C値とはなんぞや

C値とは、建物の延べ床面積に対する隙間面積の割合を表す数値で、床面積1㎡あたりに何センチの隙間があるかを示しています。
この値が小さいほど気密性が高い事を意味するのです。

何を今更言われなくとも知っているよ、なんてのたまう専門家、否、いえずくりオタクが存在しかねないほどのHPの普及ぶりです。

ただし、隙間が無くて人間は生きていられるのと、真剣に考えすぎてしまい、挙げ句の果てに気密度の高い住宅は息が詰まるから悪い、とレッテルを貼ってしまい笑えない冗談になってしまっている雰囲気の方もいらっしゃいました。

すみません、C値の低さを競争ばかりしていて、正確な意味も伝え忘れている業界も良くなかったのでしょう。
そんな論争も一時期より冷めてきたように感じてきたからこそ、本当の意味を理解してもらわないといけないと考えます。

(財)建築環境・省エネルギー機構が提唱している『自立循環型住宅』はそれまでの論争を飲み込んだように寛大な表現で気密をとらえています。
小生はこれが本当のあり方で、目標とする焦点ではないかと考えています。

それは『自立循環型住宅』を、特殊な技術や未完成の技術を用いることなく一般的に入手できる手法・技術の組み合わせで、住宅の生活時のエネルギー消費を50%削減することを目指すものとしており、「自立循環型住宅の定義」「設計プロセス」「外皮設計技術」「自然エネルギー活用技術」「省エネルギー設備計画技術」「省エネ効果の定量予測」というポイントの絞り方にしており、気密度の数値目標は道具のひとつととらえているようです。

構造計算は何のため・吹き出した計算書偽造問題・その1

ブログも今回の構造計算偽造の問題のような世情を取り上げるとカウントが当然のように上がります。
小生も同様な世界に住む業界人として、ブログのカウントアップの為ではなく、思いをぶちまけたくなってしまいます。

かの構造計算事務所も、ブログで取り上げて欲しくてこんな問題を引き起こしたわけでは当然なく、やはりというか「生活のため」という人間として崇高な事情があったからだったのでしょう。
それが社会の多くの人々の生活をも犠牲にしてしまうということが分からないわけもなく、自分の生活が優先してしまった。
エゴが勝ってしまった結果でした。

そんな心情を察するとつい同情してしまいますが、それでは何がいけなかったかを冷静に考えてみる必要があるのです。

ある構造計算のプロは、世の中のこんなことで大騒ぎして資格のあり方を考え直す時間があるならば、既存の建物の耐震改修を大騒ぎして進めてはどうか、とむしろ逆ギレ状態でした。
いわくは、古い規準で建てられた建物こそ世の中に大きな被害をもたらすことは、以前から自分たちが警鐘を発しているのに、計算屋を大いじめするマスコミや錬金術の道具なんかにするやからに怒り心頭のご様子です。

不景気が空けやらぬ状態が続いており、相変わらずの仕事の取り合いを演じている場合ではない。

せっかく世の中が注目してくれているのだから、ここは建築家の本当の価値、社会的重要性をを叫んで、大まじめに正面から取り組んでいる同胞をきちんと評価してやってくれよと言いたいものです。

東本願寺改修を目の当たりにして

18日に東本願寺の屋根改修現場を明秀寺様と見学してみました。

東大寺の大きさは幅57m、奥行50m、高さ49mですが、東本願寺でも親鸞聖人の像を安置してある御影堂は、幅76m、奥行58m、高さ38mで、数字を比較してみると、その大きさにおいて世界最大級の木造建築であることがよく分かっていただけるでしょう。

東大寺は修学旅行でも親しみがあり、その大きさを実感してみえる方は多いかと思われますが、あらためて数字を並べて比較してみました。

かなり強固な屋根構造をもっており、前回の改修は明治期だそうですが、瓦を取り外しても軒先で5センチ程度しか跳ね上がらなかったそうです。
屋根の軒先部分の内部構造を見てきましたが、かなり先端部分まで直径60センチ程度の丸太が間隔短く配置されていました。
厚さ9mm程度の留め金具もかなり見かけられましたし、釘の使用も行われていたようです。
東大寺の飛鳥の頃とは違った時代の流れを感じます。

現代の職人が金物を多用するのも許してもらえそうか・・・・勝手に得心していました。

デザイン・寛的・その5



はね出す、折る、吊る、混ぜる、割る、省く、の林昌子なんてキーワードでヒントを暗記しておくと意外とアイデアに行き詰まったときに役立ちます。

アイデアをためておくノートにこのブログを利用するのもアイデアだなと、ふと思いついて書いています。

照明器具の中に水を入れてみたらどうでしょう、照射面には水のゆらゆらゆらぎが写り込み、宇宙の大原理、ゆらぎが人間に与える、あるいは感じて反応する現象を表現できないでしょうか。

