明秀寺 完成!

2003年の6月2日に初めてご住職からメールをいただいき早いもので1年半が経過、明秀寺も無事の完成引渡を終えて、10月の29日に落慶の法要と30日には稚児行列が行われます。
どなたがこのブログを読んでおられるかは想像するばかりです。
型どおりのコメントで恐縮ですが、この日を迎えることが出来たのも関係各位のご協力のたまものです、ありがとうございました。

空間が締まる



有名な建築家の書かれた本を読んでいると、「空間の文脈を読む」とか「空間を締める」なんて言葉が出てきます。
空間に文脈なんてあるもんか、空間を締めるなんて手でつかめるわけ無いよ、と思ってしまいます。
有名な方は特殊な言葉を使って周囲をはぐらかす手をよくご存じなものです。
ただ「空間が締まる」という言葉は意味が直接的で理解できる気が以前よりしています。

有名な建築家の美術館や教会の落ち着きや荘厳な雰囲気に出会うとやはりさすがだなと感心させられることは誰でも有るでしょう。

ごく最近では、金沢にある妹島和世の美術館を見に行ったときは、そのアイデアとシンプルで分かりやすい空間構成に「締まっているな」と感じました。

最近、竣工した明秀寺の外陣、内陣は照明の作り方で空間を締めてもらってます。

財産になる家・その1

時代は変わっても変化しない事実は存在するものです、住まいや建築に関することにも多くの変わらない事実があります。

ハウスメーカーや工務店、私たち設計事務所のホームページにさえも、デザインと面積や施工会社、そして工事費を明確に唱った上で内容をアピールしてあります。
確かに建築主予備軍のみなさんは、それらのデータを必要としている方が大半ですが、それらだけでは満足できていないのも事実でしょう。

その理由は以前のテレビと同じで双方向で情報が流れていないからですが、この理由が分かってきても、このラインをどういった形で確保するかも難しい課題ですよね。

小生は小さな設計事務所の経営者ですので、ご多分に漏れずこの双方向ラインの確保の方法論は毎日のように考えています。

分かりやすい具体例は世にはやっているオープンハウスというイベントです。

建築主さんとのコミュニケーションには役立つ古典的な手法ですが、時代に流れでちょっと変わってきたのはホームページを運営できていてネットを駆使できてる会社じゃないと、コミュニケーションがうまくいかず、信用性に欠けているという評価されてきているようです。

そしてそんなコミュニケーションを良好なものにする根底に流れている考え方のキーワードは、小生の事務所では「財産となる家」をイメージしています。

デザイン寛的・その4



建築はデザインだけでは語れないし、多くの機能も満たされないような建物は朽ちてゆくものと思います。
世の中の建築を目指す学生さんたちも(実は小生も)デザインというか魅力有る空間を作ることに憧れて、食べていけないのは建築設計を専業としている誰もが思っているし悩んでいることだと露知らずにこの世界に飛び込んでしまいました。
若さ故かも知れませんが・・・

ところが、この年齢になってつくづく思うのは、昨日ご紹介しました杉原千畝の人道的行動が忘れ去られた頃に認められたように、デザインを語れないのは道具を持たない大工さんのように悲しい後悔の残る建築家になってしまうのだろうなということです。

毎日の仕事を通じて自問自答を繰り返し、他の建築家の空間づくりを脇見しながら、淡々と図面を描き続け継続することが、何かの答えにたどり着くのだろうと決め込んでいます。

大学受験の頃教えてもらった「継続は力なり」ということばは、こんな小生の実に救い、かつ逃げ場所になっています。

ホームページタイトルの「まちかどけんちくか」の意味も時代をリードするような建築家には成りきれない切なさを感じられていいでしょ!

