暑い、寒い、蒸し暑い、それしか知らないの?その2

人間という生き物は「生き方」を考える動物です。それに乗っかって「住まい方」を同時に考える必要があるように思います。

別に哲学的な内容を書くつもりは無いのですが、どんなにすばらしい技術を駆使して住まいを造っても、そこに住む人間によっては室内環境は変わってしまうということです。

「設計屋さんから冬は暖かい家だと聞いていたが、どうも使いにくい部分が多い」「収納を多く造ってもらったのだが押し入ればかりでどこに何を入れていいかわからない」「デザインは開放的ですばらしいのだけれど、夏の時期は居間が暑くて寛げない」などの話題はどこにも転がっていそうですね。

これらは設計者が設計段階でのヒヤリングがまずく、その人、その家族の住まい方レベルまで掘り下げていなかったせいでしょう。

「専門家の方なんだからお任せします」という言葉は耳ざわりが良いのですが、「住まい方」の生き方レベルまで踏み込んだ話をお聞きしたりすると、専門家と言われても理解できない、その人、その家族なりの感覚が潜んでいるもので、逆に「専門家だからお聞きしたいのです」ということだと思います。

暑いとか寒いなどの感覚も室内温度というだけでなく、湿度を加味した相対的な体感温度という人に直接感じる皮膚の位置での温度がどうかを考えて設計したり、建築主さんがそのことを設計の優先順位としてどのように考えていらっしゃるか。
また、住まい方として習慣として積極的に住環境を季節に応じて使いこなしていかれるか、などの「生き方」の一部分までも振れてゆけると良い設計になってゆくのでしょう。

田原建築設計事務所様よりお電話をいただきました

今日、木構造の世界では知る人ぞ知る田原様からお電話をいただきました。
建築関係の書籍や雑誌などで参考にさせていただきていることが多く、木造を勉強している小生にとっては収穫のある日になりました。
私も参考にさせて頂くことのあるホームページのアドレスを書き込んでおきます。
建築の世界以外の方にも、その構造デザインの面白さを味わって頂けると思います。

http://www4.kcn.ne.jp/~taharakn/index.html

個性こそが生き伸びる道ですよ

一般的には、建築の設計事務所と聞くだけで個性あるデザインを提案してくれるんだろうな、と期待してくれる建築主さんが多いのではないでしょうか。

阪神の震災から以後は法令関係も大きく変わって、耐震性能などの建築の機能面も重視されることが多くなったこともあり、設計事務所の付加価値能力も高めざるをえなくなりました。
役所発注の大物件だけにとどまらず、個人レベルの建築主さんも幅の広い能力に期待をされるのではないでしょうか。
(幅広の能力があるかどうかは別にして、現にそんな建築主の皆様にお世話になっています。)

惜しいといつも感じてしまうのは、種々の条件を整理して噛み砕き、その設計者なりのデザインとして結晶されてないと感じてしまう建物に遭遇したときです。
(こちらも個性を理解できるだけの能力がないのかもしれませんが)
型通りの機能という条件に押しつぶされて個性を主張出来ていないということが、誰が見ても解ってしまうと気の毒な思いもします。

小生の文章の筋が抽象的専門的で理解できないと思ってみえる方には失礼します。

与えられるひとつひとつのチャンスに建築設計屋の個性を発揮できれば、それこそが他のどんな営業努力よりも力強い生き延びる道だと信じています。

そしてまた、どの案件もそんな思いを底流の脈々と流しながらの建築主さんとのコミュニケーションが設計の手法の一つといってもいいのでしょう。

今日は堅めのひろしです。

暑い、寒い、蒸し暑い、それしか知らないの?

