正直者の設計屋に任せましょう

今日もこの時間、午前3時前には目が覚める。

お教えできない事情があります。・・・・なんて書くと次を読みたくなるでしょう?

こんな血流の見えるようなブログを書いていると簡単に本音を公開しちゃっていいのかと心配になると思われませんか?

一日に200人から300人がひょっとしたら覗いてみえる、私の気持ちを。
でもその半数以上は通過するだけの人たちだと思いますが・・・

ブログなんてむちゃくちゃ多くの人に見られていると思いきや、意外と面識のある方々しか見ていられないようにも思う。

なぜかといえば、それ以外の方々は私の思いに興味がある訳がない・・こんなおじさんの呟きに何てことないはずです・・・(笑)

この・笑・記号自体おかしいでしょ、おじさんくさくて。

毎日、毎日、設計図のことばかり考えている人間は機械のように思えるかもしれませんが、こんな匂うような話題が書きたくてウズウズしています。

脈略のない内容ですが最後に一言、私のような設計屋に仕事を託すと本当、お得ですよ。
自分に素直で嘘をつけないオヒトヨシ、欲がない分時間かけてじっくり作ってしまいます。

詳しくはではまたおいおい説明します。というか読んでると分かってきます。

思いっきり自由な発言

昨日は耳障りの悪い書込だったようです。
自分でも書きながらもいつもの自分でないように感じました。

もともとネチッとした人間関係というのは嫌いな方でさっぱり系に居心地の良さを感じるようです。

建築の設計屋も人間の感情を持った動物ですからお許しを。

もっとも、このブログ自体がそんな忌憚のないところを書き込むために他のホームページとは切り分けたのですが。

人間は一つの集団をつくると、その中で通用する常識を作ってしまう動物のようです。

私はその常識にすごく反感を覚えます。

何故かバランス感覚の無さをすぐに敏感に感じ取ってしまうからです。

そんな方は結構たくさんみえるように思いますが。

特に仕事に関する常識というものを作ってしまい、それを法律化して、治外法権かの如く世界を作ってしまう人種は多いように思います。特に専門家の職業である建築士は・・・

一般社会から見て特殊な談合なんて意味深な世界は大嫌いです。

またまた問題発言でしたか・・一部の人にとっては。。。

でもだんだん死語になりつつあるようですが。

日曜日は気持ちを休める日

今日は日曜日、何か予定が入っていたような記憶があるがそんなのどうでもいいや。
だいたい体を休める日なのだから、日曜まで予定を入れようとする習慣や常識はもうやめよう・・・個人的に

実際のところ日曜日まで仕事に絡む予定や設計打合せがあると月曜日が疲れてしまう、能率が上がらない。
と言うことで、土曜日はオーケー、日曜日はノー、と心に決めてしまっている。

これを他に大声を出して言わない。関係のない人に気を悪くされても困るから。

ところがところが、自分の考え方をズーズーしく他に強制する田舎臭い勘違いおじさんが近い距離に居る。
正直、口をきくのも嫌、存在を考えるのも嫌、勝手に生きてりゃいいのに他人の生き方まで勝手に決めたがる奴。

そのズーズーしさと裏腹に表と裏の世界を作りたがるいやらしさ。
こっちを向いているときとあっちを向いているときの話すことが全然違ってしまっている。

田舎は人間関係が濃いから・・・とんでもない・・・だからこそそうなんです。

こんな人、あなたの周囲にも居ませんか?

何でもアリの筋道のない節操のない生き方、生活のためなら嘘もアリ。
私はそんな生き方をしている人はいつかはきっと後悔する日がやってくると思います。

・・・・だから日曜日は必ず自分を休める日にしています。

ということで、読んでる人には迷惑なくらいな文章には真実が隠れています。

勝ちと負け

オリンピックが終わっていつものように「私の責任です、今回負けたのは」という言葉に溢れかえる、かの星野さんも。

勝負を糧に生きていかなければならないスポーツ選手の世界での「勝ち負け」と建築設計のそれとを明らかに履き違えてしまっている、履き違わざるを得ない状況にある、履き違うのが当たり前の時代、かも知れない。

