているのは感じていましたがこれほど工夫が進んでいるのを、自分で舐めるように眺めてスケールを当たってみて分かりました。

したがって、従来からある便所の便器を取り替えるだけで、壁を破って広くする必要がなくなる可能性が大きく広がったということです。

大騒ぎすることではないような話ですが、まさにその不便さに苦しめられている方にとっては朗報です。

さらに発展させて、便所とお風呂と洗面所をひとつの空間にすると良いのではないでしょうか。

古いマンションのワンルーム型のユニットバスを思い浮かべている方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。

高級ホテルの広い空間のイメージで便利さを追求してみたいと考えています。

どこまで行っても設計監理者と施工者は平行線であるべき


グレコサイドテーブル2個セット

何年現場監理をやっていても思うのは施工者と監理者は平行線です、・・・というより最近はそうあるべきと感じるようになってきました。

自己満足ではなくこの年齢だからこそ確信をもっています。

この言葉はお互いの立場を理解しあわないほうが良いということを言っているのではありません、むしろその逆なのです。

きっと若い監理者には分からないでしょうね、残念ですが。

設計者と施工者は現場という土俵の上で甘えた関係を期待しあっていては、建築主に対して失礼で良い建物は残して挙げられないということです。

特に個人の住宅では真実です。

例え方が小さくてピントがぼけるかもしれませんが、民間工事でのコンクリート打設時の塩分濃度試験をするかしないかの施工者との押し競饅頭なんかがあります。

内陸部でのコンクリート打ちだからと確認を怠ると後悔が残ってしまいます。

これをキッチリ自信を持って目くじら立てずに指示できるのは、やはり経験の豊富な監理者にのみ出来る技(わざ)と言える。

作る楽しさ、住まう楽しさ



どんな仕事も楽しいばかりで終わることはありません。

苦しみが伴うからこそ楽しみもひとしお感じられることもあります。

また常に楽しさを感じながら仕事をすることは出来そうで出来ないことです。

ところが、好きでやっていることであったり、一回でもその仕事の醍醐味を感じているとちょっとした苦しみも難なく乗り越えて、知らず知らずのうちに面白さを感じてしまっているという場面にも出くわします。

それは永年同じ流れの中で身を浮かべているせいかも知れません。

そんな経験の中から最近感じることの一つに作る楽しさがあります。
しかしそれは作る側、設計者のエゴでしかないのかもしれません。

そのエゴは建築主にとっては必ずしも悪いことではなく有益なことのほうが多いのは確信を持っていますが。

さらに住まう側の建築主は住まうことのほうが当然のように興味が強いはず。
技術的な内容をマニアックに追求してみたい方もいらっしゃいますが、やはり住まう楽しさに興味が強いのは逆に住まう側のエゴ。

そのことにどれだけ思いを馳せて共感できる設計者でいられるかは、多くの経験を積み重ねてゆき、一つ一つの設計経験を丁寧に点検できなければ到達できないようです。

設計のプロと思えるにはそんな考え方の道筋に乗っかっていないと無理なのかなと・・・・・

設計事務所と請負業者の違い・その5


グレコサイドテーブル2個セット

続き

・ 全ての費用を知った上で計画的に住まいを作れます
設計者は工事を請け負うわけではありませんので計画段階で住まいを建築する際の全ての費用を算出して検討できます。
設計者は工事請負者のように工事契約を急ぐ必要もありませんので、中立な立場で算出した全ての費用は中立な物差しを作っておくようなものです。
それは冷静な物差しでもありますから算定の結果は必ずしもいわゆるお値打ちな内容ばかりではありませんが、解りやすく言えば監理者不在の場合のように知らないまま工事引渡後の追加請求はありません。

・ 忘れてはならない、設計者の設計には夢があります
なによりも設計者に取っては自分自身の研鑽の場でもあります。
どの建築主さんにもありがちな現状の暮らし向きをそのまま再現するような住まいだけではなく、新しい暮らし向きも提案して方向性を探ることも致します。
それは少しでも夢のある形を作ってゆくための方法だからです。

THE END

ここ数日書き込んでみた文章は、ある施主さんへの説明文章でした。
ちょっと堅い書き方ですが設計者から施主へ向けてのラブレターなんです。(こんな形でしか告白出来ない性格です、笑)

設計事務所と請負業者の違い・その4


グレコサイドテーブル2個セット

続き

・設計内容の正確な吟味と検討が工事の費用対効果を高めます
建築主さんは設計者に設計監理委託料、施工会社に工事請負代金を支払うことになり、何か損をするように思えます。
時間は必要ですが設計の検討を建築主さんと話し合いを重ねることにより間違いの少ない、ピントのハッキリした内容を固めてある設計図は、材料の検討比較による費用の節約ばかりでなく、工事の大きなウエイトを占める時間のロスも削減可能なのです。
また計画時に利害の対岸にいる請負業者に関係なく進める充分な検討は、建築主さん自身の住宅に対する理解が深まることも手伝って、結果的に工事費用を凝縮することになり、設計監理費用より以上の効果が生まれます。

続く

設計事務所と請負業者の違い・その3


グレコサイドテーブル2個セット

続き

・透明度の高い設計
設計内容によって工事費のサイズはコントロールすることが出来ます。
これは委任契約という建築主との信用関係の裏付けがあり、請負契約のように工事原価を隠す必要もなくそれさえもお教えして透明度を高めることができるのです。
建築主と設計者が委任契約で結ばれる場合には施工者の立場も考慮しますが、工事の完遂ではなく建築主の立場を優先した設計を進めることができる理由です。
だからこそ内容の充実を図ることが出来ると言えます。
勢い施工者には難問を突きつける内容になっていることもあり得ますが、枠にはまった一定の範囲内での設計ではないのです。
もっと言えば逆にローコストを目的にした設計も可能になるのです。
それも工事費に利益を残すことはさておき建築主の負担を軽くするためのローコストなのです。
一方で設計施工という言葉をお聴きになったことがあるかと思いますが、設計をする人(会社)と工事を実行する人(会社)が同一という工事形態です。
大手の建設会社のように組織が目的別に完全に独立しておれば問題はないのですが、少なくとも木造の軸組工法においては、設計事務所のように独立した形の設計監理は無理に等しいと言わざるをえません。

続く

設計事務所と請負業者の違い・その2


グレコサイドテーブル2個セット

続き

・設計施工はバランス感のない設計になりがち
建築主と約束した一定の性能を実現したら、他の性能を実現する努力は工事の利益を残す努力に変化してゆくということです。
さらに施工者の設計は自社の考え方を実現する道具であっても、建築主の考え方を丁寧にくみ取る道具にはなっていかないということになります。
これを如実に表しているのは、気密度は良い数字を出しているのにデザインが悪いなどの性能にバランス感を欠いている建物を見かけることです。

続く

設計事務所と請負業者の違い・その1


グレコサイドテーブル2個セット

大まじめな文章を書きましたので、毎日続けますのでしばらくお付き合い下さい。

建築主と設計事務所が結ぶのは委任契約と言います、設計料は決していわゆる贅沢な建物を作るための経費ではありません。
むしろその逆であることを以下にまとめてみました。

・ 建築主と設計者は委任契約で結ばれます
建築主と設計者は委任契約で結ばれますが、設計を依頼したというのみでなく設計者が建築主の代理人としての立場を約束する契約です。

