今日は真面目な話題です。
若かりし頃はデザイン力を駆使して所謂売れる作品、賞の取れる作品を目指していた時期が続いていました。
そのために三次元の汎用CADのアーキキャドなんて当時としては高価で難しいソフトをマスターしました、もちろん今もプランニングには使っていますが、その方向性に何時しか疑問を持つようになりました。
それは木造の住宅を多く手がけるようになってきてからです。
最近は聞かなくなってきましたデザイン力を武器にした住まいの達人や匠番組、非日常性を感じさせる異空間の住まい、住宅を作る人たち。
彼らと同一線上に見られたくない、これ自体も独りよがりにも思えますが、人の生活に必要なものは本当は違うのではないかと、そんな思いを持つようになりました。
非日常の空間を日常である住宅の中に持ち込む理由や必要性は、確かにその趣味のある人々のものであって、永い人生の一断面にしか過ぎない空しさを感じてしまいます。
良いものとセンスの良さに囲まれた生活は、充実感と良い感覚を生む環境を作ってくれることはもちろん重要です。
それすらも考えず設計に臨んでいる設計屋は、私個人的な見方からすれば周りにも居ます。
順序からするとやはり人間の生活の容器としては、生活の山や谷の永い営みを見守ってくれる存在でありたいという思い、身を守る、暖かい、涼しいといった、ものを食べて美味しいと同等な位置づけで住宅を捉えて作ってゆくのが自然な考え方だと思うのです。
非日常的な異空間は一年に一度くらいはいいのですが、普段はやはり「美味しい」にはならないのです。