雨の日には空から水が落ちてきます。
それを高い位置で受け止めて溜める屋根を作る、それは透明な素材で楕円形お椀のような形状です。
太陽の光を受けて地面にゆらぐ模様を写している、溜められている水槽は高架水槽のような役目もになっており、重力による水圧で生活用水の供給源にもなるのです。
位置エネルギーと水という恵み、そしてゆらぎの癒し、それが屋根として利用できたら面白い建物にならないだろうか。ちなみに柱はエンタシスの列柱。

大学生の頃に戻った気分でした。

冷蔵庫を買い換えよう・その3



前回では、1994年以前の冷蔵庫を買い換えると600kw時の節約になり、月に6000円電気代が下がったご家庭が実在したこと、さらに最近の製品ならば一年に6000円の電気代で動いてしまっているということなどを書いてみました。

今回は、高効率の家電を導入することにより現状より約40パーセントの家電エネルギー削減率を実現する具体的内容を建築省エネルギー機構が提案しています、それをご紹介しておきます。

現状:2000年製冷蔵庫(400リットル)、ブラウン管テレビ、通常の電気ポット、通常の洗濯機、だとすると、40パーセント消費電力削減の組合せは2003年製冷蔵庫(400リットル)、液晶テレビ、瞬間湯沸かし時間制御付き温水暖房便座、魔法瓶タイプの電気ポット、低待機電力タイプの製品、となります。

もし、これをお読みになった方で「これはうちのパターンだ」と気が付かれたら、是非実行してみてください。

冷蔵庫を買い換えよう・その2



決してヤマダデンキから頼まれたわけでもないんです、考え直しましょう、この贅沢な家電生活を!

家庭における消費エネルギーの割合は、給湯(ガス)28パーセント、エアコン18パーセント、家電16パーセント、照明8パーセント、冷蔵庫8パーセント、換気扇8パーセント、水7パーセント、調理3パーセント、温水暖房便座3パーセント、給湯(電力)1パーセントの順です。

まず、湯を沸かすことと冷暖房の次が家電です、そして冷蔵庫、換気扇は別枠で注目を集めています。
湯を沸かすことや冷暖房は、ヒートポンプという空気中の熱量で電気エネルギーを補ってしまうという(約3倍)魔法の箱の出現で、テレビなどでよく耳にするエコキュートの登場で状況が大きく変わりつつあります。
また、小池百合子さんのクールビズやウオームビズも、その流れの中にあります。

家電関係は、先に挙げた冷蔵庫が電力消費の割合がで34パーセントで横綱級ですが、大関が29型テレビ30パーセント、小結が温水暖房便座11パーセント、以下温水暖房便座、MDコンポ6パーセントですよ。

冷蔵庫は、1994年以前の製品ならば、買い換えると一時間に約600KW時の節約ができます。
これが前回ご紹介した一ヶ月に6000円電気代が減ったという話しの根拠です。
ちなみに現在売り出されているテレビならば年間で6000円の電気代で済みますよ。

ブラウン管テレビの2000年以前のものは650KW時で現行機種の液晶テレビにすれば250KW時の節約です。

MDコンポなどの弱電機器がなぜ?と思われるでしょうが、彼らは待機電力を消費します。1990年代の製品の中には年間800KW時以上の待機電力を使う製品もあるようです。

地球温暖化なんかより、家庭の電気代を減らしたいと思いませんか? (続編にご期待を)

冷蔵庫を買い換えよう



先日、揖斐の田舎から名古屋の栄、オアシス21の近所まで出て行って、建築環境省エネルギー機構(IBEC)の『自立循環型住宅設計講習会』を聞いてきました。
以前も紹介しましたが、今日はその中から難しい話しはのけて、極めて分かりやすい話を一つ紹介しておきます。

1980年代の冷蔵庫のお話しです。
ちょっとはテレビなどで誰もが小耳の挟んだことがあるとは思いますが、意外と掛かる冷蔵庫の電気代です。
現行で販売されている冷蔵庫は1980年代のに比べると、電気代は10分の1になっているそうです。

これは、独立行政法人建築研究所の研究員の方が省エネ調査をされた結果の大まじめな話しです。

月に6000円も掛かっていた家庭が存在していたそうです。
お節介にその研究員の方がその調査協力をしていただいたお宅の奥様にお知らせしたら冷蔵庫を買い換えられたそうです。
そしたら月の電気代が、まさに月6000円も減少し、2年もすれば元が引けると言われたそうです。

研究員さんはその奥様にすごく感謝されて、めでたしめでたし!