・建築主と施工者は請負契約で結ばれます
これに対して建築主と施工者は請負契約で結ばれます。
まだまだ多くの住宅は請負契約のみで施工されているようですが、これはあくまで工事を請け負う契約であって、設計も同時に致しますという契約ではありません。
建物を建てる以上は設計が不必要な場合はひとつもないはずです。
確かに施工者の設計には最低限の法的不備はありません、またセールスポイントとする性能も付加されます、ただし工事を任される請負契約を結んで工事そのものの実行が目的である以上は、設計はあくまで工事を完遂するため、利益を残すための内容とならざるをえない宿命があります。

続く

窓(マド)と間戸(マド)



窓は英語のwindowの、まさに風を通す部材のイメージ、これを日本人は間戸と書いたようです。
杉原さんの想像ではなく故清家清先生の本にも書いてあります。
間を区切って使用していた日本建築にはこの言葉がピッタリ、源氏物語の絵巻物は教科書でもお馴染みですが思い出していただけるとよく解りますよね。
こちらのように日本の在来の木造軸組工法にはこの間戸により空間を区切ること、それは内部空間だけでなく、外部空間との境となる窓にもそのまま当てはめても面白いですね。

いつも断熱気密性を高めてボリュームのある空間を作っていますが、壁のあちこちに建具を忍ばせて区切りに自由度を持たせる手法を自然に多用することになってしまったのはちょと興味深い現象。
昔の夏を旨とすべし、の通風良好のみではなく、締め切ったらエネルギーを逃がさないぞ、の杉原さんの住宅でも、やはり別の意味合いで建具で空間を区切っています。
こちらの住宅でも良くわからないかもも知れませんがそんな工夫が隠されていますので平面図も参照してみてください)

それは音や風、人間の視界、冷暖房効率、間の使い勝手など、考えると奥の深いのが間戸です。

収納と生活




収納に関する建築主さんからの要望に最も多いのは「たくさん欲しいのです」というのものです。
あまりにも漠然としすぎていてどう受け止めていいものやら迷ってプランに具体的にどう配置して良いものやら困ることが多いため、まずはホームページの住まい方サーチからいただいた資料を手掛かりにしてゆきます。

プランするうえでの考え方の一つとしてシンプルに住まいの中での行動を振り返り、その目的場所のそれぞれで便利なようにという合理性に基づくことが良かろうというものです。
したがって、目的を果たす場所たとえば洗面所には何が欲しいか、台所には何が欲しいか、便所には何が欲しいか、といった具合に建築主さんに質問を繰り返すのが入り口になっています。

ところが面白いのは住まいを生活の場としてだけとらえていない人もいらっしゃるということです。
「センス良く」ということを優先させる場合もあります。

最近面白いパターンが登場しました。
それは今までで最もおおらかな考え方です。
現実の生活に登場しなくなったものはとにかく大きな納戸がどこかにあれば、そこにつっこんどきます、というものです。
曰く「時間がたってあらためて昔の写真や持ち物が出てくると懐かしくて楽しいものですよ、処分が難しいからと何でも整理して捨てることを考えなくてもいいじゃないですか」という意見です。
言い得て妙!

小生のように写真でも記念品でも捨てるくらいなら最初から買わなきゃいいんだよ、というのはこの人に言わせれば世捨て人に写ってしまいそうですが、最近では整理という行為は住まいの中の見栄えを良くすることだけでなく、生活のある時点でのセクションを設けて自分そのものを整理整頓して次を思う行為なのだろうと。

知らず知らずも内に誰もが行っている行為ではないでしょうか?

住まいを新築するに当たって、表面的なことばかりでなく、過去を振り返ると収納スペースをどうするかのヒントが拾えるのではないでしょうか。

連休は落ち着いてプラン作り




世の中は連休というのに、ほとんど休まずにいた私。
あるプランのパースをお得意のアーキキャドでモデリング、そしてサイトの編集作業でつぶれてしまいました。
つぶすつもりはなかったのですがつぶれてしまいました。
こういう人を「貧乏性」と言うのでしょうね。

ところが本人は意外とノンキというか、心中では「またか」と後悔の気持ちが渦巻いているのですが、諦めというよりここ数年は予定通りという積極的な気持ちが勝ってきてしまっています。

振り返って思うのは、自己実現を設計事務所に勤めながら目指しておられる方々への言葉として送りたいということ。(というには大上段に構えすぎで好きではないのですが、就職希望者をビーイングに出している手前、あえて書きます)

生活のためだとする仕事は辛さを乗り越えるまで頑張ろう、ということになります。
この場合、気持ちのエンジンはひとつしかなく挫折すると再起動するまで時間を要します。
ところが、これが自分の好きなことや自己実現のため、ということになると何か別のエンジンが起動する気がします。
ましてや独立してから100パーセントではないのですが、ほとんどの休日をこんなふうに過ごしてきていると、休日の意味合いが変わってしまいます。

これを数式に表すと「寛ー設計=0」となるのでしょうか?
0になるのが怖くて別のエンジンを起動してしまうのでしょうか?

それにしても建築主さんの「連休は杉原さんどちらへ」の言葉に「プラン作りとサイトの更新でもしようかと」と答えると「相変わらず仕事熱心ですね」と気の毒そうな顔をされると、逆にこちらが気の毒に思えてしまうのは何故でしょう?単なるおしゃべりだからか?

でも連休に描くプランはまとまりがいいですよ!

アイシネン気密断熱システム


スタンドランプ(アップル)


以前にもご紹介しましたアイシネン、今までいろいろな断熱気密を試してみましたがアイシネンが一番間違いのない性能を実現してくれているようです。
もちろん、現在の小生のデザインではという条件がつきますが。
材料の性能だけでなく、工法の手軽さという点が特に他の断熱気密に比べると優れています。
2,3日という時間で吹き付けるのみで必要な性能を確保できます。

ただ現場での吹き付け後の見栄えの印象に個人差があることによる施主さんの対応には、ときたま苦労します。
建物全体としての性能は大丈夫としても発泡のケロイドのようで厚みの条件を確保しづらい状況に修正工事を要求せざるをえないときがときたまあります。

アイシネン単体の商品の仕上がりに対する考え方には、北米からの輸入品に日本人らしい思いを突きつけているようで苦笑してしまいます。

みなさんも検索サイトでアイシネンを調べてやってください。

ツララはどうして出来るか



ツララはどうして出来るか知ってましたか?

子供の頃は学校の帰り道にツララを取ってなめてみた経験のある方は、小生と似た年代でしょうか?

あれは建物からエネルギーがダラダラ垂れ流している証拠であることを知ってましか?
何を隠そう室内の熱が屋根を抜けて屋根の上の雪を溶かして軒先まで流れ落ちてきた水分がツララとなっているのです。

今度どこかでそんな家を見つけたら、きっと暖房費が高くて断熱気密が悪いと心配してあげてください。
工務店の方は冬のうちにそんな家を見つけておいて、営業のネタにしてください。

冗談はおいてご自分の家を点検しましょう。!!

デザイン寛的・その7



皆さんは室内に柱がポツンと独立して立っているような部屋を見たことがありますか?
また、そんな状況は気にしますか?