仕事の発注を受けたこと、それ自体がゴールになってしまう、ゴールだと考えている。

出来てきた建物は迷惑顔でそこにある、私にはそう見えてしまう現実を感じています。

作れる悦びはどうでもいい・・・・・そんな設計者がいる以上は角さんが活躍したいた時代に逆戻り。

建築設計の世界での負けは負けではなく、むしろ勝ち。勝ちは負けである可能性を残す。
勝負は出来上がった建物が語ってくれる。

設計では後悔は最小限に

お恥ずかしい話をひとつ、自分の個性を発揮できそうな設計が消えてしまった話。

これだけ結論的な書き方をすれば、もう言わずもがな・・・

今年の7月にある小規模の福祉施設の設計に入りましたが、何とかなるだろうと掛かってみたものの仕事量の多さと、契約期間の短さに追いまくられていました。

周囲の人の協力は得られたものの、やはりスピードを上げるには自分でこつこつと描くのが一番ということに気がつき、それからは毎日徹夜をひとりで続けていました。

残念なことにその裏返しは他の仕事への気配りの欠如・・・なんです。

関係者の方が読まれていたなら大変失礼な発言になってしまいます、ごめんなさい。

確かにこの設計の中身は自分なりに把握できて今となれば収穫ある内容の仕事であったかもしれませんが、大変後悔する出来事が起きてしまいました。

それは依頼主の希望する期限に着手できなかったがために、工期がズレてしまうことがハッキリして工事業者の設計施工に切り替えることになってしまったことです。

残念な出来事ではあったものの、今にして思えば、慌てて設計してしまうくらいならばかえってこの方が良かったようにも思います。

振り返ってよく考えてみれば、時間的余裕というよりも、もし中途半端の設計になっていたらという・・・後悔のほうがズッと大きい理由です。

瓦は日本の心

本日、ある建設会社さんからいただいた情報というか、貴重な噂、生の声。

最近は油が値上がり傾向、過去の歴史が物語るようにリンクする関連商品は値上がり傾向のようです。

とりわけ瓦のお話です。

もとより東海地方の瓦の産地はお決まりの三州が有名です。

中小企業、否、小企業に支えられてきた瓦の製造元を直撃している今回の油の値上げ。

相変わらず競争の激しい建築業界にあっては、製造コストを2倍にするなんて通用する話ではありません。

売れなければ店じまいするより道はないこれまた厳しい弱者の道、同時に生活基盤を失う瓦の職人さんも居るとか。

日本の風土そのもでもある瓦をメンテナンスしていってくれた職人さんを見殺しにするなんて出来るわけもない。

大工さんも不足傾向にある日本の将来、いつの日にか甍の連なる日本の街並みは無くなってしまうのでしょうか?

寂しい限り。

妥協の上手な日本人は伝統の文化さえ妥協してしまうのでしょうか。

現場監理と床板の傷

ごく最近ですが、エキスポランドの事故を受けてコメントしていらっしゃった東大の先生が「失敗学」なる学問を体系化されているのをテレビの放送で知りました。

さすがに機械工学の先生だけに今回の事故は「金属疲労」のランクに入り、人為的要素の少ない部類だということです。

ただし現在の段階ではということでしたが。

建築の世界にも「失敗学のすすめ」なる本にお世話になる要素がありそうだと思い、さっそくお得意の楽天ブックスにてネット注文しました。

残念ながら表題の内容も「失敗学」に大いに関係しそうです。

建築工事をする以上、仕上の状態の良し悪しは人間と癌の関係、人間とエイズウイルスの関係にも似ています。

仲良くしたくはないが、一旦現れたら仲良くしざるをえない、付き合いたくない友人のような、もちろんそんなにノンキにはしていられないのですが。

建築を請け負った現場管理者の責任ですとばかりにスジ論を通していても、現に現場養生が悪ければ、監督さんの現場確認が悪ければ、あるいは協力業者さんの不可抗力が防止できなければ、避けたくとも起きてしまうことです。

