同じ世界に住む設計家の中にも、いろいろな生き方を見ることができます。
設計家の世界は外部からは、ごく少数で特殊、そしてマイナーなようです。
(ただし、小生が覗ける設計家の世界というのは、岐阜の一地方のある団体内での出来事ばかりなので、新陳代謝も人的交流もかなり限られた中での話しですが。)
過去の経験ばかりを頼りに新規のプランを進めてゆくのは進歩がなく耐えられない性格で、食べていければいいとか、長いものには巻かれろとか、付き合いは大切になどという「創る」という言葉とは程遠い、それはまた別の世界と解釈している人間です。
岐阜の端っこで活動していても、毎日のホームページのカウントは300を超える日もあり、これは日本のどこかで、いや世界のどこかで、300の十分の一としても一日に30人は通過しないでいずれかのページを読んでいただけているものと信じています。
それは、同じ世界(団体)にだけ所属して、お互いの意識を高め合うことの少ない環境にはない可能性を持っていることの証拠です。
何かこれは娘たちが夢中になっていた「世界の中心で愛を叫ぶ」でしたっけ「セカチュウ」じゃないですが、「世界の端っこで叫ぶ・・・・」なんでしょうか???
ただ単に開き直って実をとるために、プライドをかなぐり捨てた設計家だけにはなりたくないと思い、自分の生き方を突き通せないかを模索しています。