建築主さんとプランの打合せを進めている課程では、平面図を前にしていることが多いものです。
仮に立体的なパース図や模型が隣にあっても理解の度合いが浅い状態ではかなり打合せは紛糾します。(こちらの能力不足かもしれませんが)

そんな一連のプラン作成の流れの中で、突然部屋の真ん中に柱がポツンと現れようものならばたいへんです。

もちろんこちらとしてはその柱に対しての構造上あるいはプラン上の大義名分を振りかざしてみてもケンモホロロ・・・・となることもありますが、地震発生のテロップがテレビに何度も流れるとさすがに状勢が変わってきています。

デザイン上の面白さもさることながら、やはり構造上の理由で決まるべき性質の話しであることをここでは強調しておきたいものです。

デザイン・寛的・その6



空間の魔術師とか匠の技なんてことばがテレビの中で踊っている時代になりました。
特に最近は国会の証人喚問にまで建築士さんが登場して午後のゴシップ番組にネタを提供しています。

デザイン的に洗練された住まいを求めてやまない人種も以前よりずっと増えてきた観もあります。
確かに生活の充実感満足感は、良いデザイン気に入ったデザインに包まれておれば得られることには間違いありません。
この椅子はコルビジェの頃のもの、この開放性は林昌子ばり、この打ちっ放しは安藤忠雄の世界か、とデザインフェチぽいですね。

しかし、それだけでいいですか?

年齢的に小生も贅沢になってきたのでしょうか、はたまた現実に住んでいる住まいが古くて不満まるけだからでしょうか、体にストレスをもたらす住まいの空気環境はいやですね。
使い勝手の良いトイレや快適で暖かくて温泉のようなバス、どこにいてもネットいじりができたり、などなど。

デザインが良いからと賞をいただけるより、美味しい食べ物、暖かい環境や家族のアットホームな雰囲気がいいですね。
みなさんはどうですか?

C値とはなんぞや

C値とは、建物の延べ床面積に対する隙間面積の割合を表す数値で、床面積1㎡あたりに何センチの隙間があるかを示しています。
この値が小さいほど気密性が高い事を意味するのです。

何を今更言われなくとも知っているよ、なんてのたまう専門家、否、いえずくりオタクが存在しかねないほどのHPの普及ぶりです。

ただし、隙間が無くて人間は生きていられるのと、真剣に考えすぎてしまい、挙げ句の果てに気密度の高い住宅は息が詰まるから悪い、とレッテルを貼ってしまい笑えない冗談になってしまっている雰囲気の方もいらっしゃいました。

すみません、C値の低さを競争ばかりしていて、正確な意味も伝え忘れている業界も良くなかったのでしょう。
そんな論争も一時期より冷めてきたように感じてきたからこそ、本当の意味を理解してもらわないといけないと考えます。

(財)建築環境・省エネルギー機構が提唱している『自立循環型住宅』はそれまでの論争を飲み込んだように寛大な表現で気密をとらえています。
小生はこれが本当のあり方で、目標とする焦点ではないかと考えています。

それは『自立循環型住宅』を、特殊な技術や未完成の技術を用いることなく一般的に入手できる手法・技術の組み合わせで、住宅の生活時のエネルギー消費を50%削減することを目指すものとしており、「自立循環型住宅の定義」「設計プロセス」「外皮設計技術」「自然エネルギー活用技術」「省エネルギー設備計画技術」「省エネ効果の定量予測」というポイントの絞り方にしており、気密度の数値目標は道具のひとつととらえているようです。

デザイン・寛的・その5



はね出す、折る、吊る、混ぜる、割る、省く、の林昌子なんてキーワードでヒントを暗記しておくと意外とアイデアに行き詰まったときに役立ちます。

アイデアをためておくノートにこのブログを利用するのもアイデアだなと、ふと思いついて書いています。

照明器具の中に水を入れてみたらどうでしょう、照射面には水のゆらゆらゆらぎが写り込み、宇宙の大原理、ゆらぎが人間に与える、あるいは感じて反応する現象を表現できないでしょうか。

雨の日には空から水が落ちてきます。
それを高い位置で受け止めて溜める屋根を作る、それは透明な素材で楕円形お椀のような形状です。
太陽の光を受けて地面にゆらぐ模様を写している、溜められている水槽は高架水槽のような役目もになっており、重力による水圧で生活用水の供給源にもなるのです。
位置エネルギーと水という恵み、そしてゆらぎの癒し、それが屋根として利用できたら面白い建物にならないだろうか。ちなみに柱はエンタシスの列柱。

大学生の頃に戻った気分でした。

空間が締まる



有名な建築家の書かれた本を読んでいると、「空間の文脈を読む」とか「空間を締める」なんて言葉が出てきます。
空間に文脈なんてあるもんか、空間を締めるなんて手でつかめるわけ無いよ、と思ってしまいます。
有名な方は特殊な言葉を使って周囲をはぐらかす手をよくご存じなものです。
ただ「空間が締まる」という言葉は意味が直接的で理解できる気が以前よりしています。

有名な建築家の美術館や教会の落ち着きや荘厳な雰囲気に出会うとやはりさすがだなと感心させられることは誰でも有るでしょう。

ごく最近では、金沢にある妹島和世の美術館を見に行ったときは、そのアイデアとシンプルで分かりやすい空間構成に「締まっているな」と感じました。

最近、竣工した明秀寺の外陣、内陣は照明の作り方で空間を締めてもらってます。

デザイン寛的・その4



建築はデザインだけでは語れないし、多くの機能も満たされないような建物は朽ちてゆくものと思います。
世の中の建築を目指す学生さんたちも(実は小生も)デザインというか魅力有る空間を作ることに憧れて、食べていけないのは建築設計を専業としている誰もが思っているし悩んでいることだと露知らずにこの世界に飛び込んでしまいました。
若さ故かも知れませんが・・・

ところが、この年齢になってつくづく思うのは、昨日ご紹介しました杉原千畝の人道的行動が忘れ去られた頃に認められたように、デザインを語れないのは道具を持たない大工さんのように悲しい後悔の残る建築家になってしまうのだろうなということです。

毎日の仕事を通じて自問自答を繰り返し、他の建築家の空間づくりを脇見しながら、淡々と図面を描き続け継続することが、何かの答えにたどり着くのだろうと決め込んでいます。

大学受験の頃教えてもらった「継続は力なり」ということばは、こんな小生の実に救い、かつ逃げ場所になっています。

ホームページタイトルの「まちかどけんちくか」の意味も時代をリードするような建築家には成りきれない切なさを感じられていいでしょ!