建築主さんにとって起きて欲しくない傷跡ですが、出来てしまった以上は補修工事を行うようより手はありません。

補修というと補って修めるので中途半端で気分が悪いのですが、この時代にはそれに対応できるプロや科学の進歩が生んだ薬剤や工法が存在しているようです。

そんな方法論を徹底的に研究し実行するのが最大の建築主さんにたいする償いになっていくのでしょう。

大げさにも聞こえる決意表明ですが、何度現場監理に立ち合っても考え直さざるをえない失敗学です。

建築が他の工学とは違う位置関係で人間の肌と接している証拠ではないでしょうか。


建築設計の営業行為

何を今更とおっしゃる同じ穴のムジナさんたちがたくさんいらっしゃるとは思いますが、今更だからこんな時代だからこんなタイトルを思いつきました。

建築設計の世界を理解できる人は日本広しといえども本当に少数に違いありません。

ところが悲しいかな誰でもそうであるように自分の身の回りの半径何メートルかは定かではありません、目が届いて気になる生活圏は自分勝手に決めてしまっていることについては人間も犬と同様の縄張り意識のようなもの。

いくら設計の世界に住む人間にとって大義名分があっても外の世界の人々からは単なる犯罪にしかならない例が談合なのでしょう。

業界発展のためという考え方を隠れ蓑にしても、やっぱり世の流れや道徳観に照らし合わせればものごとに紙のような表と裏を作れば生来が善人にはストレスの溜まるのは間違いないようです。

錬金術であるかのように仕事を確保する手段としてこれで大規模な仕事を確保している会社はたくさん存在してきたことでしょう。
またそこで仕事をこなして勉強してきた設計者が現実には世の中にたくさん居ることでしょう。

そのことに目を瞑っているといつまでたっても島国根性の抜けない国民性を笑われてしまいそう。

否、和の精神が潰えてしまうのでしょうか?

どこまでいっても少女趣味の設計者と笑われてしまうのでしょうか?どれだけ頭を下げても人情論や意味の分からない馴れ合いだけで「それではお願いしましょう」なんてなりえないのが設計の営業の世界と考えている。
いやそうあらなければならないと考えつつ齢50うん歳になってしまいました。

いつになっても理想と現実はかけ離れてしまっている、それに開き直らないこと自体が大切な生き方なのでしょう。


初心に帰ろう


このブログでの方針はすぎはら設計という会社のブログでは書きたくないような個人的かつ偏りのある感想です。

日々の生活の中から零れ落ちる感想とも愚痴ともつかぬ、ひょっとしたらみなさんが読みたくも無いようなことも含まれているでしょうね、すみません。

それらのほうがきっと真実に近い欲得抜きで建築設計を生業とする人間の声がお聞かせできると信じているからです。

今日はこのブログを始めた頃の文章を読み返してみていましたが、最初の頃はかなり肩に力が入っていたなと気恥ずかしい思いをしました。

ではなく、初心に帰ってもっと中身のある内容を勉強しなければならないと書かなければならないのかもしれませんが。

ところで、小生のブログは全て携帯からアクセス出来るのはご存知でしたか?

携帯からでも覗いてみたいような中身にすることが先決なのですが、失礼。

建築雑誌もいいけど経済新聞もいいですよ


年収100万円で楽しく幸せに生活する本

最近はこのブログに金融の話題を取り上げるようになってからコメントが急激に増えてきたようです。

コメントいただいている方には申し訳ないのですが、ほとんどがコマーシャルで本来のコメントでなくなっています。

小生としてもその方がかえって疲れなくて有難い一面もありますが、というのも今日も愚痴に終わりそうな話題ですから。

実は現在建築監理をさせていただいている住宅は古い知り合いで新聞店を営んでいらっしゃる方のお住まいです。

経済新聞を十年以上も取り続けているにもかかわらずニュース欄しかマトモに読んだことが無かったのですが、ここのところはそんな事情もあって本来の経済欄を毎日チェックするようになりました。

日本経済新聞の「大機小機」や「まちかど」という欄をご存知でしょうか?