湿度という言葉は小学校の授業でも出てきていますので、多くのかたがその悪者ぶりだけはご存じなんでしょうね。
暑さ、寒さのように言葉の意味がはっきりしないせいでしょうか、明るいイメージで受け止めてもらっておらず、住まいにおけるその正体もまるでベールに包まれているようです。

ところが、湿度は裏の世界を握る政治家のように、暑さ寒さを左右すると同時に人間の健康や住まいの健康まで握ってしまってます。

その神髄は、「空気中に水分がどれだけ含まれているか」ということが室内環境や人体、建物にどんな影響を及ぼしてゆくかを整理すれば理解できることばかりです。

温度と湿度を相対的に把握すると、暑さ寒さや結露の対策が浮かび上がってきます。

最近聞くことが多い調湿建材というのも、湿度のコントロールを加湿器のような機械に頼ることなく、壁や天井にその機能を付加して、省エネルギー、結露の抑制、カビやダニの抑制、過乾燥の抑制をしてしまおうということです。
「そんなものは昔からあるものを使っておけば心配ないんじゃ、売らんがための建材屋の策略じゃ」という声が聞こえてきそうですが、よ~~~く考えてみよう、じゃないですか、この時代背景においては笑っていられない現実があるんです。

湿度というものを昔の学校時代の教科書を出してきて勉強してみてください。これこそ昔も今も同じです。

余韻を残して今日はここまで。

寺の屋根・・・明秀寺より

「バリヤフリーを生かした寺」にてご紹介した明秀寺という真宗太谷派の寺院の屋根です。銅板屋根の優しい曲線が水平方向の広がりを見せて建物全体の安心感と親しみ感を演じてくれてます。
小生は不謹慎にも手塚治虫の火の鳥のワンシーンのような、何となく鳳凰が羽を広げた姿に似てませんか。

ものがないと生活できない?



小生と同じ名前の「ひろし」、彼の自虐ネタのなかに「身の回りからものを無くしたら生活が出来なくなりました」というのをご存じですか?

設計屋の場合は、仕事場の自分の身の回りに常に資料で埋まってないと図面製作が進まないし、建築主さんとの打合せも理解が進まないので仕方がないのですが、とはいうものの身の回りがゴチャゴチャしていると落ち着かないというか、日曜日などは事務所の応接室を片付けて机の上をパソコン1、2台のみにして自分の仕事に集中したりしています。それが妙にリラックスした気分になりきれてます。

ものの整理を定期的にするという行為は、座禅を組んで自分を振り返るというか頭の中を整理する効果があるように思います。

小生も学生時代は4.5帖のなかで充分生活できたし、それなりに楽しかったのですから、部屋や家が広いからといってそれが生活の充実に繋がるとは到底思えません。

いわゆる「収納」という現代人に与えられた宿命のような作業を考えるに当たり、そんな視点から眺めてみると、既存の住まいにあるものの移転のみに気を取られて、闇雲に収納スペースを増やすことは考えずともいいように思えます。

ひろしも「彼女に物のない生活がしたいわ」と言われてものを無くしてみたのでしょ?
そこで初めて生活が出来ないのに気がついたのです、そうです、ひとつの発見をしてしまったのですよね。
ものを無くすとか整理するとは、やはり新しい生活空間への脱皮なんですよ!!

暑さ寒さ対策で不満解消

広い意味でとらえてみて、暑い寒いという不満を解消することが住まいのデザインということになってもいいと考えます。

建築技術支援協会(サーツ)が住まい手1万人調査というのを実施したそうです。
不満の第1位は暑いで26.9パーセント、第2位が寒いで22.6パーセント、この2つでほぼ半分、第3位が結露で15パーセント、虫やゴキブリの進入が8.8パーセント、風通しが6.6パーセント、以上の合計で全体の8割を占めてしまうというショッキングな結果です。
そして不満点が20項目あるのですが、デザイン(意匠的)が悪いというのは1つもはいっていませんでした。これまたショッキングでしょう。

これだけ性能の良い建築材料が世の中にコマーシャルされているというのに、建築屋さんは、その使い方やその説明がいかに下手かが良くわかってしまいました。
(もちろん小生もその中の一員ですが・・・とほほ)

この結果を裏返すと、暑さ、寒さ、結露、風通しなど住環境をデザインの基本に据えずして創られる住まいは、ありえな~~~~~い(どこかのコマーシャル)ですよね。

そして、お医者さんじゃないけどインフォームドコンセント、すなわちパートナーとしての監理が必要ですね。
我田引水ではなく事実なのです。

教室の天井高さは3m?

前回の小泉さんの話題で思い出しました。
構造改革特区ということばを聞いたことがありますか?

