揖斐の家

工事業者と設計業者を同列になりがち区別がつかない、馴れ合いの存在を前提に物事を進めてしまう、建設工事に投資すれば概ね住民は納得するだろう、持ちつ持たれつではないかと真実が見えない、昔からそういうもんだという安直な意見。

そんなぬるま湯とゆでがえる的故郷、揖斐。

生活を支えるという崇高な目的であるにしろ、自分の思う設計を生業とすることは難しい。

しかし生まれた土地の人々に支えられている自分がいる。

矛盾する言葉の羅列に終わりそうだが、そんな現実を考えあぐねている毎日、ある日の朝事務所へ向かう道すがら振り返った池田山と揖斐の空は元気をくれるに十分なすがすがしさであることに気が付いた。

そんな余裕を持って生きている自分は幸せな存在だとつくずく感じる。

周りは自然に挑戦的なコンクリートの立方体に囲まれているわけではなく、逆らうことなく朽ちかけてゆく木造の壁、雨を受け流してゆく勾配屋根。

すべてが肩を張らずに、頑張りすぎずに生きろと教えてくれているようだ。

やはり無粋なコンクリートは揖斐には似合わぬ、木造がいい、揖斐の家。


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