家庭のあり方とありよう


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今日はこんなことを思い立って書いてみました。

「家庭のあり方」というと家庭はこうあるべきだ、と一定の形を思い浮かべてしまいます。

これに対して「家庭のありよう」というと家庭のありかたはいろいろあっていい、というような寛容な受け取り方を感じます。

最近次々起こる悲惨な家庭問題や教育問題を耳にするにつけて家族をもつ一員としては気になることばかりですが、当然ですが根本には家庭家族というものがあるのです。

家庭のあり方をこうあるべきだと形を限るように論ずるより、家庭のありようを、こんなありかた、あんなありかたもあるという切り口で考えてみるという、いろいろなケースを大きく捉えるところからスタートしたほうが糸口に入っていけそうな気がする。

一体全体どうなっているんだ、それではおかしい、それは普通ではない、そんなことはありえない、と全否定からスタートして、それはこうあるべきなんだ、こうするべきなんだ・・・と答えを探す感覚は事の重大さが分かっていない人々、外野席で怒鳴っているばかりで現在問題の渦中にある人々には声が届かないのです。

おきた事を何があったのかを具体的にひとつひとつ丁寧に聞き、大人である自分の育ってきた過程や時代、経験とその頃の思いを思い起こして照らし合わせる作業を根気よく繰り返してみること。

時間軸で過程、そして家庭のありようを点検してみること。

人の顔が全て違うように家庭もありようは違います、そしてそれを認める受け入れるポイントを探すことが重要なように感じます。

ありようというのはその家庭内では問題視するほど事ではない場合もあります、だからありようから、その家庭だけのあり方を発見し認め合うという寛容さが欲しいものです。

これは問題解決の糸口発見の手法というだけでなく、家庭内でのひとりひとりの関係にも同様です。

家作りにも同じ視点でそのプランを決定してゆく場面があります。

それはご両親に「お兄ちゃんがどうしても部屋が欲しいといっているので何とかお願いできませんか」とご本人の意思表明をお聞きしたときです。

こんな言葉をお聞きすると、これが本来の設計であると考え方を振り返って修正に汗してみます。

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