教室の天井の高さは建築基準法では3m以上というのがあります。
なぜ3mかという理由については実ははっきりしていないようで、(児童に対する心理的不安だそうです)これに着目した行政があったそうです。
3mを2.7mとすることで、学校の建築費が建物の大きさによっては一棟に何億円も節減できるというのです。
小生もこの話を聞いて大きくうなずいてしましました。
なぜなら工事費の見積は過去になんどもこなしているからです(当然!)

3mを2.7mで認められる可能性のある構造改革特区は日本に存在しているようです。
(一度ネットで調べてみてください・・・・)

言いたいのはこんなこと特区申請しなければいけない行政システムも可笑しいですよね。
悲しいな・・・・・ひろしです。

小泉首相と建築・郵政民営化と建築?

ここのところ大騒ぎしている郵政民営化論議です。
と言いつつ、いきなりタイトルと離れてしまいますが、「小泉さんが自民党をぶっ壊すぞ」と出てきたときには、正直にいよいよ出てきたかと、応援したい気持ちで一杯でした。
若いときから彼の行動が気になっていた小生には首相就任は感動でした。

ここで政治論議を書き込むと、建築と何の関係があるんだと眉をしかめる緒先輩もいらっしゃるかもしれませんが、世の中の流れが変わるとなれば大いに関係があるように思います。

世の中のシステムが古くなって軋みがきている部分を直してやろうじゃないかと大なたを振るっているようにみえます。
(実のところ建築の世界におけるシステム、特に能力評価システムも可笑しいものをいつも感じています)

夜中の民放番組で国会議員が加わっての大論議しかり、アンノン官庁の無駄使いを世の中の明るいところへ出してきて糾弾したりと、こんな時代は50年生きてきて初めてやってきたように感じます。
一方で、彼が首相になってなくても誰かがやってくれなければならなかったのかもしれませんが、彼流が明るく受け止められるように感じます。

建築の世界も変わってゆく予感を感じざるをえません。
住まいを考える人たちも、「ぶっ壊してしまっては」ではまずいんですが、ここのところの目覚ましい技術の進歩や、規制の緩和処置、などを背景に自分だけの個性あふれる住まいを創ることは、充分可能になってきています。

小生は当然ですが、是非、たくさん勉強して、この時代の流れを生かした家創りをしましょう。

デザイン・寛的・その2



設計打合せではよく「100パーセント満足する住宅は出来ないですよ」と口を挟むことがあります。
そんなとき頭のなかをよぎる思いは、「100パーセントを望んでいるからあなたに依頼したのに、どうしてそんな後ろ向きな発言を・・・・専門家なんでしょ」と思ってみえないかな?、なんて。

これも何かの本の影響か、どこかのエイギョウマンさんの仕事の痕跡か、なぜか設計者も世の中に住宅を供給する生産者であり、建築主様はお客様で「神様」でありえてしまうのか?
専門家は建築主の少ない言葉の中からでも、全てを満足させてくれる物を創造してくれるという感じを抱かせてしまうマスコミ的印象のせいか?
悲しいかな、そんな不安を感じてしまうのだよ。

小生の言っているのは全然違っていて、デザインという言葉には夢を感じる響きがあって、何か絶対的なもののようだけど、生活という日々刻々と変わってゆくことを無視してはいけませんと言いたいのです。

住まいは「生活の容器」というように、デザインも、夢も、現実のコストも、機能も、み~んな建築主さんとの話し合いの中から、意見の相違も克服しつつ捻り出していくのが本来の姿と思うのです。

完成した後の生活への助走になっていくように。

あなたのパートナー選び

設計事務所と建設会社の設計と何が違うの?また(最近は聞かなくなってきましたが)設計はサービスしますなんて言われたけど、と訊ねられることがありました。!?