庇の思い出

古すぎて恥ずかしいくらいのヒット曲、「小指の思い出」なんて意味深なタイトル(全然普通か?)の歌を思い出します。

謎かけのように「の思い出」とタイトルを付けてしまってちょっと強引すぎる気もしますが、こちらはちっとも意味深でないけれど、小生にとっては強烈かつ運命的でもありました。

小生がまだ独立する前の駆け出し建築士の頃、一級建築士も取れて生意気盛りの頃でした。
盲目的さえ感じた元上司の庇信仰とでもいってしまってもいいように、とにかくデザインは脇に置いてでも庇を付けろの言葉に反発を覚えていたのでした。

その理由とするところは、雨漏りするような建物は建築基準法の「雨露をしのぐ」の建築の大原則をも満足しないことになるから・・・・ということだそうだった。

あのとき、理屈っぽい小生に庇の哲学的な意味があるかのように説いていてくれたならば、きっと今でもあの勤め先に居たのかもと思い出してひとりで気持ち悪く笑っていた。

ところが今はその庇を友人以上に大切に設計に取り入れてしまっている。
デザインは機能を満足してこそ本物、人の住まう屋根の下、生活を守る形、三角という力学的な安定感、天から差し込む日差し、住まいの廻りに風を起す、等々。

庇の意味やアイテムとしての無限の広がりを追い求めていることの原点が、あのときの上司との会話と不満であったことに気がついてきた。

「小指の思い出」のように痛くて恥ずかしい「庇の思い出」です。

骨のある図面

「あいつは骨のある奴だ」という言葉を聞くことは少なくなってしまいました。
「骨のある」とは、何に関しても絶対に外せぬものごとの基本を押さえた考え方を持っているとでも言いましょうか、小生の世界でいえば専門家としての専門性を外すことない生き方、仕事とでも言いましょうか。

残念なことに「何でもやります」という返事をオウム返しにする建築業者にはちょっとゲンナリしてしまいます。
「私どもにはこの仕事はお受けしかねます」といわれる方が何故か頼みたくなります。
あくまで専門家としての意見をキチンといえる人は無視できません。

日々の設計活動では、メーカーや販売代理店に製品の情報をいただくことがよくあります。どんなものにも長所と短所は表裏一体です。自社製品の売り込みだけでなく短所も正確に教えていただいていると、製品を指定して建築主へのコメンテーターとしての役割も担っている設計者として、引渡後のトラブルも未然に防ぐことも可能です。

「骨のある図面」を仕上げるには、そんな情報の集積に努めることも必要になります。

もちろん、過去の経験や研究の成果は当然それらをちりばめることや、工事の進行がスムーズにいくような図面のマトメ方も存在します。

小生は、図面の文字の大きさや配置、バランスや線の太さまでもが、それを左右すると信じてやみません。
ですから、絵的でない記号化された図面は嫌いです。記号化とは共通化を意味しており、個性を否定した行為なのです。
これは、サラリーマン化したドラフトマンには出来る芸当ではありません。
(若い設計者にもげきをとばしているつもり!!!)

そんな骨のある図面は現場の仕上がりも保証してくれることをよく知っているつもりです。まだ勉強中ですから「知っているつもり」になっているだけかもしれませんが。

素材はコマーシャルから

建築設計というのは、広く浅くあらゆる方面に興味の目を向けることが必要です。
広く浅くというと「なんだいい加減でいいんだ」なんて受け取ってしまいそうですが、ちょとそれは早計な判断です。

深く一点を見つめて見過ぎてしまうと見落としてしまうことがよくあります。
要するに気が多い人間に向く仕事でしょうか?実は小生は二重人格で軽薄で浮気な双子座です。(同じ双子座の人、すみません、でもお茶目で人気者だそうですよ)

建物に関わる事柄にどのようなことがあるかは常に考えつつ進めてゆく作業が設計という行為には不可欠です。
つまり常に追いかけるものに掛けるネットを持って走り続けてゆくようなものです。そしてそのネットは、穴のないように常に新しい状態に繕われていなければなりません。

それには、それが商行為であると分かっていても「買って欲しいんだからサービスしろよ」なんてお客さんになったような態度にならず、新しい情報であれば「教えてくれてありがとう」と受け入れることにすると、スッと頭に残ります。

そんな気持ちの素早い転換が、ときには「この人ちょっと変わっている、何話してんだろ私はこれを売りに来たのに」という気持ちの相手を煙に巻いてしますこともあります。
直感的にこれは面白い設計の素材だとピンときたら、やっぱり世の中で気に入って取り上げている他の人はたくさんいたりします。

そんな中の最近興味を持って、いろいろ変化させて使いこなしてみるのが、デザイン的にも面白く、機械に頼らない省エネルギーの設計素材がこちらです
この中の横ラインを構成するものです。
さあ、何でしょう?

誰か地下室を創らせてください~~~

誰か地下室を創らせて下さいませんか?
自分の家で創ればいいではないかと声が聞こえてきそうです。

本当はそうしたいところですが経済的障害と敷地的事情があって無理なんです。
基礎断熱を始めてから監理をさせていただいている現場にて、時間経過で床下空間の温度変化を調べてみたのですが、岐阜県西濃地方の神戸町というところなんですが、夏で26度(摂氏)、冬で15度(摂氏)が平均的な温度でした。

基礎断熱というのは、ベタ基礎の外部側に断熱パネルを張り床下に換気口を付けないで、床下を熱的に外部と遮断した形になっています。いうなれば、地下室の背の低いのです。
地面から2mくらい掘って半地下空間を作り、窓は部屋の上部に取り付けてそこから風と光を取り入れるといった方法で、きっと夏も冬も地熱に包まれた快適な空間がつくれること受け合いです。

地熱の利用は大昔から朝鮮や韓国、ヨーロッパなどでもごく一般的に行われてきたことです。
地球の地殻は卵の殻のようで海で6km程度、陸地で10kmから30kmだと知ると、マントルの熱の影響が身近に感じられませんか。

また地下室が有ると耐震的にも有利に働きますよ。

基礎断熱を手がけてから地下室の施工データも集めていますので是非作らせてやってください。

アイシネン気密断熱システム

今日はちょっと堅い話ですが、実質的で建設的です。
日本ではマイナーな存在の気密断熱システムかも知れませんが、「アイシネン気密断熱システム」という工法をご存じでしょうか?
専門家でない方で「知ってる、知ってる」なんてうなずかれる方がいらしたらビックリです。
この工法を知るまでは、みなさんも一度は新聞などでご覧になったことのあるような「外張断熱」や「内(軸間)断熱」という2大政党のように対立して論を戦わせている(正確にはテリトリー争いかも)大きな棲み分けが存在していますが、それらばかりに目がいってました。

小生も断熱を本格的にかじり始めたときは、室蘭工大の鎌田先生や南雄三さんの本を読んで研究してみたりして外張り断熱が理想に近いと考えていましたし、実際に設計に取り込んで実践してきました。
もちろん効果も実感できましたが、理想を追求するあまり、その複雑さや機械に頼りすぎていたりするのが気になっていました。
またプランが画一化する傾向があったり、現場管理の善し悪しが完成後の性能を落としたりしている現実の例も耳に入ってきていました。

本来、理想的な工法はもっとシンプルで分かりやすいのが真実であるべきだということに気が付き改善を考えていました。

断熱というのは建物内外の熱エネルギーの主に伝導や輻射による移動を押さえる効果、気密というのは建物内外の空気の対流による熱移動を押さえる効果、換気は建物内外の空気の移動をコントロールする役目といわれています。
暖冷房費を押さえるには基本的なこの3つをどう組み合わせるかです。

元来、寒冷地からはじまった高気密高断熱ですが、東海地方では冬の暖房ロスを逃がさぬように閉じたときには室内外の温度差が激しくないため、断熱性能よりは、より高気密が重要な要素となり、空気の移動による熱ロスを管理出来た方が効果が上がるということに注目しました。
また、熱の移動を押さえるには気密により空気に運ばれる熱を制限した方が良いという北米での理論にも同感したからでもあります。

外張り断熱には躯体内を通気して夏の涼しさを得ることを提唱している工法もありますが、気密性能が得られるのであれば体感的な涼感を得るように躯体内ではなく室内の通風の効果を目指した方がより原点に近く自然で良いと考えました。