杉原千畝との関係

先週でしたか日本のシンドラーと言われる杉原千畝の物語をテレビで見ました。
何も打合せはしてなかったのですが、何故か知らぬ間に家族が居間に集まって見ていました。

彼のユダヤ人を救った功績を知らない日本人は少ないのではないでしょうか。

ビザ発給という結論に至った事情には単なる人道的な意味だけでなく、彼の個人的な歩みの中から、あるいは性格からも、ごく自然な結論であったことを分かりやすく伝えていました。

人間として立派な行為を自分の名誉や立場まで犠牲にしてまでも実行したことは、仮に現代に起こった出来事にしても「正直者はバカをみる」のそしりを受けることだったのではないかと思います。

救ったユダヤ人に戦後再会したときに問いかけられた「センポーは幸せな人生でしたか」の問いに「幸せな人生でした」と答えた心の内には、信念を曲げずにいた頑な自分へのねぎらいの気持ちと間違ってなかったというご自分の人生訓も有ったのかもしれませんが、何故かしら小生には同姓だというだけで感動を覚えました。

ここで特筆したいのは、その感動が同姓だからと言うわけでは無いでしょうが、正直者ということと、正義感が押さえきれないという共通点も感じていました。

というのも、現場で見つけた工事要領の悪い部分の修正を迫る自分を重ねていたのかも知れません。
こちらは人道というより、もっと小さくてしかも当然のプロ根性からでしょうが。

はね出す、折る、吊る、混ぜる、割る、省く、の林昌子

表題に並べたキーワードは、かの建築家、故林昌子さんが、よく口にされた言葉です。
独立当初は師である清家清さんと似たデザインだと批判を受けたこともあるようですが、小生は大胆でスッキリした線を見せてくれるデザインに学生の頃は惹かれたものでした。

はね出す、折る、吊る、混ぜる、割る、省く、それぞれを復唱してみると、建物のプランを考えつつ出てきた言葉の意味深さに感じてしまいます。

最近竣工した大垣市内の寺院、明秀寺はそんな言葉を復唱して、勝手に感心していました。

お湯と生活



先日、建築環境・省エネルギー機構 IBEC の講習に参加してきました。
基本テーマはオール電化住宅の設計指針についてです、これは今までオール電化住宅の設備に関する設計方法を整理し指針としたものができたということです。

これだけオール電化が世の中で騒がれているのに設計の指針が無かったこと自体が不思議な感じをもしますが、小生も有ってもしかるべきと感じていた矢先の講習のご案内に飛びついてしまいました。

本論はここからなのですが、お湯の存在を振り返ったことはお有りでしょうか?
毎日、お湯を空気のように有っても当然のごとく贅沢に使ってしまってはいませんか?
生まれた瞬間から産湯のお世話になるのですから、お湯のない生活など考えられないのですが、逆にだからこそ使い方を振り返ってみると美味しいことがあります。
そんな一つを紹介してみます。

設計の立場では建物の省エネとなる構造を断熱や気密、換気、通風、日射遮蔽などから追求し実現を図ってきていますが、いざ生活という観点から眺めてみると、いくら性能のいいハードを作ってみても、上手に住んでもらわなかったらなにもなりません。

つまり、使うお湯の量や沸かすタイミングを毎日の家族生活になじませることで、平たく言うとお金を生むということです。

家族でお風呂やシャワー、炊事の時間を話合いで決めて、その家族なりの給湯パターンを給湯器のマイコンに覚え込ませるという作業をやってみてください。
設備の種類によっては覚えないものもありますが、最近の給湯設備にはそんなお利口なのもありますし、それにもまして家族内の約束事を決めることは教育上も大切なことです。

そしてさらにポイントは、お湯を沸かすエネルギー消費は使う手軽さとは裏はらにかなり大きいのです。お湯を沸かすのに月にエネルギー代1万円から2万円は使っていませんか?
昔は半日掛けてお風呂の用意をしていたのだから、それを思い出せば当然です。
そして「たしかにそうだったよな」と同時に現代の科学技術の進歩をもっと見直してみてください。
1kwの電気代で3kwのエネルギーを出してしまう給湯器も存在してしまう世の中なんです、ご存じでしたか。

1000円で3000円分のお湯を沸かすと言った方が分かりやすいでしょうか?