もし私が住宅メーカー設計部のスタッフであれば、おそらく「御納得がゆくまで無料でプランを作り直させていただきます。」とお答えすることでしょう。
全てとは申しませんが、多くの住宅専門の工事業者が、なぜそのような返答をするかをご存知でしょうか?  それは工事業者だからです。

あなたの住まいの設計プランをまとめる作業は、あなたの夢を達成するという「目的」に結びつくはずであっても、工事業者にとっては工事を受注に結びつける「手段」あるいは「過程」なのです。
デザイナーのお面をつけた営業マンの方が、設計担当者より積極的で「いい人」のハズ。

何千万円という工事の契約を成立させたい設計者と、はるかに少額の設計監理契約を結び設計図を描きたい設計者とは、どちらがあなたにとっての家創りのパートナーだと思われますか?

私たちの描くプランは、設計図を描き工事を監理する、契約をあなたと結び、建物を創りたいという目的にベクトルが向けられているのです。
すなわち、それはあなたの夢を描き切れるどうかに私たちの運命が掛かっているのです。
(ちょと大袈裟かな?)
つまりプランの内容自体で、あなたの良い評価を得る必要があります。

それに対して、工事の契約を成立させなければならない設計者には、時間と予算の制約のなかで会社の売上確保に貢献するためのテクニックを駆使しなければなりません。
もちろん、私たちにも予算の制約を無視することは許されません、しかしその使い道は一方向のみを向いているのではなく、いろいろな選択の幅を広げて、あなたと模索します。

この両者の立場の違いは、全て不利に働くとは言えませんが、知っておかなければならない「家つくりの最初の第一歩」かもしれません。
第一ボタンの掛け違いに気ずくことなく、住宅工事業者さんの設計担当者を家創りのパートナーと思い込むのは、生まれて初めて見たネコを親と勘違いしている子犬みたいなもの!
・・・・・・・・これは人によって必ずしも悲劇ではないことが言いたいのです?!幸せな子犬もいるはずですから・・・・

両者の平面プランがそれぞれ1案、それもほとんど同一内容のものが、仮に目の前に提出されてきたとしても、それを見て、あなたが「なんだ、どちらが描いても一緒じゃないか」と早計に結論を出せないのです。
住宅工事会社が描く内容は、あなたが住宅展示会でご覧になったものを思い浮かべれば理解できるようになっているはず、その場でオーケーを出せば即座に造ってくれます。

設計を専業とする私たちの描く内容は、平面プランのみで描き切れるものではなく、工事が完了して初めて筆を置くのだという、ある覚悟が含まれた、アプローチあるいは提案であるべきだと考えているのです。

デザイン・寛的



デザインがすばらしいですね。
褒めていただくと、単細胞の小生は勝手に舞い上がってしまいます。。
この場合のデザインとは、見栄えがするとかメリハリがはっきりしているといった感じかな?
すみません、お世辞だとわかっていても実は心の中で、何を言ってみえるんだろうと自問自答しています

デザインの枠を広く受け止めたいと考えています。

よくある例示に吊り橋の曲線美があります、あの美しさは膨大な構造計算の結果であること、人間の科学的追求の結果が期せずして自然が生み出した美と一致していることでした。
最近は、虫の生態や進化を研究して、環境を克服するために何を学んでこの時代まで生き残ってきたかを知り、人間の世界に応用してしまうという科学のジャンルもあるようです。

珍しくアカデミックな世界に入りすぎると出てこれなくなってしまいます。

建築のデザインも自然から学んで、自然素材を多く取り入れて造り自然に帰せるようにしておくことは言うまでもないことですし、自然の力やエネルギーを取り入れて地球に負担をかけるエネルギーロスを抑えたり、炭酸ガスを出さないことも大切です。

結局何を言いたいんだろう。

小生の場合、それらにプラスアルファ、デザインのヒントを建築主さんとの打合せの中から拾い上げてしまうことがあったりします。
何気ない、あっけないほどの単純な言葉がキーワードだったりします。

たとえばトップライトと庇です。
南面の屋根のトップライトは夏の日射しが強くて室内がたいへんな温度になります。
そして、庇は日射しを遮る伝統的建築部材です、かつ和風デザインの教祖様です。
つまり日射しが入る時間帯を庇で遮ってやろうとしました。

この結論は、「隠せばいいんだ」の奥様の一言で始まっちゃいました。

デザインにはコミュニケーションの良さも欠かせない要素なんだ。
時間がかかってもこれを無視したらデザインじゃなくなるのかな・・・・

住まい方



病は気から?、住まいは器(き)から?、住まい気から?