記者がニックネームになっていることもあるかもしれませんがとってもトレンディーな話題でピントのはっきりした面白い経済指標になっています。

実は昨日の株価の下がり方を匂わす発言もちょっと前に書いてあったばかりでした。

建築の単価が毎日話題になる小生にとっても建築の経済動向という意味でも参考にさせていただいております。

こんな話題に触れるとまた「儲かりますよ」なんてコメントが溢れるのは残念ですが。

アフェリエイトと設計事務所のブログ



アフェリエイトを始めたきっかけは書店での立ち読みでした。

1999年から始めたホームページの公開ですが、正直なところ目に見えた形で良かったことは建築主さんからの直接のアクセスでした。

確かにそれ以上に何が不服なの?という声が聞こえてきそうですが、欲をかけばキリがないというか、本屋さんで見たグーグルアドセンスの料率の良さです。

申し込んでしばらくは振込みがあったのですが、残念ながら身に覚えのない不正アクセスということであえなく掲載権利剥奪でした。

本来の建築の話題からはどんどん離れていってしまいますが、意外と新しい発見を提携する会社から頂いています。

これもネット時代の恩恵かもしれません。

ネットショップにしかない商品には、設計事務所だけでなく建築主さんとなられる方にも有益なアイデアが隠れています。

やはりネット時代は自己責任という狭いイメージだけを覗いてばかりいないで、寛大な心で望むとこと、古い考えを捨てる勇気を持たなければならないようです。

預金金利があがると言えども・・・


これから3年、家を買っていい人ダメな人

昨日報じられた日銀の金利上げ、0.25がさらに0.5パーセントに上がるそうです。

私たち庶民にとって金利が上がるという言葉が重荷(ローンが残っていても)に感じないほどお久しぶりの明るい話題になってしまうのではないでしょうか。

建築関係者には金利が上がりもしないのに今年念頭にサッシメーカーさんやキッチンメーカーさんからお聞きしていた単価アップのお知らせですが、あなたはご存知でしたか?

それに関しては結局着工分に関しては在庫製品で間に合うことになり胸を撫で下ろしたのですが、金利が上がるとなれば、値上げにも説得力が出てきてしまう痛し痒しの状況です。

また最近読んだ日経ホームビルダーの誌面調査では建築会社を決定しなかった理由の62パーセントまでが予算の折り合いで2位がデザインや間取りで38パーセント、3位は反りが合わなかったで21パーセントであったという現実。

やっぱり相変わらず世の中、特に一戸建てを扱っている中小工務店さんには厳しい状態が続いているのだろうか?

またまた慣用句のごとく出てしまう言葉ですが、値段で決めてしまう家作りは悔いを残してしまうよ、と一生に一回だからゆっくり考えましょうと・・・

【揖斐川町北方のいえ】–風を感じるオール電化–がコンクールにて入賞しました



このブログタイトルページに掲載しております【揖斐川町北方のいえ】が「岐阜の木で家づくりコンクール」にて入賞いたしました。

建築主様はもちろん、施工業者様や協力業者一同様、いつもブログを読んでいてくださる皆様に感謝いたします。

詳しい内容はこちらにも掲載されていますので、是非ご覧ください。

各務原山の前のいえ



2007年、明けましておめでとうございます。

昨年(2006年)の完成で各務原市の山の前町に出来上がった住宅工程から完成までを時間の流れを追ってシーンごとにコメントを入れてアルバム風に綴ってみました。

一連のシリーズのように現場で撮った一枚一枚のデジカメ写真を題材にした説明に、今回はポイントとなる一言を過去の現場経験を踏まえて付け加えています。

ひとつの拘りを持って住まいを創ってみたいとお思いの方、木造の住宅を勉強してみえる方など、それぞれの視点で読んでいただけると幸いです。

この現場解説シリーズをホームページに掲載し始めてから6年、中身の濃淡を問わなければ18件目になりますが、自分自身の足跡を自分なりの表現方法で残したいという思いと、考え方に賛同してくださる方に建築主になっていただきたいという思いもあります。

賞取りを目指してあるいは工事受注という手前勝手のために住まい手を脇へおくことなく、人の生活というものを前にしてじっくり考える住まいが良い住まいといえます。

建築ブックマークの建築ファイルにも他の同様な掲載がされていますのでご覧ください。

現場監理と現場管理

独立して間もない頃に知り合いの建設会社社長さんに「現場管理も勉強してもらうといいですね」といわれた事がある。
ちょっと腹が立ったので「現場監理を知ってもらうといいですよ」と答えたことがある。

この意味は理解できますか?