すなわち高断熱高気密は東海地方では夏を旨とすべしとすれば冬は暖かく過ごせるいうことかもしれません。

涼感を得る通風に配慮したり、日差しを遮るのは昔から当たり前にやってきたことですが、何故か最近の住宅は庇をわざと短くして熱を入りやすくしておいて高価な熱反射ガラスを使ってみたり、風の通らないプランを率先して作ってしまっています。
単純で分かりやすい通風や日射遮蔽を先に書いた気密の効果に組み合わせることも考えています。

このあたりの理解には、もっと多くの字数が必要だろうと思いますがこのくらいにしておきます。

こんな思いを結晶させたのが「風を感じるオール電化」や「パッシブソーラーとオール電化」です。

竹フローリングの感触



竹のフローリングをご存じですか?
「風とオール電化」と題したこの住宅では竹のフローリングを使用してみました。

ムク材のフローリングに人気が集中していますが、設計の立場からいつも確認事項として申し上げているのが「キズを気にしないですか」ということです。
ミーハー気分でムクフローリングを希望され、材種をよく知らないと後悔をすることになるからです。

もちろんムクの材料はフローリングに限らず捨てがたい安らぎを感じさせてくれますが、人間の肌と接するときにはそれなりの処置と心構えが必要です。

竹という素材も昔より親しみ深い存在でもあり、硬くて水に強いのがムクの素材より優れた点でしょう。
また広く環境保護や省エネルギーにも一躍を担う存在でもあります。

現在の小生はこの竹の利用方法をムク板と合わせて考え、工夫を凝らして使ってみています。

中庭がもつ意味

中庭というと何を思い出されますか?
多くの方が京都の町屋の風情を思いだされているのでは無いでしょうか。
では、その風情だけですか?お気に入りなのは?

設計者の中には、住宅で囲われたその空間は耐震的に良くない、と一刀両断に批判の対象にしてしまう方が、特に最近は多く居ます。
だけどそれだけの見識にプラスして町屋の風情くらいを上げる設計者ならば、住宅の設計は契約されない方がいいですよ。

この建物のこの中庭に対する建築主さんの評価は、三つありました。

画像をご覧になると凹形状になっていることがお分かりだと思いますが、この中庭デッキの奥が居間になっております。
まず一つは、居間周辺がまんべんなく明るく過ごしやすい。
二つ目は、敷地周囲が広いので視線を気にしなくて良い方向を与えられており、気持ちが休まる。
三つ目は、意外と奥まで風が通るので涼しい、ということでした。

京都の町屋もゴチャゴチャしたイメージがありますが、風の上昇があり涼しい風通しがあると聞いておりますし、建物の凸凹がもたらす心地よい現象を逃さない手はありません。
設計者としては、耐震性を確保した枠の中で、こんな楽しみを感じさせてあげたいものです。

こちらのお家の週末は、このデッキにテーブルを出して、家族みんなで小パーティーをすることが多いそうです。

床下空間は恐ろしくて覗けなかった?




あなたのお宅では床下部分はどんなですか?
ネズミの天国で人間世界ではないのでしょうか?
覗いたこともない?怖くて覗けない?

そんなことないよ、ちゃんと生かしてあるよ、といわれてもせいぜい台所の床下収納庫程度ではないですか?

実は、映ってないのですが、この家の下には、大地下道ならぬ快適な床下空間が広がっており、
床上と温熱環境が大差ないので、お昼寝室や地下物入れになっているのです。

床下は90センチとってあります、これは基礎断熱工法を取り入れてあるからです。

何度も繰り返しますが、この工法は床下を室内と同じ環境とすることが出来ますので、計画の仕方ではかなり得しちゃったと思える場合もたくさん考えられます。

なぜかしら、ご当地揖斐川町ではこんないいこと知らない工事屋さんばかりで、残念でなりません。やっぱり石頭は可愛そうです。

人に教えると損しちゃうから、これ以上詳しい話は書きません。

瓦屋根は平屋が原点

瓦屋根のデザインを考えるときにいつも思うのは、平屋にならないかということです。
もちろん建築主の意志を無視するわけではないのですが、瓦の美しさをいちばん引き出せるのは、どうしても富士山のようになだらかで柔らかな曲線が、中途半端な垂直ラインが入らない状態で、地面に消えてゆくように見えることです。

プランの関係で平面的な凹凸が出てくるようでしたら、山並みが重なるようなイメージを描きつつマトメを試みます。(参考デザイン:K邸
ただ多くの場合は敷地の制約から2階建てになりがちでいつも残念賞です。

ところが思い入れは消えることが無く、2階建てになってもやはり平屋の残像が残るような姿になっていることが多いようです。(参考デザイン:T邸

それが証拠によくこんなことを人に言われます。
ご案内して現地を離れてから「あれ、今の家は2階建てでしたっけ」と・・・・

瓦デザインのコンペでは、かなり媚びたデザインや目立つ物件の話題性が優位を占めるようですが(瓦の宣伝ですから当然かも)本来はその美しさを引き出せる使い方を賞賛してほしいものです。

2階建てでも、その美しさを引き出す秘策があります。
・・・・・・それはヒロシの秘密です。(冗談ではなくあるんです)

建物に風を入れよう

以前、自立環境型住宅にて紹介をさせて頂いたことに関連性のあるお話しです。

構造の耐震性という観点からは、建物の平面形が整形であることを重要視していますが、夏の涼しい風を取り込むには、長方形のような平面的に安定したプランというだけではなく、ある程度の凸凹を取り入れることを考えに入れなければなりません。
古くは「曲がり屋」などはよく知られた工夫ですが、たとえば東面にウイング状の壁を取り付けたり、片開きの窓を風の向きを考慮しつつ配置したりといった具合です。
また、古くより専門家の研究対象ととなってきた分野なのですが、残念なことにスポットライトの当たることもなかったようです。
小生も関連図書を探してみたのですが、見あたらなかった時期が永く続きました。

「風を感じるオール電化」では、これらの工夫は耐震性を阻害するほどのことはなく取り入れることが出来ています。

工事費のかからない、何でもない簡単な工夫からはじめることが本来の省エネ対策ではないかと思います。

屋根と台風・その2

毎年、ここのところ台風の性質が変わりつつあるのを感じているのは小生だけではないでしょう。
台風が強大化しており、例年のごとく大きな被害を国土にもたらしていきます。

地球の温暖化により海水の対流や空気の対流が激しくなった自明の理だと科学者は説明してくれますが、指をくわえてみていても仕方がありません。

屋根の材料には瓦を、というのがこの地方(岐阜県)ではひとつのステイタスになっています。
確かに古来より瓦屋根は日本の原風景には欠かせないものの一つですが、この気象の変化を目の当たりにすると、考え直してみないといけないのでは無いでしょうか。

耐震性を高めるのに建物の重心を低くするという方法があります。
また風圧を受けた際に飛散の可能性を低くする必要があります。
省エネルギーの観点からも屋根に当たる太陽光を跳ね返す必要もあります。
これらを満足させるために、フッ素樹脂鋼板の加工品を使用するという判断も取り入れるようにしています。

今年7月に完成したこの住宅はそんな思いを込めて金属板(フッ素樹脂鋼板)の屋根としました。

選挙も設計も残り3日

衆議院選挙の投票日まであと3日です、小生の設計図のマトメの時間もあと3日です。
実施設計の図面のマトメ作業は、事務所の若い子に任せずに自分自身でまとめるのが小生の主義です。