難しい禅問答ではありません。
1階は居間が何畳、和室6畳が2室、台所に浴室、そしてトイレ、2階には洋室が2室あればいいかな?なんてのが解りやすい間取りのスタートのようですが、こんな条件設定に何か疑問を感じますか?

そんな問いかけからスタートする設計者に出くわすようでしたら、そしてあなたも素直に受け入れてしまうようでしたら、設計料は設計料という名の事務手続きと書類製作及び計算費用になってしまうのかもしれません。
きっとその設計者の考え方には、住まいは雨風を凌ぐ場、外部環境や災害から人間を保護する器というテーマが大きく占めているのでしょう。
その内容の正確さや事務処理能力を買って頂くことになるのですから、悲しいかな何かしら役所発注の仕事を想像してしまいます。
(公務員のかた、特に建築関係の方には失礼かもしれませんね、お許しを)

もっと広い視野からスタートする住まいつくりは、気、意志、希望、からです。
どんな生活をしたいか、どんな人生が楽しいか、親子のあり方は、など。
物理的条件よりも、思いついたキーワードや短文を書くように考えていることを住まいの条件にしてゆくことから始めると、選択肢が大きく広くなりプランが羽ばたいてゆきます。

実はどなたもそうありたいものだと感じていらっしゃるのかもしれませんね。

では具体的にどうするか・・・・今日は禅問答のように、問題提起をして終わります。

(たとえば、住まい方サーチなんて質問集をつくってみたりして試行しています。)

インターネットと設計監理・ひろしです



寛が語る・インターネットです。
なにおかいわんや、ネットがこんなにも設計監理と密接になってしまったか。。
こんなにも欠くべからざる存在になってしまったのを知らずして、まだ体感していない建築家の残念なことよ。
・・・と小生が書いているのを読んでみて、首を縦に振っているあなたか、不可思議に横に振ったあなたか、あるいは単なる苦笑いか。
ネットに対する認識がどの程度の強さかで占う設計事務所の将来と言っても過言ではないと思う、今日このごろです。

建築設計を志す方なら、どなたもぶつかる疑問に、どうしたら世の中に自分のデザインを知らしめるかという大きな壁があります。
とにかくお付き合いの巾を広げて、設計屋であるにも関わらずゴルフレッスンに明け暮れて「私は何?」状態におちいりの諸兄もおられたはず。
人間性の巾を拡げる良い修行であったことを否定する権利は私にはありません。
なぜかと言えば、すみませんそんなお仲間のひとりでした。

自分は一生をこの仕事に捧げよう、いやこれしか能がないといった方が正確ですが、確かに健康にはいいがいっこうに上手くならないゴルフに一生を捧げるより、現役生活も残り数十年となった自分が素直に生き抜くにはやっぱり徹夜の設計生活しかないや!

ホームページをわけもわからず開設してもうすぐ6年、YAHOO様には頭が上がりません。
多くのカウントをありがとう。
知らず知らずにアクセスしてくださっている見えない皆様の存在は、アクセス解析ソフトを見ていると、まるで氷山の海に沈んだ部分を見ているようです。

ネットで公表できる作品をひとつひとつ仕上げてゆくことは、現在進行中の計画や現場を大切にすることに他ならないのです。

結構優等生な結論がみえてきましたでしょうか?

付合いの悪いやつだと友人や仲間内から批判されても、設計に関わるこんな文章を書くことに精を出してしまうのも、自分にとっては分相応であり、ネットに突き動かされているといってもいいのです。

バリヤフリーを生かした寺

浄土真宗の門徒の方で、ご自宅にお仏壇があるご家庭は、おそらく岐阜県内に限らず全国的にみても、少なくはないはずです。

これからお話しようとしている内容は、たまたま設計者としてお手伝いするご縁をいただいたのが浄土真宗大谷派のご本堂に関することではありましたが、信仰の自由の国、日本においては、浄土真宗に限らず人を救う宗教であれば、共通したことがらであることを最初にお断りしておかなければなりません。