よく就職希望の面接に来られる方に「監理と管理の違いは何ですか」と尋ねてみますが、多くの場合はハッキリしない。
特に現場出身者には・・・・・
本当は現場監督を経験してらっしゃる方の方が分かるはずなのに。

管理者は現場の管理者です。
工程が遅れないように、種々の事情で変更があるようならば調整してゆく。
各協力業者の納まりや段取りを調整してゆく、いわゆるエンジンの潤滑油のような役目です。

監理者は監理者です。
工程の進行を邪魔をしてはいけませんが、設計を変えることはできません。
現場管理者は故意ではないのですが工程を急ぐあまりに設計の意図を変えてしまって解釈していることがあります。

こんな場面では監理者であることを主張すべきです。
これは例え相手が建築主であっても、事情を説明して理解を求めるのが職域というものです。

ちょっと話が飛躍してしまいますが、最近起きている日本全国の談合事件や公務員の不祥事など、いじめまでもがこの守らねばならない一線を「何でもあり」の民主主義の履き違えが起こしてしまっているようにも思えます。

かの構造計算偽装事件を引き起こしたのもこの延長線上にあります。

加えるに若い建築士さんにはこの基本を勉強してほしい、一般の方にはこのボヤキを知っていてほしい。



釘を大切に

釘に関する議論だけで何冊も本が書けてしまうほど現代の木造にとって重要な存在です。

ところが残念なことに従来の修行を積んでこられた大工さんの多くは、釘を使う仕事は邪道のような考え方が今もあります。
現代の木造軸組工法の現実と地震頻発を考え直してください!!

構造用合板を耐力壁として使う場合の建築基準法上の仕様は、壁倍率2.5となり釘の種類はSN50@150、厚みは7.5MM以上となっていますが、SN50@100、厚みは12MMを使用しています。
さらに釘の配置は日の字状に、そして構造用合板はできればということで2級より層の多い1級を使って欲しいものです。

釘のめり込みによる約20パーセントの耐力低下を防ぐためハンマーで打ち込んで欲しいのですが、どうしても機械打ちになってしまうために上記の仕様を厳しくチェックすることにしています。

現実の現場では人間のすることですので100パーセント完全な仕事はできません。
それを踏まえた仕様を設定するのも設計者の監理技術だと考えます。

もっと言えば、第三者として設計者が現場に存在するからこそ守られる内容であることを強調したいものです。

面白い いえづくりブログは?




設計者として本音で語れるブログが一番参考になると信じていますがどうなんでしょう?

建築主本人やハウスメーカーの元営業マンさん、結構カウント数を上げているブログに出くわすのですが。

建築主ご本人のブログは、失敗談や迷いが露骨に語られてあって「そうじゃないんだよ~」と設計者としては歯痒い思いや哀愁を感じてしまう。

ハウスメーカーの元営業マンさんのそれには、本音で裏話が語られていて建築主ご本人にとってはちょときつくて設計者までも不信感を持たれてしまいそう・・・

ブログは所詮読まれる人の自己責任で・・・とはいうものの不安を覚える内容が溢れています。

やはり設計者は本物は何かを語るのが、設計と監理のセットによるいえずくりを分かりやすく説くのが本来の姿かな・・・・とまあ平たく言えば癒し系の内容で大人らしいデザインと性能がいいのでしょう。(カウント数は上がらないかも知れませんが)

