houseとhome

「houseは壊れるがhomeは壊れない」と正確な文言は違っているのかもしれませんが、清家清さんの生前の言葉です。
建築をかじっていらっしゃる方ならばほとんどがご存じの建築家です。
小生が学生の頃、インスタントコーヒーのCMでその存在感が一気に一般化されました。
最近では、ご子息(清家篤さん)が教育テレビに出てられるのを見たことがあり、その風貌の生き写しなことに感激していました。

本当は「houseはハード、homeはソフト」だったかもしれません。
いずれにせよ、正確な真意はともかくも、家庭というソフトの骨組みがしっかりしていれば、住まいというハードは壊れても再生可能だという意味で解釈しています。

さらに、ハードの性能ばかりを競争的に追いかけても、建築業者のマスターベーションに終わってしまい、家庭の器としては機能しないという意味に拡大出来るようにも思います。

利潤追求を第一にするものには出来ない仕業を、第3者のコンサルタントとして設計監理者がするという基本的役割がここに存在しているようです。

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