経営に欲のある設計者には、こんな効率の悪いやり方は考えられないことでしょうが、設計の中身を確実に押さえて自分の設計意図を反映出来るのは、建築主との打合せのやりとりが充実してきて内容が固まってきた実施設計の最終段階がまさに好機なのです。

こんな最後の勝負の3日を人に任せてしまう設計者には、悲しい印象を持っていしまいます。

(今回のような大きな方針を握る国政の選挙では、普段の人間関係やしがらみで投票したり応援したりすることは間違っていますし、ましてやそれはさておきと設計のマトメを放り出して選挙事務所へ応援に駆けつける行動は生き方に合いません。
応援は投票そのものでするのが正しいと信じてやみません。)

他人の設計を見ていて、何かしら個性が結実してないなと感じる建物はこの実施設計の「最後の3日」を軽んじてしまっていることをどの設計者も感じているはずです。

屋根と台風

設計現場での屋根に関わる思い出にはたくさんあります。

強烈なのは台風が吹き付ける中で屋根の瓦が浮き上がる様子を目の当たりにしたこと。
屋根の形状が切り妻といって東西に棟があり南北に勾配が流れている最もポピュラーなものがあります。
この岐阜の西濃地方では南面から風が吹き付けることが多く、したがって北の流れでは瓦を持ち上げるような負圧がはたらきます。
まさに構造計算の授業で受けた風圧の係数の根拠を目前にしたことになります。
屋根のどのあたりがどんな具合に持ち上がるかはビデオ再生のようにハッキリ記憶に残っています。

見た建物は小生が以前設計した屋根ですので、念のため付け加えておきますが、屋根が飛んでいったということではありません。
それは土居葺きといって土の上に瓦が並べる旧の工法でしたので、瓦だけが浮き上がった状態になっただけでした。

地元の某有名人から「屋根の杉原」と呼ばれている手前(点前みそかな)、いい加減な仕様はできませんし、かえって神経質に監理しています。

今日は屋根と台風だけで終わりそうです。
もっと面白いエピソードもまた披露します。

自立環境型住宅・その2

昨日に続いて自立環境型住宅の概要をさらに整理してみました。
この建物は以下の要素技術の一部を活用しています。)

自然エネルギー活用技術として、自然風の利用、昼光の利用、太陽光発電、日射熱の利用、太陽熱給湯、建物外皮の熱遮断技術として、断熱外皮計画、日射遮蔽手法、省エネルギー設備技術として、暖冷房設備計画、換気設備計画、給湯設備計画、照明設備計画、高効率家電機器の導入、水と生ゴミの処理と効率利用、以上を指針の要素となる技術としています。

それらの要素技術の組み合わせによって、冷房、暖房、照明、電力、給湯、水などがどの程度削減できるかを、指針では具体例を示してくれているようです。

(実は以下の詳細は10月の講習にて明確になります。)

自立環境型住宅

建築環境・省エネルギー機構では省エネルギーに関する種々の取り組みをしていますが、最近、「自立環境型住宅」の設計指針というガイドラインをだしています。
常々実践している自然風の利用方法に何か手引きになる参考文献はないものかと探していた矢先にこんな情報があるのを知り嬉しい思いです。
また世の中の全体的傾向もそちらへ向いているのを再確認できたように思います。

自然風の利用法を立地条件により郊外型から都市部、またその中間部の分けて一定の指針を与えています。

また、日射の遮蔽技術においても、普段利用する庇に関する利用法を整理しています。

houseとhome

「houseは壊れるがhomeは壊れない」と正確な文言は違っているのかもしれませんが、清家清さんの生前の言葉です。
建築をかじっていらっしゃる方ならばほとんどがご存じの建築家です。
小生が学生の頃、インスタントコーヒーのCMでその存在感が一気に一般化されました。
最近では、ご子息(清家篤さん)が教育テレビに出てられるのを見たことがあり、その風貌の生き写しなことに感激していました。

本当は「houseはハード、homeはソフト」だったかもしれません。
いずれにせよ、正確な真意はともかくも、家庭というソフトの骨組みがしっかりしていれば、住まいというハードは壊れても再生可能だという意味で解釈しています。

さらに、ハードの性能ばかりを競争的に追いかけても、建築業者のマスターベーションに終わってしまい、家庭の器としては機能しないという意味に拡大出来るようにも思います。

利潤追求を第一にするものには出来ない仕業を、第3者のコンサルタントとして設計監理者がするという基本的役割がここに存在しているようです。

金物見参!

金物見参!とでも言いたげな存在、「いざ鎌倉!」とばかりに「この建物をお守り申し候」とこちらを向いて宣言されているようにも感じます。
従来からその必要性を叫ばれていましたが、阪神の震災から以降は一気にその使用が常識化して、伝統工法を周到している大工棟梁を押し黙らせてしまった観さえあります。

使用することの是非は、地震の発生を毎日のように報じる今となっては問えない状況にもなりつつありますが、それにしても「木が可愛そう」と言いたいのが正直なところです。

伝統的な木造の工法でも十分な耐震性が確保できれば金物の手伝いなど頼らずとも良かったのですが、日本人はその良さを忘れ去り振り返ることを怠り、金物の速効性にのみエールを送っているように見えてしまいます。

現金な国民性までも垣間見えてしまいます。
「お前は戦争を知らんから、がむしゃらに働かなければならなかった日本人のおかれた状況を知らんから、そんなノンキなことにかまってられたか」とお叱りも聞こえてきそうな気もしますが。

ともかくもこの金物のお助けマンに頼れば、耐震性を確保出来るのは、最近の多くの検証で実証されています。
ジレンマに陥ることなく、デザインさせて頂きます。合掌

ロフトの役目

ロフトは、物置と思っている方が多いのではないでしょうか?
英和辞典には以下のように出ています。・・・・・
━━ n., vt. ロフト ((倉庫・工場の上層階で,アトリエ・スタジオなどに利用)); 屋根裏(にしまう,たくわえる); 干草置場; (教会・講堂などの)階廊, 桟敷(さじき); 【ゴルフ・クリケット】高打ち(する).・・・・・

やはり主役には思えない内容ですね。

ここにも出ているようにロフトは屋根裏の部分を指しているようですが、室内の環境的には、ここに夏には熱気が集まってきます。また冬には暖気が集まってくることもあります。
すなわち、他の部分とは温度差ができるからこそ、環境劣悪で従来はのけ者だったのでしょうね。空間の形も三角だったり斜めだったりしますから尚更ですね。

ところがこの空間は「男の子の隠れ家の夢」をくすぐる空間であることを思うと多くの使い方が浮かんできます。

そして何よりも、工夫さえすれば温度差による風の動きを誘導する場所でもあります。
建物全体の環境をコントロールできる要素もあるのです。

そしてもう一つ、そんな工夫は世界中の伝統的建物にも見られる工夫でもあります。

デザイン・寛的・その3



建築設計の専門家の作品や仕事は、デザイン性が強いというのが一般的印象ではないでしょうか、たとえば「変わったデザイン」という言葉でひとくくりになっているようにも普段から感じています。

「変わった」という言葉は、そう発したことで自分には関係のない分野であることを伝えたい意味も含まれているのでしょうが、生業としているものにとっては、その程度の守備範囲では設計事務所経営者の生活は成り立ちません。
(なんかいきなり現実的なことばが出てしまいましたね)

いつも「デザインには理由をつける」という作業をすることにしています。
感覚に頼ってゆく部分は、もちろんありますが、理由を探すことによって中身のある設計に変身してゆくことになるでしょう。