コンクリートとコンクリートは仲が悪い


テーブルランプ アクア


簡単そうで簡単でない、くっつきそうでくっつかない、そんな物事は人間関係に限らず建築の世界にもたくさん例があります。

だから世の中面白いという見方もありますが、これがコンクリートとコンクリート、コンクリートとモルタルという関係になりますと、ほとほと現場で困ったことが出てきます。

基礎の強度を落としてしまい意味をなさないベースと立ち上がりのくっつかない二度うちコンクリート。

土間コンクリートとくっつかずに浮いてしまったモルタル金コテ、オマケに目地を忘れてビシビシ入ったクラック。

私たちが若い頃は左官工事がたくさんあって、モルタルとの付き合い方に注意をしたものですが、今の若い建築士はそれを軽視しすぎる。

「理屈はどうあれクラックは絶対入るから目地を入れなさい」の忠告を無視して知らん顔。

悲しいかな感覚と経験で顛末が分かってしまうモルタル世代とでも言いますか。

案の定、失敗。

同時に勉強には素直さと謙虚さが必要であることを覚えて欲しいものです。

コンクリートとコンクリートがくっつかないほうの話しは笑い事ではない恐ろしい構造事故にも繋がってしまうことが身にしみるにはつらい経験をする前に勉強しろよ!

今日は分かる人には分かる話でした。

ミスタータイヤマンがオープンしました



このブログでは大いにイレギュラーなコマーシャルです。
ミスタータイヤマンといえば、日本中どの街でも見かけるブリヂストンのタイヤショップ、揖斐川町にも7月8日にオープンいたしました。
店舗の内装にはそれなりのこだわりを水野君が入れてくれました、是非みなさん宜しくお願いします。

東本願寺改修を目の当たりにして

18日に東本願寺の屋根改修現場を明秀寺様と見学してみました。

東大寺の大きさは幅57m、奥行50m、高さ49mですが、東本願寺でも親鸞聖人の像を安置してある御影堂は、幅76m、奥行58m、高さ38mで、数字を比較してみると、その大きさにおいて世界最大級の木造建築であることがよく分かっていただけるでしょう。

東大寺は修学旅行でも親しみがあり、その大きさを実感してみえる方は多いかと思われますが、あらためて数字を並べて比較してみました。

かなり強固な屋根構造をもっており、前回の改修は明治期だそうですが、瓦を取り外しても軒先で5センチ程度しか跳ね上がらなかったそうです。
屋根の軒先部分の内部構造を見てきましたが、かなり先端部分まで直径60センチ程度の丸太が間隔短く配置されていました。
厚さ9mm程度の留め金具もかなり見かけられましたし、釘の使用も行われていたようです。
東大寺の飛鳥の頃とは違った時代の流れを感じます。

現代の職人が金物を多用するのも許してもらえそうか・・・・勝手に得心していました。

トップライトのバリエーション

現在進行中の現場からトップライトの取り扱いの関する取り組みをご紹介します。

それは「庇とトップライトのコラボ」です。
あまり多くを語ってしまうと秘密をお教えすることになってしまいますので、写真を1枚掲載しておきます。

種明かしはまた後日します。

明秀寺 完成!

2003年の6月2日に初めてご住職からメールをいただいき早いもので1年半が経過、明秀寺も無事の完成引渡を終えて、10月の29日に落慶の法要と30日には稚児行列が行われます。
どなたがこのブログを読んでおられるかは想像するばかりです。
型どおりのコメントで恐縮ですが、この日を迎えることが出来たのも関係各位のご協力のたまものです、ありがとうございました。

はね出す、折る、吊る、混ぜる、割る、省く、の林昌子

表題に並べたキーワードは、かの建築家、故林昌子さんが、よく口にされた言葉です。
独立当初は師である清家清さんと似たデザインだと批判を受けたこともあるようですが、小生は大胆でスッキリした線を見せてくれるデザインに学生の頃は惹かれたものでした。

はね出す、折る、吊る、混ぜる、割る、省く、それぞれを復唱してみると、建物のプランを考えつつ出てきた言葉の意味深さに感じてしまいます。

最近竣工した大垣市内の寺院、明秀寺はそんな言葉を復唱して、勝手に感心していました。

本庄工業様に会いました



昨日、本庄工業の中川専務様とお話しするチャンスを得ました。

Jパネルを採用しているという共通点もあって、小生が勝手に盛り上がっていろいろお聴きしてしまった感がありますが、Jパネルの使い方のみでなく住まい創りに関しての考え方、木造の好きな建築主さんへのアプローチの仕方など共鳴する点を多く感じました。