建物自体の性能、生活のパターンの家族内での条約締結、先進の給湯設備が揃えて実現したのがこの住宅でした。

このご家庭では、月の電気代が大きく減少しました。

すみません、もうひとつ、デザインもいいでしょ。

政治家と政治屋、設計家と設計屋

政治家になっていただく方には、その考え方に妥協は許されずかつ、社会の流れのとらえ方に安定感とバランス感、そして信念をはっきり持っているべきだろうと思います。
いまさら言うべきことでもありませんが、少なくとも長いものには巻かれろでは通用する世界では無いようです。

特に国会議員となると、地方の代表であるということが逆に足かせになる場面が多いように聞きますが、何が本当に自分の地元にとって大切な事柄かは、しっかり考えて欲しいのもです。

岐阜はまだまだ保守色が強いのは理解できますが、その保守の意味が変わってきているのをまだはっきり理解してらっしゃらない有権者が多いのではないでしょうか、特に岐阜は」なんて全国ネットで言われてしまうと認めざるをえなくて落胆してしまいます。
信念を曲げるのであれば、それなりの葛藤が自分の中であるはずで、それを曲げた先の道は自分なりに確信を持って進んでゆける道なのかを教えてほしいものです。
小生にとっては、それは自分を騙すことに他ならないように思いますが。

これをそのまま設計の世界に置き換えるのは乱暴かもしれませんが、仮に自分の設計思想が広く世の中に認められることがなくても、その時点で自分なりの納得できる仕事で、それを全力で取り組んでいるとすれば、建築主様は受け取めて納得していただけると考えています。

設計家として大きな世の中の流れを読み取る夢を抱きつつ、設計屋として施主様の夢を実現することは何かを考える。この両者は決して矛盾しないと信じています。

政治の世界に比べるとそんな生き方の許される世界ですし、その方が魅力有る設計者になれると思います。(こんなのをチャカして「オタク」というようですが(笑))

それにしても、尊敬できるリーダーが骨のある行動をしてないと知るとガックリしますよね。

教室の天井高さは3m?・その2

以前ご紹介しましたが、教室の天井高さが現行の建築基準法では3mを確保しなければならず、それを改善しようと草加市が特区申請に挑んでいるという話しの続編です。
最近の建築雑誌にも紹介されていましたし、テレビのニュースでも取り上げていました。

やはり小生だけではなく、多くの人たちが疑問を膨らませていたんだなと安心しました。

今回お知らせしたいのは、文部科学省の学校指針策定に関する協力者会議が「建築基準法施行令において学校の教室のみに定められている天井高さ3mの最低基準は廃止することが適当である」という中間報告をまとめた、ということです。

これに関する国土交通省の対応を求めていますので、まず改正の方向が見えてきたようです。

建設コストの削減や設計の自由度のみではなく、他の施設からの転用の障害が大きく、これから将来へ向けての人口構成の激変で、施設の転用工事が増加することを踏まえると当然ですよね。

一石を投じてくれた草加市に拍手です。

振り返って、我がまち揖斐川町もそんな自慢できる話題がほしいものです。

庇の思い出

古すぎて恥ずかしいくらいのヒット曲、「小指の思い出」なんて意味深なタイトル(全然普通か?)の歌を思い出します。

謎かけのように「の思い出」とタイトルを付けてしまってちょっと強引すぎる気もしますが、こちらはちっとも意味深でないけれど、小生にとっては強烈かつ運命的でもありました。

小生がまだ独立する前の駆け出し建築士の頃、一級建築士も取れて生意気盛りの頃でした。
盲目的さえ感じた元上司の庇信仰とでもいってしまってもいいように、とにかくデザインは脇に置いてでも庇を付けろの言葉に反発を覚えていたのでした。