つまり、まずデザインありきとスタートしますが、その形を創る理由、根拠、そしてデザインの意味も拡大解釈を試みたりと、考えを展開してゆくことが必要と思います。

理屈っぽいかもしれませんが、自分なりの新しい発想は、そんな苦し紛れの中から生まれてゆくものだと信じています。
デザインのスタートは感性と苦かもしれません。

野地板は野にあらず

建築の現場用語に「野」と「化粧」という言葉を使うことがあります。

「化粧」は化粧柱、化粧材、化粧板など、完成段階では表に見えてくる材料、「野」は野地、野もの、といった具合に主に下地となる隠れる部分で仕上げをしない部材を指したりします。
野地板は屋根の防水材の下に張る板材のことで、伝統工法ではヒノキや杉の板を勾配方向に張られてあるのを見た方もたくさんおられることでしょう。

「捨て」という言葉もよく使いますが、床下の捨て張りなどもバリヤフリーには欠かせない工程になってきております。

これらの屋根の野地板や床の捨て張り板が、今となっては一躍スターダムに(木造の構造の世界では、)のし上がってきました。

何故かと言えば、垂直方向の耐震壁ばかり丈夫にしても、水平方向の床や屋根を丈夫にしないと地震力は伝わらないからです。
専門家でなくても想像つきますよね?箱の横面があって上面がなければ壊れるに決まってますでしょ?

もちろん伝統工法でもそれらの部材を「野」とネーミングしてきた事情は歴史的にも工法的にもはっきりしておりますが、現代の木造ではこの「野」の一文字は下地となる捨て材ではなく、隠れた力持ちとして解釈し、釘やビスの数、打ち込むピッチ、使用する工具まで見守って丁寧に作業してやる必要の出てきた主役のひとりです。

エアバリヤーって何?その2

エアバリヤーの考え方については以前紹介しましたよね。
この考え方を知る前は、南雄三さんの本をしきりに読んでいました。
断熱・気密・換気についての解釈を丁寧に解りやすく書かれていますので、興味のある方は是非読んでみてください。
もし、あなたが住宅の設計者であろうとなかろうと読みやすくて参考になること請け合いです。

エアバリヤー(気密)に関する考え方を知るには、英語を読めなければ学問的には100パーセント理解できないという、日本での専門書は稀薄な状態のようです。
これについては、断熱・気密・換気の関係を理解されてからですとより理解がすすみますが・・・

ただ、この点は誰でも理解できると思うのです。
極端な例ですが、窓を開ければ空気が外部へ逃げますよね、同時に室内が冷房をかけてあれば冷気も逃げるのは当然です。

冷房をかける季節に窓を開放する人はいないでしょうが、部屋を密閉したとしても、壁や屋根、窓そのものの断熱性能をどれだけ上げても、漏れてゆく空気が運ぶ熱ロスが格段に大きく、これをコントロールできなければ省エネルギーは出来にくいのです。

この点の解りやすい例としては、鉄筋コンクリートのマンションにお住まいの方は、最上階でない限り結構エアコンの効きがよくありませんか。
断熱が良いのではなく、部屋を囲んでいるのが密度の高いコンクリートですから気密が良くて効きがいいと言えるようです。

小生としても、このあたりの勉強を進めてもっと解りやすい説明を書き加えてゆきたいと考えています。

仕口(しくち)

仕口(しくち)という言葉の響きには建築用語の伝統性を感じてしまうのは小生だけでしょうか?
仕事のやり口とでも言いたげな職人世界の臭いがします。

木造の水平材、垂直材、斜材を組み合わせるときの接合部のことですが、このブログを続けて読んでくださっている方には、以前「一体化」の話題でも触れたことに関連して、その接合部にかかった力を的確に伝える重要な役割のある部位です。

この部分をよく見て頂くと、どの程度の力を伝える必要のある部分かによって形がいろいろありますし、引っ張り方向か、圧縮方向か、せん断方向か、どの方向に力を伝えるかも考えられた形にもなっています。

また組み合わせるときの作業性や、組上がったときの接触面の時間軸での変化までも予想された形でもあります。

この世界に入って最初に見たときは、おかしな話ですが、本当に感動してしまいました。

いくら機械化されていっても、こんな場所に伝統が息づいているのを知っておいて頂くのも、家創りの醍醐味です。

風や音を生かす

あなたは枕をどちらに向けて眠ってますか?
小生の場合は2階の南面のベランダのある部屋で南枕で眠るのが最高です。
特に夏などはベランダからの南風が涼しくて、カエル(?)や虫の音も心地よく聞こえてきて脳内のアルファー波が出っぱなしで、疲れがとれます。

住まいの立地条件によっては、南面に奥行き広めのベランダを作り、床から高さ2m程度のサッシを幅広にしておき、そのサッシとなるべく直面する北面からの風の通路を作ってやると、この楽しみの環境が実現します。

夜風の心地よさもさることながら、虫の音や可愛いカエルちゃんの鳴き声は涼しさをちゃんと増幅してくれるから、そんな組み合わせを創ってくれた神様に感謝したくなります。

北枕が健康にいいなんて話も聞きますが、南枕がおすすめです。
敷地の環境条件を考えて、そんなポイントを押さえたデザインを実行するのも、幅広く考えをまとめる設計者の役目です。

また建築主さんもそんな余裕をもっていえ創りに臨んでほしいものです。

今は昔・今も昔も・・・

今は昔、竹取の翁という・・・というと今昔物語?学生の頃習った記憶が・・・
昔話の真実が変わらぬように工法や建材、機械やシステムが変わっても、現在のその姿を変えて生き残っているものがあります。
住まいの統括管理者は棟梁という大工の頭(かしら)がこなしてきたのが伝統的な木構造の世界でした。

プレカット(木軸組の工場加工)が登場してからは、設計者も棟梁との打合せは無くなり、プレカット工場の加工図担当で若いパソコンオペレーターとの詳細なやりとりに変わってしまいました。

機械の精度もかなり良くなり、正直に言うと大先輩の手加工大工との打合せよりずっと効率的で詳細な打合せが、数値データに基づいて出来るようになり、嬉しい限りです。
とはいえ、造作といって建物内部の仕上げ加工は、相変わらず大工さんの手加工ですので、やはり木材の癖を読み込む経験値には信頼をおいて工事を進めています。

木工事がその大半を占めた過去の良き時代では棟梁の統括管理がシステムとして最高でしたが、住まいの関わる機械や電気、ITなどあらゆる分野にわたる技術統括に加えて、最も大切な建築主とのコミュニケーションを円滑に進めるには設計という第3者の専門家としての必要性は、これからの「棟梁」と考えています。

現場の監理という法的な血の通わない響きを超えた存在価値を求められていると思えてなりません。

今日はすごく真面目なマトメでした。OK!ひろし

一体化すること

設計上でも工事でも、2つのものを一体化するという技を考えつつ作業を進める必要があります。

解りやすい例では、基礎などコンクリート躯体(骨組み)における打ち継ぐ技術です。
構造計算では柱と梁(柱と柱を横に繋ぐ部材)とは完全に一体化している、地震のときなどは力が滑らかに柱から梁に伝わると仮定していますが、現場での造る作業ではその仮定通りに理想に近い状態で打ち継がれることはありません。

ご存じない方にはショックかもしれませんが事実です。

構造の計算をする際にはそんな現場でのリスクを前提に安全率を見込んでありますが、それでも現場の作業条件次第でその安全率も吹き飛ぶようなことも起きます。

「設計でそれを充分フォローできる工夫をすればいいではないか」と思われる方が多いでしょうね。
ところが、それは出来るときとそうでないときがあります。
なぜならば、設計者は現場で出来上がってくるものと、建築主(クライアントと呼ばれることもあります)との考え方を一体化する作業があるからです。
建築主の意向に沿ったデザインを提案する義務があるからです。

建築主が店舗経営者ならば、お客様に顔を向けて計画を立案しなければなりません。
ここにも一体化する作業があります。

例はコンクリート躯体の一体化ですが、人間の意向や目的の一体化まで絡んでゆくのが建築という世界です。

土木の災害防止とはカラーが違っていますよね。

お話ししたかったのは、もっと大きな意味でしたが、時間がないので今日はこのあたりでおしまいひろし。

エアバリヤーって何?