何故か、お伝えしたいこととは反対に堅い内容から始まってしまいますが、浄土真宗の教えは学生時代の教科書にもあるように、親鸞聖人によって大成され、蓮如上人によって日本全国にひろまったことなどを鵜呑みで覚えている程度のお恥ずかしい門徒の私です。

子供の頃から当然のごとく仏壇の前に座らされて、足のシビレをこらえながら知らず知らずのうちに頭に焼き付いている「正信偈」の「帰命無量寿如来、南無不可思議光・・・・」。
中身を丁寧に勉強すれば、きっとすばらしい新たな発見もあることであろうが、ともかくも仏前でおとなしく大人と一緒にお経を合唱し手を合わせてみると、読経の音声の響きと共に、なにかしら神妙な気分になり、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんを思い出して、供養をしていることを子供なりに実感していました。

かく言う私は今年で満50歳、子供の頃のそんな記憶はどこかへ仕舞い込み、自分の道を闇雲に手探りしていた20代、道筋が見えてきてまっしぐらに走り続けた30代、落ち着いて進んでみようと40代、まだまだこれからだと自分に言いきかせ、新たな道を探ってみる50代、本堂を設計させていただくチャンスに恵まれたこともあり、今だからこそと振り返ってみて仏前に座ると、信心も恥ずかしいほど忘れているのに、不思議なことになぜかしら子供の頃のように神妙な気持ちの自分がそこに居た。
これが「門前の小僧、経を詠む」だろうか?、浄土真宗の真の教えを充分理解していないにもかかわらず、気持ちが安らぐのである。否、これがあるべき姿ではなかろうか。・・・それなりに悟っているのである。

そんな私が提案したい本堂は以下のようなものであった。
お寺は宗教施設の神々しさはもとより必要であるが、それだけではこの時代にはマッチしないのではないか、現に仏教寺院の建築様式は時代ごとに大きく変化を遂げてきているのは事実です。
健康かそうでないかに関わらず、人生の諸先輩方はもちろん老若男女全てを受け入れる、身近な存在感のある本堂のデザイン、雰囲気、バリヤフリーな機能性、寒さ暑さなど体にストレスを感じない室内環境をそなえていることである。
まさに住まいを考えるときに求められる寛げる「温かさ」にも通ずるありかた姿を実現したいと考えたのです。

正面向拝に通ずる階段は、踏み巾30センチ、一段の高さ16.5センチ、これは健常な80代の男性の意見から決めた寸法を採用しました
その脇をはしる勾配1.9パーセントの緩やかなスロープ、これはお参りする真正面から上がれる位置関係としている。
回廊周囲の窓はトーメーの掃きだしとなっており、室内のお参りの様子が戸が締め切られていても内部の様子がうかがい知れるようにしています。
扉は適度な重さの引戸ばかりで、縦長で大きなバー引き手が取付けられています。これも普段お参りされる諸先輩の立場になって考えてみました。
内陣(阿弥陀如来のある正面の部分)と外陣(門徒がお参りする部分)とは従来は段差がありましたが、完全にワンフロアーの同一高さです。
履物を脱ぐ土間にはフリーに握れる手すりがあり、時には軽量なハンディータイプのスロープが据え置き可能な上り框になっています。
お椀を伏せたような優しい銅板の屋根形状、外陣内陣の川の流れをモチーフにした曲線状の明るい天井照明、視認性も高く雰囲気も明るい白を基調とした内装です。
床、天井、窓が断熱性能の高い材料で包み込んで室内温度差を押さえる工夫。・・・・などなど
極めつけは、私も子供の頃苦労した正座ではなく、低いイス席でのお参りをすることです。!!!

おせっかいにならない程度でさりげない、私なりの「生きたバリヤフリー」のお寺を、ご住職夫妻の普段の思いを溶け込ませた理想に近い施設を実現したいと考えています。

明秀寺のお稚児さん

竣工の日が迫りつつある明秀寺(大垣市昼飯町)にて稚児行列があります。(詳しくは真光寺様のHPにてご案内)
だれもが思い出の片隅にある稚児行列、サイト管理者も白粉でお化粧されて「綺麗ね」と言われて複雑な思いをした記憶があります。
参加された皆様の記念写真や思い出のバックに明秀寺の屋根の曲線が残ってゆくことを楽しみにしています