過去の時代にあった建築に関わる専門便利屋さんのような立場をいとわず受け入れる考え方、暖炉などの共通の趣味的興味を持った方々との付かず離れずの交流の仕方、
独自の流れを見いだそうとする専門業者としての生き方など等々、何か小生の設計方針と共通するものを発見し、振り返ってこれで良かったと勝手に納得していました。

聞くところによると、本庄工業さんのイベントに同業材木屋さんが勉強にもみえたりもしていると聞き、地元工務店が日本の8割以上を占めるといわれるなか、これからの新しい工務店のあり方の示唆を感じました。

無垢材の香り



ある日の現場打ちあわせでの出来事をご紹介します。
木造の現場では木材の端材が「ゴミ」として出ることがあります、これは当然のことですが偶然を生み出すこともあるのです。

木材は不純物を含んでいないので、暖炉やたき火の焚き物には最適です。
建て方の後に残った端材がゲートボール練習場へ冬の暖をとる燃料として嫁入りしてゆきました。
近所の方が暖炉の焚き物に持ってゆかれたこともありました。

子供にはヒノキの香りは敏感に解るのでしょう。(大人でも解りますが、純粋に喜んでくれます)
建築主のお子様が、建て方の終わった現場でアチコチの柱の香りを嗅ぎ、「いいにおいがする」と何回も教えてくれます。

小生の経験でも、冬の現場で大工さんが始めたたき火の燃える臭いも郷愁があって忘れがたいものがありました。

環境にやさしくと現場での残材を出さないことを奨励していますが、思いもかけない副産物が生まれ、いろいろなリサイクルがされています。

法令で金縛りになるリサイクルではなく、昔あったようなやさしいリサイクルが出来てゆくもの木造の現場で教えてくれる気がします。

新様式・明秀寺

以前ご紹介させて頂きました新様式の太谷派寺院の明秀寺様のお話です。
岐阜では珍しい存在でも他県へ行けばあちこちで散見しますので「和便器と洋便器の違い」なんてちょっと不謹慎な例えをしてしまいました。

新様式と呼んでいますが、この呼び方は京都の全国に名の知れた仏具店様で小堀仏具の担当の方からお教え頂きました。
単に「従来の伝統的パターンではない寺の作り方」といった軽い意味ではないかと思います。

和便器と洋便器という例えはご住職の奥様とお話ししていてふっと出てきた話です。

時代の流れ、種々の環境、門徒様のことを考えるとこの様式がマッチしているという判断は、小生共のような設計者がある時代に受けた「受難」、すなわち和便器をすべて洋便器に変えてしまったことにより、実は体に負担無く使いやすいのにもかかわらず「こんなところで用がたせるか」とお叱りを受けたことと何か共通点を感じました。

洋便器もほどなく時代の承認を受けていったように、新様式も同様に時代の承認を受けて、自然な流れになってゆくよう思えます。

寺の屋根・・・明秀寺より

「バリヤフリーを生かした寺」にてご紹介した明秀寺という真宗太谷派の寺院の屋根です。銅板屋根の優しい曲線が水平方向の広がりを見せて建物全体の安心感と親しみ感を演じてくれてます。
小生は不謹慎にも手塚治虫の火の鳥のワンシーンのような、何となく鳳凰が羽を広げた姿に似てませんか。

バリヤフリーを生かした寺

浄土真宗の門徒の方で、ご自宅にお仏壇があるご家庭は、おそらく岐阜県内に限らず全国的にみても、少なくはないはずです。

これからお話しようとしている内容は、たまたま設計者としてお手伝いするご縁をいただいたのが浄土真宗大谷派のご本堂に関することではありましたが、信仰の自由の国、日本においては、浄土真宗に限らず人を救う宗教であれば、共通したことがらであることを最初にお断りしておかなければなりません。

何故か、お伝えしたいこととは反対に堅い内容から始まってしまいますが、浄土真宗の教えは学生時代の教科書にもあるように、親鸞聖人によって大成され、蓮如上人によって日本全国にひろまったことなどを鵜呑みで覚えている程度のお恥ずかしい門徒の私です。

