宮崎県知事と建築屋さん



センセーショナルに報じられた宮崎県知事選ですが、皆さんはどのように捕えてみえますか?

長野県知事の例もあり、焦っているのは与党さんだけでしょうか。

タレントさんは人の心を掴むのがお上手なのでしょうか、それにしても不祥事を受けての選挙とはいえ演説がお上手なのには驚きました。

間の取り方や言葉の使い方はあくのない小泉さんみたいです。

現首相よりずっとお上手だとは思われませんか?

個人的には大歓迎です。

こんな知事さんが現れるくらいの出来事も、その結果も受け入れてしまうような懐の大きな国になって欲しいものです。

あるインタビューで地元の建築業者さんは「知事さんは建築をご存じないですから勉強して欲しいものです」と辛口コメント。

それを聞いて思ったのは、当然勉強はされるでしょうが時代の流れを勉強されるのはあなたのほうではないでしょうか?

相変わらずの専門バカのようなコメントに恥ずかしい思いさえ持ちました。

かく言う私も勉強しますが。

ゼロ金利政策見直しと設計事務所



最近、マスコミで報じられた日銀の利上げの話。

ゼロ金利はすでに解除されているのですが、意外と世間は冷ややかに眺めていたようです。

その証拠に解除された直後に長期金利が敏感に反応しなかったとのこと。

日銀が徐々に金利を上げてゆくという流れが建築の設計者にどのような影響を及ぼしそうかということを考えてみていました。

それ以前に金利が上がるということは、世の中がどのように変わるのかということ、もっと具体的には企業の投資意欲が出てくるのか、消費行動が盛り上がってくるのかなどの見解を日経新聞関連の書籍で読み漁っています。

まるで設計とは関係なさそうなことなのですがこれが結構面白いのです。

普段触れることのない経済用語には実はよくお世話になる。

建築主さんと契約していただく建設会社の公開資料を呼んでいるときなどは、この意味をもっと深く理解できたなら・・・と勉強不足を後悔しているのですが。

それにもまして経済の大きな流れが変わろうとしている今、小さな弊社にも重要な動きが必要に思えます。

あなたはどう考えますか。興味ないですか。

警告!これでいいのか地球温暖化

京都議定書では2010年までに1990年レベルの6パーセント削減が要求されました。

民生用、つまり生活用や業務用の分野では2パーセントの削減目標が付けられました。

ところが住宅に関する生活エネルギーは2002年には1990年レベルの28.8パーセントも増えているというデータがあるそうです。

そこで2005年には地球温暖化対策推進大綱の目標値が改訂されて、民生用エネルギーは2010年までに6パーセントの増加まで抑制することが目標とされました。

私も興味を持って勉強している「自立環境型設計」では、2000年の標準的な住宅に比べてエネルギー消費に比べて半減させるという分かりやすい目標を示してくれました。
風を感じるオール電化の設計ではそのマニュアルを勉強して作っていました)

それまでハウスメーカーのコマーシャルに登場してきた一般には分かりにくい熱損失係数の数値競争に終わらせることのない一皮剥けた設計マニュアルが出来てきたということです。

それにしても残念なのは、日々感じる気候の異常を感じているにもかかわらず、先にご紹介した生活エネルギーの二酸化炭素排出量はちっとも好転に向かっていないという現実です。

今年のエルニーニョによる暖かい冬は、大地震の前兆ではないかとさえ思えてしまうのに、先の自立環境型設計のマニュアルのような素晴らしい技術力を生かしていける見込みがあるのか不安です。

憲法改正による軍備拡張を考えるよりも、このマニュアルに法的強制力が付けられないものかと考え込んでしまったのです。

部屋の隅から眺めたインテリアデザイン



仕事が終わってからの私の憩いの場所は自宅の居間の隅っこです。

コーナータイプのソファーが南北に置かれた居間の南に西隅の部分、ここに南枕で寝転がってテレビを消して建築雑誌を読むのが癒しの時間帯、午後7時半頃から9時頃まで、そして朝早く。

なぜか部屋の隅に居ると落ち着くのは私だけでしょうか?

いかがですか?