エアバリヤーという言葉は聞くことが少なくても、高気密という言葉は聞かれることが多くなったのでは無いでしょうか?
新聞紙上でも、Q値、C値なんてのもよく報じられていますが、建築主さんによっては謎かけのように訊ねてこられる方もいらっしゃいます。
これらの値は住宅の熱性能を数値で解りやすくしたものですが、解りやすそうで実感しずらいものでもあります。

昔から風通しの良い家がいいなどと言われますが、この風は自然の力で勝手に入ってくる風のことなのです。
風は空気の動きですから、囲まれた住まいという空間に居る人間には体感的に涼しい思いをさせてくれます。

ところが一歩踏み込んで考えてみると、空気は同時に水蒸気や熱を運んでゆき、これがエネルギーロスに繋がってゆくことになるということです、すなわち、逆にそこの部分を神経質に検討しコントロールできれば、省エネ効果が高いということです。
このコントロールをするのにエアバリヤー(気密)という性能が必要になります。
外断熱とか軸間断熱とかいって工法を競い、住宅全体を断熱材で包み込むことに努力するよりも、その中を行き来する空気そのもの動きを見つめた方が効果的なようです。

読んで頂いている人によっては、すべて当たり前のことばかり書いているようで何を寝ぼけているの?と言われそうですが、こんな簡単な話に日本の住まいは何年も無関心というか、不器用で大雑把でいたようにも思います。

室内の空気を管理コントロールするということは、エアバリヤーが前提となります。
小生はこれに現在注目しています。

このあたりが解ってくると、たとえば微量の換気能力の換気扇を幾つも付けてあることに嫌悪感をいだく建築関係者もいらっしゃいますが、その建築業者さんにこそ嫌悪感をいだいてしまいます。

これに限らず、ちょっとでもマニアックに関心を強くもっていたほうが建築主さん自信も最終的に得をするのも事実です。

個性こそが生き伸びる道ですよ

一般的には、建築の設計事務所と聞くだけで個性あるデザインを提案してくれるんだろうな、と期待してくれる建築主さんが多いのではないでしょうか。

阪神の震災から以後は法令関係も大きく変わって、耐震性能などの建築の機能面も重視されることが多くなったこともあり、設計事務所の付加価値能力も高めざるをえなくなりました。
役所発注の大物件だけにとどまらず、個人レベルの建築主さんも幅の広い能力に期待をされるのではないでしょうか。
(幅広の能力があるかどうかは別にして、現にそんな建築主の皆様にお世話になっています。)

惜しいといつも感じてしまうのは、種々の条件を整理して噛み砕き、その設計者なりのデザインとして結晶されてないと感じてしまう建物に遭遇したときです。
(こちらも個性を理解できるだけの能力がないのかもしれませんが)
型通りの機能という条件に押しつぶされて個性を主張出来ていないということが、誰が見ても解ってしまうと気の毒な思いもします。

小生の文章の筋が抽象的専門的で理解できないと思ってみえる方には失礼します。

与えられるひとつひとつのチャンスに建築設計屋の個性を発揮できれば、それこそが他のどんな営業努力よりも力強い生き延びる道だと信じています。

そしてまた、どの案件もそんな思いを底流の脈々と流しながらの建築主さんとのコミュニケーションが設計の手法の一つといってもいいのでしょう。

今日は堅めのひろしです。

デザイン・寛的・その2



設計打合せではよく「100パーセント満足する住宅は出来ないですよ」と口を挟むことがあります。
そんなとき頭のなかをよぎる思いは、「100パーセントを望んでいるからあなたに依頼したのに、どうしてそんな後ろ向きな発言を・・・・専門家なんでしょ」と思ってみえないかな?、なんて。

これも何かの本の影響か、どこかのエイギョウマンさんの仕事の痕跡か、なぜか設計者も世の中に住宅を供給する生産者であり、建築主様はお客様で「神様」でありえてしまうのか?
専門家は建築主の少ない言葉の中からでも、全てを満足させてくれる物を創造してくれるという感じを抱かせてしまうマスコミ的印象のせいか?
悲しいかな、そんな不安を感じてしまうのだよ。

小生の言っているのは全然違っていて、デザインという言葉には夢を感じる響きがあって、何か絶対的なもののようだけど、生活という日々刻々と変わってゆくことを無視してはいけませんと言いたいのです。

住まいは「生活の容器」というように、デザインも、夢も、現実のコストも、機能も、み~んな建築主さんとの話し合いの中から、意見の相違も克服しつつ捻り出していくのが本来の姿と思うのです。

完成した後の生活への助走になっていくように。

デザイン・寛的



デザインがすばらしいですね。
褒めていただくと、単細胞の小生は勝手に舞い上がってしまいます。。
この場合のデザインとは、見栄えがするとかメリハリがはっきりしているといった感じかな?
すみません、お世辞だとわかっていても実は心の中で、何を言ってみえるんだろうと自問自答しています

デザインの枠を広く受け止めたいと考えています。

よくある例示に吊り橋の曲線美があります、あの美しさは膨大な構造計算の結果であること、人間の科学的追求の結果が期せずして自然が生み出した美と一致していることでした。
最近は、虫の生態や進化を研究して、環境を克服するために何を学んでこの時代まで生き残ってきたかを知り、人間の世界に応用してしまうという科学のジャンルもあるようです。

珍しくアカデミックな世界に入りすぎると出てこれなくなってしまいます。

建築のデザインも自然から学んで、自然素材を多く取り入れて造り自然に帰せるようにしておくことは言うまでもないことですし、自然の力やエネルギーを取り入れて地球に負担をかけるエネルギーロスを抑えたり、炭酸ガスを出さないことも大切です。

結局何を言いたいんだろう。

小生の場合、それらにプラスアルファ、デザインのヒントを建築主さんとの打合せの中から拾い上げてしまうことがあったりします。
何気ない、あっけないほどの単純な言葉がキーワードだったりします。

たとえばトップライトと庇です。
南面の屋根のトップライトは夏の日射しが強くて室内がたいへんな温度になります。
そして、庇は日射しを遮る伝統的建築部材です、かつ和風デザインの教祖様です。
つまり日射しが入る時間帯を庇で遮ってやろうとしました。

この結論は、「隠せばいいんだ」の奥様の一言で始まっちゃいました。

デザインにはコミュニケーションの良さも欠かせない要素なんだ。
時間がかかってもこれを無視したらデザインじゃなくなるのかな・・・・