その理由とするところは、雨漏りするような建物は建築基準法の「雨露をしのぐ」の建築の大原則をも満足しないことになるから・・・・ということだそうだった。

あのとき、理屈っぽい小生に庇の哲学的な意味があるかのように説いていてくれたならば、きっと今でもあの勤め先に居たのかもと思い出してひとりで気持ち悪く笑っていた。

ところが今はその庇を友人以上に大切に設計に取り入れてしまっている。
デザインは機能を満足してこそ本物、人の住まう屋根の下、生活を守る形、三角という力学的な安定感、天から差し込む日差し、住まいの廻りに風を起す、等々。

庇の意味やアイテムとしての無限の広がりを追い求めていることの原点が、あのときの上司との会話と不満であったことに気がついてきた。

「小指の思い出」のように痛くて恥ずかしい「庇の思い出」です。

骨のある図面

「あいつは骨のある奴だ」という言葉を聞くことは少なくなってしまいました。
「骨のある」とは、何に関しても絶対に外せぬものごとの基本を押さえた考え方を持っているとでも言いましょうか、小生の世界でいえば専門家としての専門性を外すことない生き方、仕事とでも言いましょうか。

残念なことに「何でもやります」という返事をオウム返しにする建築業者にはちょっとゲンナリしてしまいます。
「私どもにはこの仕事はお受けしかねます」といわれる方が何故か頼みたくなります。
あくまで専門家としての意見をキチンといえる人は無視できません。

日々の設計活動では、メーカーや販売代理店に製品の情報をいただくことがよくあります。どんなものにも長所と短所は表裏一体です。自社製品の売り込みだけでなく短所も正確に教えていただいていると、製品を指定して建築主へのコメンテーターとしての役割も担っている設計者として、引渡後のトラブルも未然に防ぐことも可能です。

「骨のある図面」を仕上げるには、そんな情報の集積に努めることも必要になります。

もちろん、過去の経験や研究の成果は当然それらをちりばめることや、工事の進行がスムーズにいくような図面のマトメ方も存在します。

小生は、図面の文字の大きさや配置、バランスや線の太さまでもが、それを左右すると信じてやみません。
ですから、絵的でない記号化された図面は嫌いです。記号化とは共通化を意味しており、個性を否定した行為なのです。
これは、サラリーマン化したドラフトマンには出来る芸当ではありません。
(若い設計者にもげきをとばしているつもり!!!)

そんな骨のある図面は現場の仕上がりも保証してくれることをよく知っているつもりです。まだ勉強中ですから「知っているつもり」になっているだけかもしれませんが。

お役所は当てにせず自己防衛で耐震補強をした方がいいですか

設計屋として正直に言います、もし震度6程度の地震が襲ってきたら、戸建て住宅の半数以上が半壊以上の状態になってしまうのではないかと思っています。
なにも我田引水で設計者の仕事を増やしてやろうとして言っているのではなく、日々の経験からそう考えています。

法的には昭和56年以前の住宅に関しては耐震診断や補強の補助金を出しましょうということにはなっていますが、決してこれは昭和56年以降の住宅が安全であるという意味では当然なく、残念ながらそれ以降の着工建物に関しても危険な状態になりうることを施工現場で見て経験的に知っています。

なぜなら、いわゆる確認申請(建築時に役所のお墨付きをとる申請)は取ってあるのものの、現場監理を受けて第三者の設計者が最低でも目視検査を実施されていることはあまりなく、したがって図面の通りの施工がなされている現場はまなり少ないということです。

その頃からモラルの有る建築業者さんは当然いらっしゃいましたが、阪神震災以降で見つかってきて法制化された改善点は当然ですがその時点では実行されておらず、結構それが重要な事項なのです。
その内容は何かといえば、難しいですが、構造的なポイント、水平構面や継ぎ手、仕口、バランス等の問題です、そして大きな枠では伝統的な工法の見直しです。