子供の頃から当然のごとく仏壇の前に座らされて、足のシビレをこらえながら知らず知らずのうちに頭に焼き付いている「正信偈」の「帰命無量寿如来、南無不可思議光・・・・」。
中身を丁寧に勉強すれば、きっとすばらしい新たな発見もあることであろうが、ともかくも仏前でおとなしく大人と一緒にお経を合唱し手を合わせてみると、読経の音声の響きと共に、なにかしら神妙な気分になり、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんを思い出して、供養をしていることを子供なりに実感していました。

かく言う私は今年で満50歳、子供の頃のそんな記憶はどこかへ仕舞い込み、自分の道を闇雲に手探りしていた20代、道筋が見えてきてまっしぐらに走り続けた30代、落ち着いて進んでみようと40代、まだまだこれからだと自分に言いきかせ、新たな道を探ってみる50代、本堂を設計させていただくチャンスに恵まれたこともあり、今だからこそと振り返ってみて仏前に座ると、信心も恥ずかしいほど忘れているのに、不思議なことになぜかしら子供の頃のように神妙な気持ちの自分がそこに居た。
これが「門前の小僧、経を詠む」だろうか?、浄土真宗の真の教えを充分理解していないにもかかわらず、気持ちが安らぐのである。否、これがあるべき姿ではなかろうか。・・・それなりに悟っているのである。

そんな私が提案したい本堂は以下のようなものであった。
お寺は宗教施設の神々しさはもとより必要であるが、それだけではこの時代にはマッチしないのではないか、現に仏教寺院の建築様式は時代ごとに大きく変化を遂げてきているのは事実です。
健康かそうでないかに関わらず、人生の諸先輩方はもちろん老若男女全てを受け入れる、身近な存在感のある本堂のデザイン、雰囲気、バリヤフリーな機能性、寒さ暑さなど体にストレスを感じない室内環境をそなえていることである。
まさに住まいを考えるときに求められる寛げる「温かさ」にも通ずるありかた姿を実現したいと考えたのです。

正面向拝に通ずる階段は、踏み巾30センチ、一段の高さ16.5センチ、これは健常な80代の男性の意見から決めた寸法を採用しました
その脇をはしる勾配1.9パーセントの緩やかなスロープ、これはお参りする真正面から上がれる位置関係としている。
回廊周囲の窓はトーメーの掃きだしとなっており、室内のお参りの様子が戸が締め切られていても内部の様子がうかがい知れるようにしています。
扉は適度な重さの引戸ばかりで、縦長で大きなバー引き手が取付けられています。これも普段お参りされる諸先輩の立場になって考えてみました。
内陣(阿弥陀如来のある正面の部分)と外陣(門徒がお参りする部分)とは従来は段差がありましたが、完全にワンフロアーの同一高さです。
履物を脱ぐ土間にはフリーに握れる手すりがあり、時には軽量なハンディータイプのスロープが据え置き可能な上り框になっています。
お椀を伏せたような優しい銅板の屋根形状、外陣内陣の川の流れをモチーフにした曲線状の明るい天井照明、視認性も高く雰囲気も明るい白を基調とした内装です。
床、天井、窓が断熱性能の高い材料で包み込んで室内温度差を押さえる工夫。・・・・などなど
極めつけは、私も子供の頃苦労した正座ではなく、低いイス席でのお参りをすることです。!!!

おせっかいにならない程度でさりげない、私なりの「生きたバリヤフリー」のお寺を、ご住職夫妻の普段の思いを溶け込ませた理想に近い施設を実現したいと考えています。

明秀寺のお稚児さん

竣工の日が迫りつつある明秀寺(大垣市昼飯町)にて稚児行列があります。(詳しくは真光寺様のHPにてご案内)
だれもが思い出の片隅にある稚児行列、サイト管理者も白粉でお化粧されて「綺麗ね」と言われて複雑な思いをした記憶があります。
参加された皆様の記念写真や思い出のバックに明秀寺の屋根の曲線が残ってゆくことを楽しみにしています