日本昔話のような分かりやすい善意溢れる良いお話しでしょ。

ところがこれには続きがあります。

その研究員さんがご自分のご実家に帰られて冷蔵庫を調べてみたら、なんと1980年代製だったそうです。
さっそくお母様に買い換えるようにアドバイスしたら、「なにを贅沢言っているの」とお説教をいただいて聞き届けてもらえなかったそうです。

せっかくの研究結果は小生たち専門家には興味ある事実でも母にはかなわないかったのです。

おまけにお教えします。
DVDプレーヤーとトイレのウオシュレットが冷蔵庫に続く電気大食い家電だそうです。
必ず消費電力を確認して買いましょう、生活の知恵です。

建築主とのめぐり逢い・その1

同じ世界に住む設計家の中にも、いろいろな生き方を見ることができます。
設計家の世界は外部からは、ごく少数で特殊、そしてマイナーなようです。
(ただし、小生が覗ける設計家の世界というのは、岐阜の一地方のある団体内での出来事ばかりなので、新陳代謝も人的交流もかなり限られた中での話しですが。)

過去の経験ばかりを頼りに新規のプランを進めてゆくのは進歩がなく耐えられない性格で、食べていければいいとか、長いものには巻かれろとか、付き合いは大切になどという「創る」という言葉とは程遠い、それはまた別の世界と解釈している人間です。

岐阜の端っこで活動していても、毎日のホームページのカウントは300を超える日もあり、これは日本のどこかで、いや世界のどこかで、300の十分の一としても一日に30人は通過しないでいずれかのページを読んでいただけているものと信じています。

それは、同じ世界(団体)にだけ所属して、お互いの意識を高め合うことの少ない環境にはない可能性を持っていることの証拠です。
何かこれは娘たちが夢中になっていた「世界の中心で愛を叫ぶ」でしたっけ「セカチュウ」じゃないですが、「世界の端っこで叫ぶ・・・・」なんでしょうか???

ただ単に開き直って実をとるために、プライドをかなぐり捨てた設計家だけにはなりたくないと思い、自分の生き方を突き通せないかを模索しています。

設計監理者を入れることは贅沢ではない

世間一般の印象として、設計者を代理人として立てることは、設計監理の費用を余分に使いことになる、またデザイン性などの設計者の自己満足な考え方が入る、したがって結果として贅沢な建物を建てることになってしまうという・・・と誤解されている方が意外と多いようです。

特に設計者の利害の対岸におられる関係者が主張してやまないようです。
そういった方々はたぶん学生時代にその種の講座の単位を落とされている方か、もしくは他の学部に席を置かれていた方々なのでしょう。

小生のような近視眼の方が眼鏡を無くすと不自由なように、建築を深く勉強したことがなければ、そのきめ細かな部分が見えてくるわけもなく、したがって工事契約の中身が最初から委細に作られていなければ、たとえ契約書が存在しているからと安心していても、コップに穴が空いた状態で水をすくっているようなものです。
最初から小さな穴から水が漏れておれば浸みだしているのも気が付かないことになるからです。

設計者が自身の自己満足のためとはいえ、そのきめ細かな図面と積算書を片手に現場に通っておれば、自ずとそれは施主自身がご自分の建物の善し悪しを測る物差しを手にしているのと同じなのです。
裏返すと物差しのない現場には贅沢をしているか否かもわかり得ないと言うことになります。
またお金がどれだけかかったから贅沢だという発想は、ちょっと被害妄想的で闇雲すぎるようにも思えてきます。

建築の積算では1m2についていくらとか、単位あたりの金額を単価と呼びますが、それと同様に、出来上がった建物の単位あたりの費用対効果としてどうかと評価すべきものとも言えます。

自身がどんな建物をどのように造ろうとしているかを知る物差しを持って建築に臨むことは、財産を確実に理解できうる状態で手にすることになり、インフラ成熟時代にマッチしたやり方なのです。

そして全然贅沢なんかではありませんし、小生から見ると単なる世間知らずにさえ写ることもあります。

余談ですが、逆にお金を生ませることだって出来ることがあります。

こちらもご参照下さい)

ほっと一息のメール




小生の作品紹介や会社案内のホームページ「まちかどけんちくか」にも以前紹介させていただいたことがありました。
神奈川の高校生の方からリンク依頼のメールをいただいたお話しです。

高校の学習の一貫でしょうか、建築特に住まいに関するホームページをグループで立ち上げて、コンテストに応募されるについて、小生のホームページ内「次世代のいえとは」を引用し編集に組み込みたいという依頼でした。

もちろん、たいへん楽しくて嬉しいお話しでもありますので、岐阜から遠い神奈川に向かってオーケーサインを送っておきました。

そんな出来事が今年の2月のことでしたが、それから後、コンテストの結果や様子を短文ながら、ときどきメール送信してくれています。

小生にも同年齢の娘がおり、なにか微笑ましい思いで仕事が一段落した夜中にお返事を書いております。

このブログもそうですが、日々浮かぶ思いを書き記すことの楽しさと共に充実感を感じています。

「言霊」という言葉があるように、思いを書き連ねる魂のこもった行為はなにもにも代え難い価値をみいだします。

トップライトのバリエーション

現在進行中の現場からトップライトの取り扱いの関する取り組みをご紹介します。

それは「庇とトップライトのコラボ」です。
あまり多くを語ってしまうと秘密をお教えすることになってしまいますので、写真を1枚掲載しておきます。

種明かしはまた後日します。