いまさら悔やんでも仕方がないのですが、太平洋戦争後の住宅不足からスタートした住宅施策はそんな細かいことかまっていられなかったのです。

いつもこんなことに気が付くと「やっぱり日本人はヨーロッパ人には負けてるよね」と思ってしまいます。と、かの宮脇先生もつらつらと書いておられました。

お役所や世間一般は・・・・、なんて横並びの好きな日本人ぽいことを言ってないで自己責任と自己防衛で是非ともご自宅の耐震状況をお調べになり補強されることをお奨めします。

かつお君はバケツ持って立たされている

さざえさんの弟、カツオ君がバケツ持たされて廊下に立っている絵を見たことがありますか?
ありそうでないことの一つに加えたいくらいです。

小生の世代の方ならば、歩けばギシギシ音をたてるフローリングの記憶とともにそんな経験に似たことがらは一つや二つはきっと有るはずです。
カツオ君が廊下に立たされているストーリーを放映することすら不信感をかってしまいそうな世の中の流れに悲しい思いをさせられます。

小生の子供の頃の教育が必ずしも100点満点では無いにしろ、そんな思い出の情景のバックには、ひび割れたムク板張りのフローリングや油くさい腰板張り、雨漏りの浸みまるけで、そんなことを気にもとめないでコークスのストーブの廻りに集まれと、お弁当箱を暖めてくれることを授業より優先してくれた先生の優しさ。
そんな環境で、授業態度が悪いから出て行けと怒鳴られている友達を横目で追う目のオドオドした目の底には一点の曇りもない。

ぶつかっても大怪我にもならない壁、踏んづけて穴が空いても板を打ち足せば、即修復完了の板張り廊下。

学校の防火規定があの頃のままで現代まで変化がなければ、コンクリートに囲まれて怪我をすることもなく、アスベストで今更騒ぐ必要もなく、そして、そして、木の香りと柔らかさに包まれて育っていれば、きっとカツオ君はバケツを持って廊下に立っていただろうに。

なんて日本人は知恵がない国民になってしまったのだろう。

せめて住まいは木に囲まれた子供にとっての精神的オアシスにして上げたいものですよね。

素材はコマーシャルから

建築設計というのは、広く浅くあらゆる方面に興味の目を向けることが必要です。
広く浅くというと「なんだいい加減でいいんだ」なんて受け取ってしまいそうですが、ちょとそれは早計な判断です。

深く一点を見つめて見過ぎてしまうと見落としてしまうことがよくあります。
要するに気が多い人間に向く仕事でしょうか?実は小生は二重人格で軽薄で浮気な双子座です。(同じ双子座の人、すみません、でもお茶目で人気者だそうですよ)

建物に関わる事柄にどのようなことがあるかは常に考えつつ進めてゆく作業が設計という行為には不可欠です。
つまり常に追いかけるものに掛けるネットを持って走り続けてゆくようなものです。そしてそのネットは、穴のないように常に新しい状態に繕われていなければなりません。

それには、それが商行為であると分かっていても「買って欲しいんだからサービスしろよ」なんてお客さんになったような態度にならず、新しい情報であれば「教えてくれてありがとう」と受け入れることにすると、スッと頭に残ります。

そんな気持ちの素早い転換が、ときには「この人ちょっと変わっている、何話してんだろ私はこれを売りに来たのに」という気持ちの相手を煙に巻いてしますこともあります。
直感的にこれは面白い設計の素材だとピンときたら、やっぱり世の中で気に入って取り上げている他の人はたくさんいたりします。

そんな中の最近興味を持って、いろいろ変化させて使いこなしてみるのが、デザイン的にも面白く、機械に頼らない省エネルギーの設計素材がこちらです
この中の横ラインを構成するものです。
さあ、何でしょう?