8畳の居間の床近くから眺める斜め対角方向の天井や壁は、8畳にしては広く見えて、部屋の隅々まで見えて落ち着きます。

どんなに部屋が広くても隅っこが落ち着く空間であるのは人間の心理なのではないでしょうか。

子供が小学生の頃の運動会の日の昼食の時間に寝転がった体育館の隅っこ。

このときも同じ感覚に包まれたことがありました。

住まいのワンルームという発想には、隅っこの扱い方で隔てが無くても結構面白い空間作りが出来てしまうのもこれに関連した話ではないでしょうか。

オープン価格と設計事務所



同業の方には強烈で皮肉っぽいタイトルになってしまいました。

こうも言いたくなるような設計料で役所と契約を結んでしまう設計事務所はたまに現れます。

決して後ろ向きに批判を目的に書いているわけではないことを前置きしておきます。

発注者にとっては予算が低く抑えられて良いサービスが得られればそれに越したことは無いはずですから。

そんなことが起きたときに残念なのは、経費が出ないからと手を抜くこと、それではいけないと次からは談合してしまおうと画策すること。

いつも思うのは、赤字が出そうならば辞退すれば良い、無理して契約してしまわずにお断りすればいいのに・・・ということです。

背に腹は代わらないからと赤字の仕事に挑んでも、残るのは空しさばかりです。

最近はこれを称してオープン価格と言うのかなー・・・・と考えることしきり。

もしこれがオープン価格であれば、自然発生的に適正なところに落ち着いていくのではないかというかすかな期待も持っています。

そんなことを考えてばかりいて暗くなっていくより、非現実的でもいいから、どこかのコンペで拾ってくれないかと慎ましやかな夢に酔っているおじさん設計屋でいたいと思っています。

【揖斐川町北方のいえ】–風を感じるオール電化–がコンクールにて入賞しました



このブログタイトルページに掲載しております【揖斐川町北方のいえ】が「岐阜の木で家づくりコンクール」にて入賞いたしました。

建築主様はもちろん、施工業者様や協力業者一同様、いつもブログを読んでいてくださる皆様に感謝いたします。

詳しい内容はこちらにも掲載されていますので、是非ご覧ください。

家庭のあり方とありよう


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今日はこんなことを思い立って書いてみました。

「家庭のあり方」というと家庭はこうあるべきだ、と一定の形を思い浮かべてしまいます。

これに対して「家庭のありよう」というと家庭のありかたはいろいろあっていい、というような寛容な受け取り方を感じます。

最近次々起こる悲惨な家庭問題や教育問題を耳にするにつけて家族をもつ一員としては気になることばかりですが、当然ですが根本には家庭家族というものがあるのです。

家庭のあり方をこうあるべきだと形を限るように論ずるより、家庭のありようを、こんなありかた、あんなありかたもあるという切り口で考えてみるという、いろいろなケースを大きく捉えるところからスタートしたほうが糸口に入っていけそうな気がする。

一体全体どうなっているんだ、それではおかしい、それは普通ではない、そんなことはありえない、と全否定からスタートして、それはこうあるべきなんだ、こうするべきなんだ・・・と答えを探す感覚は事の重大さが分かっていない人々、外野席で怒鳴っているばかりで現在問題の渦中にある人々には声が届かないのです。

おきた事を何があったのかを具体的にひとつひとつ丁寧に聞き、大人である自分の育ってきた過程や時代、経験とその頃の思いを思い起こして照らし合わせる作業を根気よく繰り返してみること。

時間軸で過程、そして家庭のありようを点検してみること。

人の顔が全て違うように家庭もありようは違います、そしてそれを認める受け入れるポイントを探すことが重要なように感じます。

ありようというのはその家庭内では問題視するほど事ではない場合もあります、だからありようから、その家庭だけのあり方を発見し認め合うという寛容さが欲しいものです。

これは問題解決の糸口発見の手法というだけでなく、家庭内でのひとりひとりの関係にも同様です。

家作りにも同じ視点でそのプランを決定してゆく場面があります。

それはご両親に「お兄ちゃんがどうしても部屋が欲しいといっているので何とかお願いできませんか」とご本人の意思表明をお聞きしたときです。

こんな言葉をお聞きすると、これが本来の設計であると考え方を振り返って修正に汗してみます。

各務原山の前のいえ



2007年、明けましておめでとうございます。

昨年(2006年)の完成で各務原市の山の前町に出来上がった住宅工程から完成までを時間の流れを追ってシーンごとにコメントを入れてアルバム風に綴ってみました。

一連のシリーズのように現場で撮った一枚一枚のデジカメ写真を題材にした説明に、今回はポイントとなる一言を過去の現場経験を踏まえて付け加えています。

ひとつの拘りを持って住まいを創ってみたいとお思いの方、木造の住宅を勉強してみえる方など、それぞれの視点で読んでいただけると幸いです。

この現場解説シリーズをホームページに掲載し始めてから6年、中身の濃淡を問わなければ18件目になりますが、自分自身の足跡を自分なりの表現方法で残したいという思いと、考え方に賛同してくださる方に建築主になっていただきたいという思いもあります。

賞取りを目指してあるいは工事受注という手前勝手のために住まい手を脇へおくことなく、人の生活というものを前にしてじっくり考える住まいが良い住まいといえます。

建築ブックマークの建築ファイルにも他の同様な掲載がされていますのでご覧ください。