設計打合せではよく「100パーセント満足する住宅は出来ないですよ」と口を挟むことがあります。
そんなとき頭のなかをよぎる思いは、「100パーセントを望んでいるからあなたに依頼したのに、どうしてそんな後ろ向きな発言を・・・・専門家なんでしょ」と思ってみえないかな?、なんて。
これも何かの本の影響か、どこかのエイギョウマンさんの仕事の痕跡か、なぜか設計者も世の中に住宅を供給する生産者であり、建築主様はお客様で「神様」でありえてしまうのか?
専門家は建築主の少ない言葉の中からでも、全てを満足させてくれる物を創造してくれるという感じを抱かせてしまうマスコミ的印象のせいか?
悲しいかな、そんな不安を感じてしまうのだよ。
小生の言っているのは全然違っていて、デザインという言葉には夢を感じる響きがあって、何か絶対的なもののようだけど、生活という日々刻々と変わってゆくことを無視してはいけませんと言いたいのです。
住まいは「生活の容器」というように、デザインも、夢も、現実のコストも、機能も、み~んな建築主さんとの話し合いの中から、意見の相違も克服しつつ捻り出していくのが本来の姿と思うのです。
完成した後の生活への助走になっていくように。